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田中健介の麺食力-それから- 第9回 「閉店したお店① ~ナポリタン編~」

by staff on 2019/6/10, 月曜日

第9回 閉店したお店① ~ナポリタン編~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第九回目でございます。

前回取り上げた「磯村屋」さん、取材から間もなくして休業、そのまま新元号となった「令和」で元気な姿を見せることもなく、平成31年4月末を持って閉店となってしまいました。。。
いろんな顔を持つ横浜の歴史を彩ってきた名店がまた一つ、失われてしまったことは寂しい限りです。
拙著「麺食力-めんくいりょく-」は約150店舗の横浜の麺料理を紹介しておりますが、昨今の外食産業の厳しさや、古いお店であれば後継者不在もあって多くが閉店してしまいました。
このコーナーを始めてからはしばらくは「掲載から現在の店舗」を中心にレポートしてまいりましたが、今回は趣向を変えて「閉店してしまった名店」の現在の様子をお送り致します。まずは「ナポリタン編」ということで。

「cafe カメーリア」のナポリタン。2009年の画像ですのでお許しください。

関内から不老町交差点を横浜文化体育館へ歩く通りはかつて多くの喫茶店が点在し、我々日本ナポリタン学会では「ナポリタン銀座」と呼んでいた時期がありました。
その中の一つ、101ページに掲載の「cafe カメーリア」です。2階建てで、2階にも席がありました。
カメーリアのナポリタンは、やはり喫茶店のナポリタン!拙著では「甘い香り」と表現していますが、恐らくはバターかマーガリンを炒め油で使用しているのではないかと思います(当時そこまで聞かなかった。。。)。マーガリンの方が、香料の関係もあるので甘い香りは強く出ます。

「cafe カメーリア」だった現在は某大手天丼チェーン店に。

「cafe カメーリア」は2014年か2015年頃に閉店、その後建物はそっくりそのまま某大手天丼チェーン店へと変わっておりました。個人的には磁場がナポリタン過ぎたので、残念感がハンパなかったのを覚えています。天丼屋さん、好きですけどね。

中華街の「パンアメリカンホットドックコーナー」外観(画像はGoogle mapより)

お次は中華街。NTT東日本神奈川支店裏にあった110ページに掲載の「パンアメリカンホットドックコーナー」。私は2002年頃にこのナポリタンに出会って、そこからナポリタンにハマり、日本ナポリタン学会という妙な団体を立ち上げるに至ったのです。
クレイジーケンバンド「珈琲ブーガルー」という曲のモデルとなったお店とあって、CKBファンの聖地として人気のお店でした。

「パンアメリカンホットドックコーナー」のナポリタン。照りがたまらない。

それまでは「ナポリタン=スパゲッティをケチャップで炒めればいいんでしょ?」くらいに思っていましたが、ここのナポリタンをいただいてからは「ケチャップだけではない何か」を執拗に求めるようになりましたね。最終的にはケチャップを惜しみなく使うだけでも充分美味いナポリタンは作れることはわかったのですが、火力はどうとか、炒め油はどうとか、麺の太さは、とか、いろいろ考えるようになりました。ここのナポリタンは中華鍋でしっかり炒めていました。

 「パンアメリカンホットドックコーナー」と併設していた「中華飯店」が閉店後、
建物は取り壊され、1階がテナント入居のマンションに変貌。

2010年に閉店後、併設していた「中華飯店」がしばらく営業していたので、建物はしばらく残っていましたが、数年前についに取り壊され、いつの間にかにマンションがおっ建っていました。。。

馬車道通りにあった「ポニー」。こちらもまた名店でした。

そして馬車道通りにあった123ページに掲載の「ポニー」です。中学生の頃、友達とここで目玉焼きハンバーグを食べた思い出もある洋食店。

「ポニー」の名物、「ナポハン」。「Pony」のロゴ入り、たまらないですな。

ここはナポリタンハンバーグ、通称「ナポハン」が有名でした。肉感のあるジューシーなハンバーグと見た目シンプルですが味わい深いナポリタン。ポテサラ付きというのは野毛の「センターグリル」もそうですよね。

「ポニー」なき後はラーメン屋に。飲食店だった店舗はやはり飲食店になる傾向。

2012年夏、「70歳、厨房の暑さに負けました」の貼り紙を残しての閉店。寂しい!馬車道通りは今もそれなりに賑わいがありますが、素晴らしいナポリタンにありつけるお店がなくなってしまいました。。。

レストランタマガワ外観。イラストに造詣のあった先代が手掛けたキャラクターロゴと大阪万博で買ってきたという熊さんがステキでした。

お次は福富町へ。「おいしんぼ横丁」に存在した128ページに掲載の「レストランタマガワ」です。ホテルニューグランド初代総料理長のサリー・ワイル氏の弟子である小野正吉氏の下で修業した先々代が府中市で創業し、戦後横浜・吉田町に移転。ここ福富町は1973年から営業してきました。

あの小山薫堂氏も激賞したナポリタン。こちらもお店のロゴ入りの皿がステキ。

ボルカノスパゲッチ2.2mmの麺にデルモンテのケチャップ、そして40年以上継ぎ足しで守り続けたデミグラスソースが隠し味のナポリタン。具にセロリが入っていたのが他にはない貴重なナポリタンでした。FMヨコハマの小山薫堂氏の番組に日本ナポリタン学会がゲストで呼ばれてこのタマガワのナポリタンをスタジオへ持参したのが良い思い出です。

タマガワなき後はコインパーキングに。。。

惜しまれながら2017年9月に閉店、その後は取り壊されてコインパーキングになってしまいました。。。
長年店先に立ち続けたクマさんは、日本ナポリタン学会で捕獲しました。イベントなどで出てくれています。
それと。デミグラスソースは閉店後も大切に保存されていて、タマガワのナポリタンはどこかで食べられる可能性を秘めています(実はひそかに復活しているのですが、それはいずれどこかでお知らせします)。

2018年12月で閉店した「あの頃の洋食 洗濯船」

最後は本コーナー第9回「本当のあの頃の洋食になる前に」でご紹介しました、「あの頃の洋食 洗濯船」です。詳しくはそちらを見ていただければ良いかな?ということで、ナポリタンの写真は割愛します。

洗濯船は建物そのままに、定食屋さんに変わっておりました。

ナポリタンだけでも、結構閉店していますね。そして閉店後は何もなかったかのように別のものになっていきます。街は常に動いています。なくなったものを嘆いたり、昔を懐かしむのもそこそこに、今頑張っているお店を引き続き応援していきたいですね。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

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