Skip to content

ワンちゃん&ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ誕生秘話 お菓子工房Salaの外村貞子さん

by staff on 2019/5/10, 金曜日

今回の「横浜この人」は横浜市からちょっと足を伸ばし、七沢温泉・大山・東丹沢方面への入り口「愛甲石田駅」から徒歩8分のお菓子工房Salaで『ワンちゃん/ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』で新聞やラジオなどに紹介され一躍時の人となった外村貞子さんにワンコケーキ誕生までの秘話をお聞きしました。

外村貞子さん
外村貞子さん
 
お名前 外村 貞子(とむら さだこ)
お生まれ 昭和32年2月
ご出身 横浜市神奈川区新子安
お住まい 厚木市緑ヶ丘
お仕事 お菓子工房Sala 代表
HP https://www.cake-sala.jp/
趣味 ダイビング,バイク(オフロード)

 

病弱だった子供の頃

私が生まれてから小学2年生まで育った町「新子安」は製糖会社やその工場、関連会社などが立ち並び、そこで働く人が暮らす社宅やアパート、戸建て住宅、生活を支える商店等で1つの町が形成されていました。父は製糖工場で働いていました。社宅の窓から見える空は、工場の煙突から出る鉛色のけむりと同じ色をしていました。窓を開けると臭い匂いがしました。その頃は、まだまだ『公害』に対する関心も薄く、環境問題に対しては今ほどの企業努力もされていない時代でしたから、私は小児喘息になり、学校にも行けず、外で遊べない日々を送っていました。学校を休んでばかりいましたから、友達ができなかったことが「新子安」の思い出です。

引越し

小児科の医師から空気がキレイな郊外で生活をするようにと勧められて、厚木市緑ヶ丘に引越すことになりました。父は休みの日以外にも時間があると私を外に連れ出しました。近くの丘陵地を自転車で走るのです。ギア切り替えがあるわけでなく普通のママチャリでしたから、家に帰る頃はもうクタクタです。お腹はペコペコで夕飯をモリモリ食べるから、体力もつき辛かった「小児喘息」の発作もウソのようになくなりました。それでも病弱だった頃の『引っ込み思案な性格』を引きずっていて、小学生の頃は絵を描くことが好き、本を読むことが好きな物静かな少女でした。 誰も信じてはくれませんが。。。(笑)

人生の転機?

厚木市立中学校に進み、今まで閉じこもっていた『引っ込み思案』という殻から脱皮するかのように明るい性格になりました。

入部した『卓球部』が面白くて夢中になり、レギュラー選手に選ばれました。卓球の顧問の先生は太って貫禄のある方でしたが、卓球をすると驚くほど敏捷な身のこなしで、その意外性が面白くもありました。教え方も上手で、卓球部は大会で良い成績を修めるようになりました。顧問の先生に可愛がってもらったこともあり、部活と塾通いの両立が大変でした(笑)。

夏休みの宿題で描いた絵が厚木市のコンテストで入賞したことが自信となりました。絵を描くことが好きだということは今のケーキ作りにも活かされていると思います。

生涯の師は父

父は、私がテストで悪い点数を取ったり、何か失敗したりしても、怒ったことは一度もありませんでした。その代わり、何が足らなくて間違えたのかを振り返り、必ず出来るようにしてくれました。仕事でどんなに疲れていても、私の勉強を見てくれました。努力すればできるのに努力を惜しむ娘を歯がゆいと思っていたことでしょう・・・父は本当に努力家でしたから。
父から学んだ「失敗の原因を見つけて成功に導く」という教えは、私が社会人になってから大いに役に立つことになりました。

高校生時代

高校は英語教育で有名な私立の高校に入りました。成績は上位ベスト5に入るように頑張りました。部活は卓球部に入部したのですが、中学生時代ほど楽しめませんでしたので途中で辞めてしまいました。

良き友人でありライバルでもあるYさんとの出会いがありました。Yさんとは手作りのものを競争しました。私がクッキーを焼いて来ると、翌日にはYさんが焼いて来るとか、古いジーンズをスカートにリメイクするとか、お金をかけないで手芸作品を競い合いました。手作りの楽しさを実感したのはこの時です。

店内のPOPや季節の飾り物はすべて手作り。
手芸に夢中だった高校時代を思い出します。

読書が好きで、読み始めると徹底して読んでしまって(苦笑)とうとう、ビン底メガネを掛けるようになりました。そして、大学は短大の英文科に進学しました。

就職して社会人に

某スタンプ会社に就職しました。ブルースタンプやベルマークの全盛期から時代はポイント制などへ切り替わる時代で、就職した会社は厳しい状況でした。この会社に株式会社紀文食品から出向してきた専務がいまして新しい事業を推進していました。『豆乳の会社』を立ち上げるという新規事業に人手が必要となり、同じ職場に居たご縁で、私が手伝いを任されることになりました。営業、人事、経理、事務等々、仕事という仕事はなんでもしました。不慣れなことが多く、なかなか上手く仕事をこなすことができませんでしたが、その時は、父から学んだ 「何が足らなかったのか? 原因を見つけて成功に導くこと」を思い出して努力しました。その甲斐あってでしょうか、豆乳事業は成功し、株式会社紀文食品の一分野として吸収されることになり、私も株式会社紀文食品に転籍しました。

転籍した紀文食品では研究開発室で勤務しました。最初は事務仕事がメインでしたが、その後商品開発の仕事をすることになりました。まずコンビニ担当の商品開発をしました。商品を10個作って採用されるのは1個か2個という厳しい世界ですが、時代はコンビニが伸びてきたころで、陳列する惣菜の『商品開発』が求められていました。売上も前月比130%の伸びを記録したこともありました。仕事の実績を認められて、埼玉県にある工場で商品開発を任されて転勤することになりました。厚木市から数時間かけて埼玉県まで通勤していましたが、しばらくすると会社が勤務先の近くに社宅を用意してくれました。

震災から人生を考える

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路の大震災のニュースを見た時、体中に衝撃が走りました。皆さんも高速道路が倒壊したニュースには驚いたと思います。全国展開をしていたコンビニの仕事で関西にも繋がりがあり、大阪の友人を見舞いながら、自分の人生を考えていました。 「人生ってあっという間、自分の夢を叶えるには今始めなければ」という思いが募りました。私が辞めることは社内中に広まりました。希少な女性の役員として生涯会社に残ると思われていましたから一大事となりました(笑)。

開店したのは3.5坪の店

洋菓子店やケーキ屋さんで勤めたこともなく、専門学校で勉強したこともない私は「怖さ」知らずにこの業界に飛び込みました。試作品を近所に配って感想を聞くのですが、無料で配っていると「お世辞」しか戻ってきませんね。みなさん「美味しいわよ」と答えてくれます。そんな中、友人が心配して、「生ケーキが無ければお客は来ないよ」 「日本人はイチゴのショートケーキが好きなんだよ」という忠告してくれましたのでホームメイド協会でケーキの基礎コースと応用コースを同時に習うことにしました。

愛甲石田駅にほど近い場所に3.5坪の三角地の物件がありました。とにかく、『お店を開く』ことが目標で、自分一人で作って売れる小さな店があれば「できる」と思っていました。なによりも、家賃が安いことが魅力でした。

お店をオープンした時は運が良かったのだと思います。駅前で通学路でもあって、主婦や高校生が入店してくれて黒字が続きました。ところが夏になると客足がピタっと止まりました。原因は「イチゴが手に入らない」こと。農家やフルーツ店、市場などと契約していなかったのでイチゴが入手できませんでした。メロンやぶどうのショートケーキは売れません。また、スペースが3.5坪なので、調理場のオーブンの熱気が店内にこもってしまい、ショーケースの中のケーキから生クリームがとけてしまう事態になりました。こうして3.5坪に賭けた私の夢は早くも転換期を迎えることになりました。

お菓子工房Sala(サラ)

店を移動することに悩みました。店を大きくするには借金が嵩みます。人件費も必要となります。反対もされました。しかし、母が「本当に頑張るなら」と資金を用意してくれました。そして、今の場所に当初は1階だけを借りて「お菓子工房Sala(サラ)」をオープンすることができました。平成9年4月のことです。

Sala(サラ)は可愛い名前で覚え易いものが良いと思って付けた名前です。窓に大きく店名の「Sala」と文字を描きました。これをセールの “Sale” と間違えて入ってこられるお客さまがいらして、店の名前は難しいと思いました。

イチゴの仕入れは直接生産者と契約することができました。取引先の乳業メーカーの紹介で粉などの材料のメーカーとも繋がることができました。人脈は宝だと言いますが、食材を安く仕入れることが出来るようになり、本当に助かりました。 私は商品開発が得意ですが、開発に集中すると周りが見えなくなってしまいます。立ち止まって落ち着いて考える時間が必要なのかもしれません。そろそろパワーを蓄積する時間を取ろうかと思っています。

地元のお土産を作りたい

厚木市はソニーや日立など大手メーカーの工場などがあり、市外から来る人が多いところです。仕事で厚木市に来た帰りのお土産として、何か地元に特化したお土産を作りたいと思っていたところ、商工会議所から、七沢温泉や大山で有名な七沢の地で畑の遊休地を使って『かぼす』作りを始めたので『かぼす』を使ったお菓子を考案して欲しい、という話が入りました。 そこで大山をイメージした三角形のマドレーヌに餡を詰め、かぼすの色をグラデーションして焼き上げたお菓子『おおやま あんマド』と『かぼすゼリー』を考案したところ、『かぼすゼリー』が商工会議所の会頭賞を受賞し、新聞に載り、全国O.E.C(おいしい)ネットワークの厚木市お勧め商品として話題になりました。

かぼすゼリー

おおやま あんマド

また、中小企業家同友会のビジネスマッチングで箱根湯本温泉の『雉子亭 豊栄荘』( http://www.hoeiso.jp/ )とコラボで作成した『箱根あんまど』がお部屋出しのお菓子として、お土産品として、箱根に来た旅客の疲れを癒しています。宿のブログにお客様から「お菓子が美味しかった」と書き込みがあったとお聞きし、嬉しく思いました。

箱根湯本温泉 雉子亭 豊栄荘

箱根あんまど

ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ

愛甲石田駅から徒歩8分のところにお店を移転しました。この辺りはスイーツ激戦区で、近くにサーティワンアイスクリーム、向かいに自家製のベーカリー、ちょっと先にシャトレーゼがあります。或る経営者の勉強会で他の店に無いものを作るべきとアドバイスされたのが「ペットと飼い主が一緒に食べられるケーキ」でした。ペットショップが依頼して「ペットが食べる」ケーキを扱っている店はありますが、ドッグフードの原料を使ったものが多くて、人は不味くて食べられません。洋菓子店が作るワンちゃんやねこちゃんのケーキはまだ存在していませんでした。

ワンちゃんやねこちゃんを家族同様に接している家庭では、家族のイベントにケーキを一緒に食べたいというニーズが生まれています。「自分の誕生日を家族に祝ってもらいたい」 「クリスマスケーキを家族団らんで食べたい」という願望を叶えたいと思って考案したのが『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』です。人間用の食材を使って、低カロリー低糖質ですくることによってワンちゃんねこちゃんにも食べられるケーキになっていて、専用通販サイトかアマゾンのサイトから購入できます。(※店頭販売は行っていませんのでご注意ください)

https://amzn.to/2J3JcX2

私の夢は

私の夢は家族の絆をお菓子で作ることです。お誕生日、クリスマス、お祝い事にケーキが幸せを演出してくれます。家族のありようも時代とともに変化しています。愛し愛されるものが存在することが幸せだと思います。ペットを我が子のように慈しみ、家族として一緒に暮らすライフスタイルがあり、ライフスタイルを応援するグッズやサービスが市場を作っています。

『ワンちゃんと飼い主が一緒に食べられるケーキ』を作るにあたっては、私の愛犬も企画から参加してくれました(笑)。たくさん試食をしてくれて、現在のケーキが生まれました。

今後は『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』を主流にネット通販に力を注いで生きたいと思います。 「ワンコと飼い主の絆をお菓子でつくります!」 これからの私を応援してくださいね。

ワンコと飼い主の絆を お菓子でつくります!

(文:高野慈子

 

Comments are closed.

ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

Page Top