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「ほっとする町 横浜」 ピアノBar 本牧 オーナー 松本ジョージさん

by staff on 2018/10/10, 水曜日

横浜の馬車道通りから相生通りに入ってすぐ、一階部分がお洒落な白いコロニアル様式のビルがあります。ポーチには『ピアノBar本牧』とチョークで書かれた黒板が立ててあり、ドアからは金鳳花色の光とピアノの音が漏れてきます。ドアノブに手をかけてそっと中を覗くと、「ようこそ」とマスターのジョージさんの素敵な声。ママのTAKAKOさんの優しい笑顔が出迎えてくれます。

ピアノBar 本牧 オーナー 松本ジョージさん
ピアノBar 本牧 オーナー
松本ジョージさん
 
お名前 松本 譲司 (まつもと ジョージ)
お生まれ 1950年7月 本牧
お住まい 関内
趣味 音楽
お仕事 ピアノBar本牧のオーナー
ピアニスト兼ボーカル
Facebook https://www.facebook.com/pianobarhonmoku/

 

馬車道(関内)の『ピアノBar 本牧』?

初めて来られたお客さまは『本牧?』と不思議がられることがあります。私は本牧生まれの本牧育ち、この『ピアノBar本牧』も私が30歳の時に本牧で生まれました。今年で38年になります。(2018年取材時)

私が生まれた1950年頃の本牧には「フェンスの中のアメリカ」と呼ばれた米軍の居住地区があり、戦後の混乱期の貧しかった日本人から見れば、まさに羨望の場所でした。広い敷地の居住スペースは芝生で囲まれ、学校、ショッピングセンター(PX)、映画館、銀行、ボーリング場、テニスコートなどのスポーツ施設、公園などが点在し、休日には、キャッチボールをする親子の姿、犬を散歩させるアベックなどが見られ、フェンスの中にアメリカの生活そのものが再現されていました。

フェンスで完全に遮断されていたわけではありませんでしたから、おのずと文化やスポーツの交流が起こりました。本牧はいち早くアメリカの流行が伝えられ、音楽・ファッション・食文化・ライフスタイルを肌で感じることができる街になりました。

その情報を得ようと東京からも大勢の若者が詰めかけました。ミュージシャンや芸能人も集まって来ました。だれもが知る有名な映画俳優もおりましたよ。ファッションや音楽に飢えていた人達が貪るようにしてアメリカの文化を吸収し広めていきました。

私が『本牧』にこだわる理由の一つは、本牧が『日本のJAZZの聖地』だと言われていることです。この『聖地』を創った店の一つであったことが私の誇りでもあります。38年間店名を替えずに続けて来たという『店名』への愛着ももちろんあります。また、もう一つの理由が、本牧の衰退とともに多くの店が閉じるか場所を移っていきました。その頃を懐かしく思って探して来られる方がおられます。少しでも『検索』に掛かりやすくなるようにと馬車道に移っても当時からの店名を守っています。







ヤマハライトミュージック神奈川大会で優勝

中学生の頃は野球ばかりやっていました。バッターは5番、守備は外野で、大鳥中学校を市内3位にしたことに貢献したと思います(笑) 高校は横浜商工高等学校、現在の横浜創学館高校に入学しました。「 高校では勉学に励み」と言いたいところですが、授業中は居眠りばかり。。。さすがに落第はしたくなかったので「それなりに」頑張りましたけれど(苦笑)。英語が得意だったことに助けられました。

『居眠り』には理由があって、16歳の頃に友人4人とバンドを結成し、私はエレキギターとサイドヴォーカルを担当していました。中華街に「レッド・シューズ」というゴーゴーが踊れるバーがあって、そこの専属バンドを2年間務めました。深夜まで踊れるバーで演奏していたから寝不足で睡魔が襲ってくる、授業中の『居眠り』の原因はまさにこれでした。

青春を謳歌するというのは何かに夢中になることだと思います。健全な学生生活とは言えませんが、今思い出しても「楽しい青春時代」でした。

私たちのバンドは、1967年のヤマハライトミュージックコンテスト神奈川県大会で優勝することができました。神奈川県は応募者もレベルも全国一の激戦区で、そこを勝ち抜いたという経験が私を音楽の道へと進ませることになりました。その時のメダルが店にあります。私の大事な宝物です。

1967年のヤマハライトミュージックコンテスト神奈川県大会優勝メダル

本牧での『ピアノBar本牧』

バンドからソロでの活動が多くなり、活動範囲も本牧から関内の高級クラブまでと幅広く行っていました。自分の店を持つことが目標となり、1980年 私が30歳の時に本牧に『ピアノBar 本牧』をOPENしました。

1982年の米軍接収地返還までは、本牧は私が生まれ育った「フェンスの中のアメリカ」がそこにありました。異なったことといえば日本人の生活が当時よりも豊かになったこと。私の店の客層もアメリカ人や軍関係者から、音楽を楽しむといった余裕のある日本人にシフトしていきました。リクエストされる曲もスタンダードJAZZやオールディスは勿論のこと、映画音楽が増え、日本人の余暇の楽しみ方が反映されてきました。

1982年に返還された地域は、大型ショッピングモールとして再開発され映画館や高級ブティック、レストラン、スーパーマーケット、公園、住居等の複合施設『マイカル本牧』が1989年に開業されました。

開業時のマイカル本牧は駐車場に長蛇の列が出来るほどの賑わいを見せていました。公共交通がバスのみの本牧ですから、マイカーで来られる人の数は半端でなく、道路端に車を止めてショッピングをする人が交通渋滞を起こしていました。

私の店も『マイカル本牧』が盛んだったころは恩恵を受けました。ブティックのオーナーや従業員が仕事の疲れを癒しに来られたからです。

けれど時代の流れが本牧を変えていきました。交通機関を車に頼ったばかりに「飲酒運転」「酒気帯び運転」撲滅の流れに飲食店が去り、駐車禁止の取り締まりが厳しくなってマイカー族が減少、新設されたランドマークタワーやみなとみらいの商業施設へと人の流れが変わりました。

本牧がルーツですから、本牧に留まるかどうか悩みました。結局は店名に『本牧』を残して、友人の不動産オーナーの勧めに従い、関内に、今の店から1ブロック先のビルの2Fに移ることに決めました。

3人息子がおりますが、一人がその店を手伝ってくれました。結論から言えば、親子で仕事をすることの難しさを学びました。道路からも入りづらい2階が店ということもあり、もっと良い物件は無いかと思っていたところ、今の店の話が来て、ここに落ち着くことになりました。

この店になってから、テレビ朝日の番組で徳光和夫さんの「路線バスで寄り道の旅」の取材を受けました。放送は2017年4月30日「浦賀~横須賀~桜木町で春の三浦半島&横浜でとっておきの夜景を楽しむ旅!」でした。ご覧になられましたか?



JAZZの大御所

先日、みなとみらいホールで開かれたウィリー沖山さんのコンサートに前歌としてパートナーのTAKAKOさんと一緒に出演しました。このみなとミライホールでのコンサート司会は兄弟子のチャーリー湯谷さんが務めました。

ウィリー沖山さんがホテルやホールでコンサートを開く時はよくお声を掛けていただきます。山の歌(ヨーディル)でご存知の方もおられましょうが、沖山さんはれっきとしたJAZZ界の大御所です。弟子を取らないことでも有名なウィリー沖山さんですが、私は『おとうと弟子』と呼ばれ、兄弟子にはポール・アンカーの『ダイアナ』を日本語カバーした故山下敬二郎さんがいました。日本のJAZZの歴史ともいえる沖山さんには、いつまでもお元気で活躍していただきたいと願っております。

そうそう不思議とこの店にはミュージシャンの方がよく来られます。音楽好きが集まるとそこでセッションが始まり楽しいひとときとなります。

PRを一つ忘れていました。私のピアノ伴奏でお客さまが歌を歌うことができます。楽器の演奏もできます。音を楽しむのならなんでもOKの店です。

店にあるピアノはアンティークピアノです。100年前に製作された『C.BECHSTEIN』です。このベヒシュタインはイギリス王室からアメリカに渡り、ある日本人が買われ、そして私の元にやってきた由緒あるピアノです。この音を聴きに来るだけでも価値があると言われていますよ(笑)。



大事なパートナー “TAKAKO”

今、一緒にお店を支えてくれているのが大事なパートナーTAKAKOさんです。お店のママとして、シンガーとして毎日頑張ってくれています。“ジョージ&TAKAKO” で当店以外の場所でも、レストランライブやパーティの出張ライブなどで、二人の共演をとても喜んでいただいております。最近ではTAKAKOさんの歌を楽しみにお店に来られるお客さまも増えています。私と同じようにピアノの弾き語りをするなど、今では頼もしい私の片腕となっています。



ジョージさんにとっての横浜とは?

ここに帰ってくると「ほっと」します。店は私の居間のような感じです。お客さまが描いた絵が壁を飾り、100年の時を過ごしたアンティークピアノがあって、いろんな楽器が無造作に置かれ出番を待っています。飾ってあるお客さまからのお土産や、プレゼントされた小物には温かな「思い」が感じられます。

私の「居間」は若いミュージシャンが集まれる場所でもあります。「アニキ」と慕ってくる若いミュージシャンと音にまつわる話は尽きることを知りません。集まれば自然と音が出ます、歌が出ます。気が合えば一緒にライブをする話に・・こうして夜が更けていきます。

この界隈にも、ミュージシャンが集まれる場所がだんだんと少なくなってきました。こんな場所をいつまでも残してあげたい思いから健康に注意しています。閉店後に飲む赤ワインとビタミンCが私の健康法です ぐっすりと眠れます(笑)

時代と共に変わるものがあり、そして変わらないものがあります。『ピアノBar本牧』は馬車道に場所を変えても変わらないスタイルで頑張っています。

ジョージさんの演奏を動画でご覧下さい。

(文:高野慈子

 

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