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世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

by staff on 2019/1/10, 木曜日

♪ 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)

現代語訳・・・もうこの世には自分が求めるような 静寂と無垢に浸れる場所はないのだろうか、深い山の奥でさえ、鹿が哀し気に鳴く声が聞こえる。

皇太后宮大夫俊成とは 藤原俊成の事。藤原定家のお父さんでもあります。彼がこの歌を詠んだのは27~8歳の頃。この歌のエッセンス・・煩わしい俗世間と決別したい自分なのに、できる場所はどこにもないじゃないか!というあきらめとも憤慨ともつかないがっかり感が私の共感を誘います。彼が生きていたこのころは政局が不安定で戦乱期と言ってもいいような状況、多くの歌人が厭世感で出家をしています。

狭い貴族社会の中で、あちらを立てればこちらが立たず、義理と人情の板挟み みたいな状況だったのでしょうか。西行もこの年に出家して放浪の旅に出たそうです。きっと俊成さんも出家したかったのでしょう。

もしかしたら出家の意思を固めるために山の奥深く分け入って 静に自分の気持ちをクリアにして 出家という最後の決断を下そう! と思っていたのかもしれません。

「私はすべての欲望や、俗世間の煩わしさを捨てて出家をするんだ!」と。 ところが山奥に入ったら そこで鹿が お~い!我妻よ!どこにいるんだ!と伴侶となる女鹿を探している声を聞いて、きっとこの若者は、自分なりに悟ってしまったのだと思います。

出家しても結局自分が求めているようなクリアな静寂はない、坊さんは坊さんなりに悩みがあって、生きている限りこの人間社会の煩わしさや力関係のバランス取りはなくならないんだ! と。

そして、この憂き事が多い人間社会の中で自分は和歌を支えに生きてゆこう! と決心をしました。この和歌はある意味 “藤原俊成” という日本の和歌文化のキーパーソンともいえる立役者の人生を決めた重要な和歌だったのです。彼がこの奥深い山で、鹿の鳴き声も聞かず出家の道を選んでいたら、小倉百人一首はこの世には存在していません。

シカシ 鹿はよくぞ鳴いてくれました。私にはこの鹿は天からのメッセージとしか思えません。俊成さんに 「まだ結婚もしないで出家なんてとんでもない! 妻を見つけて結婚するのが先よ!使命を果たしてから、後でゆっくり出家してちょうだい!」とシカッタ鹿。

彼の人生を分けたこの歌から少したって・・・俊成さんはある女性を見初めます。その女性は美福門院加賀と呼ばれていました。後の藤原定家のお母さんです。俊成さんはその女性に心惹かれ、何度も歌を送りますが返歌はありません。そして最後のつもりで送った和歌に、やっと彼女が歌を返してくれました。


♪ よしさらば 後の世とだに 頼めおけ つらさにたへぬ身ともこそなれ ♪

  
詠み人 俊成

現代語訳・・・余りにも冷たい貴女、よし、それならば、せめて死んでからの来世には会おうとだけでも言って下さい。貴女の冷たさに耐えられず死んでしまう 私かもしれませんから


♪ 頼めおかん たださばかりを 契りにて 憂き世の中の 夢になしてよ ♪

  
詠み人 定家の母

現代語訳・・・来世には会うと、約束しましょう。二人は決して今世では結ばれないのですから、ただそれだけを契りとして、この辛い世の中の夢だと思って、私の事は忘れて下さい。

別れの歌なのですが、不思議や不思議 このやり取りが、二人を急速に結び付けて 今世で結婚することが出来ました。
結婚後 彼の歌詠みとしての地位は徐々に上がり和歌集の選者として頂点に名を連ねます。
そして彼は 幽玄という美意識を和歌文化に取り入れて その影響は 能や茶道にも及びました。本当に日本文化にとってなくてはならない人材だったのです。
俊成さんよっぽど彼女が好きだったのでしょうね。
二人の間には定家も含めて10人も子供が生まれました。 めでたし めでたし。

ご挨拶

あけましておめでとうございます。
今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には (まだ半年もありますが) 40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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