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「企業活動と地域活動を分けずに取り組みたい。横浜の私の第二の故郷」 ギトウシステムズ株式会社代表取締役 岩本欣也さん

by staff on 2018/8/10, 金曜日

 

岩本欣也さん
岩本欣也さん
 
お名前 岩本 欣也 (いわもと きんや)
お生まれ 兵庫県出身、50代
お住まい 横浜市南区在住
趣味 アニメ 天体観測
お仕事 ギトウシステムズ株式会社 代表取締役社長
HP https://www.gitoh.jp/

 

どのような少年時代でしたか

兵庫県の出身で、小・中・高校時代は西宮で過ごしました。
小学校2年生の時に「宇宙戦艦ヤマト」をテレビで見てアニメ好きな少年になりました。
高橋留美子原作の「うる星やつら」はアニメにはまって、原作も読み漁りました。

私は絵を描く方よりも物語を考えるほうが好きで、中学校の頃から、新井素子さんのライトノベルに影響を受けて小説を書いていました。高校では仲間と同人誌を発行して、その中に「うる星やつら」の作品評論を掲載しています。

また、子供の頃から、「まちづくり」にも興味を持っていて、近所の河川敷でダムを作ってそのまわりに水路を引いてみたり、自宅でダイヤブロックを使って、自分なりに「まち」を作って見たりしていましたね。

大学では、都市計画を専攻されたとか

「まちづくり」を勉強したくて、東京都立大学(現在の首都大学東京)の工学部土木工学科に入学しました。山川仁先生や秋山哲男先生などに師事して、「都市の成り立ち」や都市交通の問題を勉強しました。

私が特に関心を持ったのは、「都市間のネットワーク」についてでした。これは現在の地域活動にもつながるものがあるかもしれません。2年間の大学院での研究を経て、1992年に日産自動車に入社しました。

日産では車両交通研究所で自動車運転の研究、運転時の予防安全について研究しました。具体的には自動車がぶつかりそうになった時にドライバーにどのような情報を与えたら事故を防げるかということです。またヘッドランプの研究などにも従事していました。

大企業を辞めて、独立したのはなぜですか

1999年に結婚した妻が2001年からパソコン教室を始めていて、その事業が順調にいっていて、2003年に有限会社蟻塔を設立していました。

私は車両交通研究所で研究していた配光制御ヘッドランプやドライバーモニターの研究を続けたかったのですが、社内の事情で研究を続けることができなくなりました。

妻には猛反対されましたが、自分のやりたいことをやるには独立しかないと決意して、思い切って2005年に退職しました。パソコン教室をやっていなかったら、独立しようとは思わなかったでしょうから、妻の支えが大きかったですね。妻とは、NiftyServeのパソコン通信で知り合いました。

「蟻塔」という社名は、父が経営していた建築積算の会社名です。蟻塚の意味で、コツコツ積み上げていくことを目指したのだと思います。父が亡くなった後、会社は休眠状態になってしまったので、私が社名を引き継ごうと思ったのです。

会社経営は山あり谷ありだったそうですね

独立当初から、画像処理システムの開発で業績を上げてきたところに起きた2009年のリーマンショックは大打撃でしたね。取引先が一気になくなりました。取引先からは社員になってくれとの申し出もありましたが、自分のやりたいことを貫きたいと断りました。
それから3年間は、各種学校の講師なども経験しました。

「労働環境管理システム」のプロジェクトに参画したことから、システム開発に専念できるようになりました。その後、画像処理関係のシステム開発を続け、動画を非圧縮で蓄積できるレコーダーの開発で、2014年には特許を出願しました。現在は4K対応の動画非圧縮レコーダー等の開発販売を行っています。

眼位置追跡システム

教育事業やITコンサルティング、Webサイト制作等の事業を通して「お客様の困りごとを解決する」のが私たちの役割だと痛感しています。

2018年には「ギトウシステムズ株式会社」に組織変更して、更なる飛躍を目指しています。

ギトウシステムズ株式会社 Website

地域活動にも積極的に参加されていますね

横浜の伊勢佐木町は、大学時代から気になっていた街でした。というのは、日本初のモール(歩行者天国)だったからです。1998年に伊勢佐木町のそばに新築のマンションが建設されるという新聞広告を見てすぐに購入してここ南区南吉田町に引っ越してきました。

南吉田町の町内会にも積極的に参加して、日枝神社の大祭のお神輿も担ぎましたよ。ここは、お三の宮として有名な日枝神社の門前町として栄え、一時は300を超えるお店があったそうなのですが、現在は商店はなくなり、住宅地になっています。

それでも、日枝神社でのイベントを通して商店会を復活させ活性化させていこうという活動を続けていて、それは「新観光地域活性構想歴史と文化のある街・お三の宮通り」というテーマで、平成24年の横浜市民まち普請事業に選ばれています。私は南吉田町内会の常任理事としてこの活動に関わっています。

横浜市都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業-23お三の宮-

パネラー 岩本さん

企業活動と地域活動のバランスは

企業活動と地域活動を分けたくないですね。

キーワードは「SDGs」
社会課題の解決に自社の技術を活かしていきたい、そして事業化していきたいと考えています。

※SDGsとは 世界を変えるための17の目標 Sustainable Development Goals
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/

弊社では2013年に「Soraject事務局」を開設しました。
2014年4月から2018年7月まで、12回の「Soraject観望会」を開催しています。

「Soraject」とは、宇宙を意味する宙(Sora)とプロジェクト(Project)の言葉を合成して私が造った造語です。

「Soraject観望会」は、都会の明るい夜空でも容易に観られる月や惑星、昼間の太陽などの天体を対象として実施しています。

観望会の様子

これまでは行政からの補助金や支援を受けて実施してきましたが、これからはビジネスとして取り組んでいきたいと考えています。天体の世界では、2035年に凄いことが起きるので、それまでは頑張ります。

SORAJECT ソラジェクト

岩本さんにとって横浜は

「第二の故郷」です。
私が生まれたのは関西ですが、この地にルーツを感じているのです。
私の祖先は、「お三の宮」の「お三」のように吉田新田を造成した吉田勘兵衛に仕えた一人だったのかもしれません。(笑)

今日の私を育んでくれた「横浜」には本当に感謝しています。
これからもずっと「横浜人」でありたいですね。

<取材を終えて>

第12回目の「Soraject観望会」は7月27日に開催されました。私も参加いたしましたが、近所の子どもたちはもちろん、大人もたくさん集まって空を見上げていました。残念ながら台風接近で曇り空でしたが、岩本さんは、子どもたちにお土産まで用意するなどご準備も大変でしたでしょうに、いつも通りの笑顔で動き回っておられました。
 
岩本さんには、ITクラスター交流会など異業種交流会でこれまで、何度かお会いしていたのですが、バックボーンなどを伺ったのは今回が始めてでした。
 
岩本さんの原点が「街づくり」にあったとは・・・横浜を「第二の故郷」と想えるくらい愛しているとは・・・。様々な新たな発見があって、岩本さんの素晴らしさを改めて感じた取材でした。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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