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横浜市立大学附属市民総合医療センター教授 鈴木ゆめ先生

by staff on 2019/7/10, 水曜日
鈴木ゆめさん
鈴木ゆめ先生
 
お名前 鈴木 ゆめ(すずき ゆめ)
ご出身 東京都出身
お住まい 横浜市中区在住
お仕事 横浜市立大学附属市民総合医療センター教授(一般内科)
趣味 小説を書くこと

 

「ゆめ」という名前は本名ですか? 珍しいお名前ですが・・・

父は四国の出身で小説家志望だったそうですが、国家公務員をしていました。それで娘に「夢」を託したのかもしれませんね。ただ、「名前を重荷に感じるな」「自分の好きなように生きていいよ」と言われてきました。医師になって結婚して、「鈴木先生」ではなく「ゆめ先生」と呼ばれるようになりました。そう呼ばれると、いい名前なんだと実感しています。

どのようなお子さんだったのですか?

大人しい子どもでした。
中野区立桃園小学校に入学して、勉強をコツコツ真面目にやる女の子でした。
父がたくさん本を買ってきてくれたので、毎日本を読んでいました。日記を書かせられてトレーニングになったのか、作文は得意でした。家庭科クラブに入って、編み物や手芸なども好きでした。
それから「人間」に興味を持っていました。これは後に医師になるには必要な素質でしたね。

中野区立第十中学校では、英語クラブに所属して英語劇に出ていました。
優等生タイプでしたが、友達とローラースケートやアイススケートに行ったり、夏休みにはプールに行ったりして、仲良く遊んでいました。中学校時代に、様々な環境の友達と幅広いネットワークを持てたことは、貴重な体験でした。

高校は、都立西高校に進学しました。
クラブはESS( English Speaking Society) でした。英語を話し、楽しむ部活動です。
文化祭などで英語劇をやって、私も出演しました。英語劇のために他クラブの友人たちも協力してくれて、友達の優しさを感じたことなど、懐かしいですね。
高校時代は、精神科医になりたかったのですが、理系科目に対してアレルギーがあったので、最終的には文系受験を選択しました。当時、国立市に住んでいたこともあり、一橋大学で心理学を学んでカウンセラーを目指そうと、一橋大学社会学部に入学しました。

心理学を専攻されたのですか?

大学では友人たちと精神分析研究会をつくって、一橋祭(文化祭)で心理テストを紹介したりしました。
精神科医の岡庭武先生が保健センターにいらして、指導を仰いでいました。
岡庭先生の下で精神分析を学びたいと有志で署名を集めて大学に働きかけて、社会学部に岡庭ゼミを開設してもらいました。大学3年生の時に、岡庭ゼミの一期生となりました。
岡庭先生は、沖縄復帰前の1964年に日本政府から精神科医として派遣された経験をお持ちで、ゼミで沖縄に研修旅行に行ったこともあります。
大学時代の私は好奇心が旺盛で、フロイトの研究や心理テストなど、自分の興味のあることには積極的に取り組んでいました。
大学時代の卒論は「ロールシャッハ・テストの解析」でした。

なぜ医師を目指されたのですか?

精神分析を勉強するにつれて、治療をするには医者でないと・・・という想いが日に日に強くなりました。
それで医師になることを決意しました。
両親には、大学院に入ったらあと5年くらいかかるのだから、医学部で6年かかってもあまり変わらないと説得しました。両親はあなたが決めた道だから・・・と反対しませんでした。一人娘を自由に生きさせてくれた両親には感謝しています。
大学卒業後1年間勉強して、横浜市立大学医学部に入学しました。
横浜市立大学の医学部を受験したのは、一橋大学の先輩で探検家である関野吉晴さんがいらしたこともありました。
一橋大学卒業の医師は結構多くて、同窓会には「如水医人会」というのがあって、現在医療関係者101名の会員がいますよ。

医学の勉強はいかがでしたか?

一橋大学では女子学生が全学部800人中で33名でしたが、横浜市立大学医学部は60名中女性が18名はいたので女性比率は、こちらのほうが高かったのです。

生物は元々好きだったので良かったのですが、医学部時代は、覚えることがとにかく多くて大変でした。学費は自分で出していたので、医学の勉強と家庭教師のアルバイトに明け暮れる日々でした。

文章を書くことが好きだったので、大学では医学部内の新聞部でコラムを担当していました。日々のことを書いていたのですが、先輩に褒められたことを覚えています。

「神経内科」を専攻しました。
「神経内科」は、脳や脊髄、筋肉、神経などに生じる炎症、変性、ホルモンなどの異常を原因とする病気を診療する内科です。脳梗塞や認知症、パーキンソン病などの認知、感覚、運動などの異常や頭痛、めまい、しびれなどの症状を診察します。
症状について患者さんと話し合いながら、症候から病名を診断していきます。謎解きのような感じですね。

認知症の本を2冊出版されているそうですね?

大学の市民講座で認知症についての講演を担当していたのがきっかけとなり、分かりやすい認知症の本を書いてくださいとの依頼があり、実業之日本社から「認知症これだけ知れば怖くない」という本を2013年に出版しました。この本が結構評判よくて、もっと読みやすくということで、河出書房新社から「無理をしない認知症との付き合い方」という本も出版しました。


「認知症これだけ知れば怖くない」
 
「無理をしない認知症との付き合い方」

本を出版したことで講演依頼が増えています。
また公官庁の広報誌に毎月連載を持っておりまして、認知症だけでなくそれに関わることに広げて、今年で4年目になります。

医師であり大学教授であり家庭人でもありと八面六臂のご活躍ですが、「女性が働き続けること」についてどう考えられていますか?

私の場合は結婚して子どもを産んでからずっと、私の両親と一緒に暮らしていたので助かりました。神奈川県医師会の男女共同参画担当の委員なども拝命しておりますので、公の場で女性医師の働き方、キャリア形成ついて私の意見を述べてきました。それは「家事を外付けにする」ということです。仕事も家事も自分でやりたい・・・と思う方が多いようですが、決して無理はしないことです。家事は他人に任せて、自分の時間を作っていくことが、仕事の継続には必要なことだと考えます。私自身は産前産後8週の産休を取得して職場復帰しましたが、医師の勤務は肉体的に大変でした。仕事は緊張の連続ですから、家ではゆったり暮らしたいと考え、その環境を作ってきました。娘は歯科医です。私の背中を見て医学を志してくれたことは嬉しいですね。

趣味は「文章を書くこと」だそうですが・・・

私にとって「文章を書くこと」は気分転換になりますし、ストレス発散にもなっています。書いているときは自分だけの大切な時間です。これからもいろいろなものを書いていきたいです。特に、私の経験から皆様のお役に立つ内容を盛り込んだサスペンスコメディーを出版したいと考えています。今書いているサスペンスコメディーは、35歳の女医を主人公にして、読者を楽しくする内容にしています。

鈴木さんにとって「横浜」は?

「横浜」とのご縁は、横浜市立大学医学部に入学してからですが、私にとって「横浜」は、親しみやすくて、他者を受け入れてくれる「やさしい街」です。排他性がないのは「港町」からでしょうか。

現在は横浜に住んでいますが、横浜に望むことは「自慢できる街」になってほしいということです。横浜の独自性がもっと前面に出てほしいですね。2019年、2020年と大きなイベントが続いて、横浜を知ってもらうチャンスなので、この機会を生かして「オープンな街」横浜になってほしいです。

私にとって横浜は、「やさしい街」です。

<取材を終えて>

ゆめ先生は、医学部の教授で認知症の専門家ということで硬いイメージがありましたが、お会いしてみると、とてもソフトで人間愛にあふれた方でした。お話もお上手で、全国各地で講演されていらっしゃる所以がよくわかります。

横浜が舞台だという、ゆめ先生が書かれる「サスペンスコメディ」を早く拝見したいですね。ヨコハマの知識人としてのご活躍を願っております。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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