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ジャーナリストからミュージシャンへ。ダブルベース奏者 土村和史さん

by staff on 2019/2/10, 日曜日
ジャーナリストからミュージシャンへ。ダブルベース奏者 土村和史さん
ダブルベース奏者 土村和史さん
 
お名前 土村 和史(つちむら かずふみ)
性格 凝り性
趣味 古墳と城跡を訪ねる
パーカッション・三味線の演奏
HP つちむら音楽工房
http://www.t-ongakukobo.sakura.ne.jp/
BLOG https://blog.goo.ne.jp/kazucci-cb

 

横浜で育ったそうですね・・・

東京で生まれましたが、8歳から横浜港南区で暮らしました。
小学校3年から横浜の公立小学校に通いました。
中学校・高等学校は新子安の浅野学園でした。

音楽はいつ頃から?

中学2年の時、数人でバンドを組んだのが最初です。

友達に勧められて、エレキベースをやりました。最初は親に買ってもらったのだと思います。

「RCサクセション」や「TOTO]のをコピーをやって中学生なのに夜中までスタジオで練習していました。中学3年生のときから高校2年まで毎年文化祭で演奏していました。

今も人気のある「キングクリムゾン」や日本のロックバンドの「ストリート・スライダーズ」が好きでしたね。フュージョンも好きでした。バンドに熱中していましたが、プロになる気はなかったです。

高校3年のときに気持ちを切り替えて、大学受験のモードになりました。とりあえず志望大学に入ろうと一生懸命勉強しました。模試の成績も上がっていって、現役で一橋大学経済学部に入りました。

大学では音楽をやらなかったのですか?

たまたまテレビで見たボクシングの試合に感動して、ボクシング部の門をたたきました。大学1年生から4年生までボクシング部に所属して、それなりに練習をしたのですが、出場した大会では1勝もできませんでした。音楽はもっぱら聴くほうになりました。ロックだけでなく、レゲエやジャズ等何でも好きでしたね。

ゼミは東洋経済史の中川学先生でした。卒論は「都市の成り立ち」というテーマで、都市の光と影について書きました。中川先生は「マクロエンジニアリング」の研究でも有名な方で、ゼミ生たちはゼネコンかマスコミ志望が多かったです。私もマスコミ志望で報道関係の仕事につきたいと、1993年に日本経済新聞社に入社しました。日経では産業部に1年、整理部に6年在籍しました。

新聞記者からなぜ?

会社員になって余暇に音楽をやりたいと、桜木町の音楽学院にウッドベース(コントラバス)を習いに行ったのがきっかけとなりました。好きなことに集中するタイプですから、ウッドベースにのめり込んでいきました。どんどん上達していって、プロとしてやっていきたいという気持ちが強くなってきました。会社員をやめて音楽に専念したいと考え始めたときに、ボストンにあるジャズ教育などで有名なバークリー音楽大学のオーディションを受けたところ、奨学生として学費が半額にしてもらえることになりました。それを機にプロミュージシャンになろうと決心して、1997年末に日経新聞社を退職してアメリカに行きました。後戻りはできないぞとの覚悟で・・・日本を旅立ちました。

プロへの道は厳しかった?

バークリー音楽大学での3年間は楽しかったですね。今思うと30歳にして青春の真っただ中でした。英語にも慣れて、音楽浸けの毎日でした。世界中から音楽をやるために集まった仲間と過ごした時間は貴重でした。一流のプレーヤーの演奏も日本の半額以下で見られるから毎週ライブを見に行っていました。大学の授業が終わると、毎日18時から25時まで学生仲間とセッションしたり、自分で練習したりしていました。

バークリー音楽大学の募集サイト(日本語)
https://www.berklee.edu/admissions/admissions-requirements-japanese

アメリカでもジャズのプロミュージシャンとして活動していました。
日本で音楽活動をしていこうと2000年末に帰国しました。

それ以来東京や横浜のジャズスポットで演奏したり、ジャズセッションに参加したりするスタイルは変わっていませんね。中近東やアフリカの音楽にも興味があるので、海外の方々とも演奏しています。これからも、日本でしかできないエキゾチックな音楽を創り出していきたいですね。

ピアニストの奥様とご一緒されることも多いとか?

フランス人のバイオリニストとのコラボ。左が夫人でピアニストの木村秀子さん

彼女とは15年くらい一緒にいます。
セッションやライブで音楽を作り上げていくときに、やっぱりやりやすいですね。
先日も大学同窓会の新年会で、彼女とフランス人のバイオリニストと三人で演奏して大好評でした。

イタリア人ギタリストとのバンド、#11(シャープイレブン)。
昨年末にCDを発表した

彼女は調律師の資格も持っているので、演奏だけでなく活動の幅が広がっています。つちむら音楽工房として、ピアノやベースのレッスンをやったり、月に一度近所のギャラリーで、地域の方々との交流の時間を持っています。

つちむら音楽工房
http://www.t-ongakukobo.sakura.ne.jp/

セネガルのミュージシャンとの奇跡の再会があったとか?

大学時代の卒業旅行でセネガルを訪問したときに、偶然現地で有名なミュージシャンにZale Seck 会いました。それからずっと連絡は取り合っていて、彼がカナダのモントリオールに移住したことも知っていましたが、2017年に日本に来ることになって、一緒に演奏したときは感動でしたね。彼はセネガルでは思っていた以上に有名人で、日本在住のセネガル人の音楽家たちの表敬訪問を受けていました。

音楽を通した国際交流。セネガル人とのプロジェクト

2016年は我々がモントリオールに行ったのですが、彼女がピアニストとしてセネガルポップスのフェスティバルに駆り出されたりしました。

学生時代の旅で出会った人がワールドワイドなミュージシャンで、ジャズのベーシストになった自分が一緒に演奏することになるなんて思いもよりませんでした。横浜はアフリカとの縁が深いので、多くの方々にZale Seck の演奏を聴いていただいて、セネガル音楽に触れてほしいですね。

Zale Seck プロモーションビデオ

イタリア人とのバンド、#11(シャープイレブン)のプロモ動画

横浜はジャズの街ですよね?

横浜の特に桜木町から石川町の間には多くのジャズクラブがあります。
その密度はニューヨークと同じくらいです。ジャズの街として日本最大級の「横濱ジャズプロムナード」も開催されています。

横浜の雑多なところが大好きです。
海も山も街も田園地帯もあり世界各国から様々な人が集っています。

横浜は自分のベース(基地)です。
横浜に居るからこそ、できる音楽があると思います。
何でも受け入れる空気感の中で自分の音楽を作っていきたいです。

トリオで演奏

横浜は自分のBASE(基地)です

<取材を終えて>

誰もがうらやむ職業を辞して、単身アメリカ渡った時の、土村さんの「後戻りはできない」という覚悟に、日本的なサムライの魂を感じました。帰国してから20年間の演奏活動を通して、その想いは脈々と培われています。アフリカ、中近東と日本の音楽を融合した、土村さん独自の音楽をこれらかも楽しみにしています。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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