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しあわせの「コツ」(第32回) 「風の国」のジャポニカ

by staff on 2019/8/10, 土曜日

第32回 「風の国」のジャポニカ

初夏の風に揺れる「ちがや」 桑名市総合医療センター「理事長の部屋」
http://www.kuwanacmc.or.jp/rijichoblog/…

「風」

作詞 クリスティーナ・ロセッティ(訳詞 西條八十)

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
 
誰が風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない
けれど樹(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

唱歌「風」を日本の歌だと思っている人は多いのではないのでしょうか。実は19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティ(1830―1894)の作品を西條八十が訳したものなのです。花鳥風月を愛でる日本人にとって、詩の内容はあまりにも自然なので、まさか翻訳とは思わなかったのでしょう。

実際、日本人は「風」が大好きです。ですから「風」を含む言葉が思いのほか沢山あります。北風、南風、春風、秋風、台風、そよ風、という自然現象を表す言葉だけでなく、風情、風俗、風物、風流、風習、風趣、風貌、風采、風紀、風雅、風評、風化・・・など、実に様々な「風」ことばがあります。俳句の季語にはさらに「白南風(しらはえ)」「黒南風(くろはえ)「雪解風(ゆきげかぜ)」などというこまやかな風ことばが数多あり、日本人の風に対する豊かな感性を感じないではいられません。

でも、歌にあるように一体「誰が風を見たでしょう ぼくもあなたも見やしない」。「風」は「あ、これが風だ」と指を指すことはできませんし、どれほどすぐれた電子顕微鏡でも「風」を見ることはできません。どこからどこまでが春風だと、物差しで測ることもできません。

「見えないけれど確かに存在するもの」。
そういうものを捉える感覚において、日本人ほど敏感な民族はいないのではないでしょうか。

また、「見えない」という存在の仕方から、自由に想像がはばたき、多くの比喩が生まれます。例えば「永田町に解散風が吹いた」とか「彼は臆病風に吹かれた」と言う場合、「解散風」「臆病風」と言う風が自然現象としてあるわけではなく、解散へと事態を動かしていく「何か」、なぜか臆病にさせてしまう「何か」、そうした得体のしれないエネルギーの動きを「風」と呼んだりもしますね。

「臆病風」をググったらこんなイラストが出てきました(笑)。
このイラストは「臆病」と言う個人の精神状態を、「風」という外から来る得体のしれないものからの影響と考えているのが良くわかります。

「風」は、また、何か新しい物を運んできます。「風の便り」「風のうわさ」と言う言葉がありますが、文字通り、「風」が情報を運んでくるものだという認識があります。誰と発信源は特定できないけれど実害のある「風評被害」も最近は増えていますね。これも(ネガティブな意味ではありますが)情報伝達の一種です。

また、「~風」は、様式やスタイルを表すときに使います。たとえば「ギリシャの神殿風の建物」というと、ギリシャの建築様式を模した建物のことですし、「中華風のお惣菜」というと、本格的な中華料理ではないものの、中華料理のスパイスや調味料を使って中華の要素を加味したお惣菜になります。

「こんな風に」の「風」、「風流」「風雅」の「風」は、見た目やスタイルを指しています。だから見た目がさえないと「風采があがらない」のです。江戸時代の人は「風流」とか「粋」と言われるために、まだ肌寒いうちから一重を纏い、暑くても他人の目には涼しげな絽や紗の着物を着ました。

絽の着物 「やみくも着物ライフ」
https://blog.goo.ne.jp/nagomikenkyusho/…

私もかつて義母に絽の着物を作ってもらいましたが、絽自体は透けるので涼しく見えるのですが、その透明感を出すために下に長襦袢を着なければなりません。炎天下ではそれが暑くて、背中が汗でぐっしょりになった記憶があります。「風流」と言う「風」を吹かせるために暑さを我慢して着たのでした(笑)。

こうしてみると、自然現象を除けば、「風」は、① 外から吹いてきて自分や周囲を突き動かすもの(解散風や臆病風など)、② 何かを伝えるメディア的な働きをするもの(風の便り、風評など)、③ 何かの様子を形容する時の比喩的表現(~風)とがあるようです。どれも「捉えどころがない」と言う点では共通しています。

もう一つ共通しているところは、どの場合も「風に吹かれる」という受け身の状態にある、ということです。日本人が「風」好きなのは、おそらくこの「受け身」性にあるのではないでしょうか。「しかたがない」と言う言葉がありますが、外の変化をやさしく受け入れて自分をそれに合わせていくことで生きながらえていく―そんな生き方を昔からしてきたように思います。

では、人間はいつも「風」に吹かれっぱなしで、「風」の主人公になれないのでしょうか? そんなことはありません。「風」は巻き起こすことができるのです。自分が発信源となって、外へ外へと旋回するように広がっていく風の中心になることができるのです。「旋風」という風は、あなたから生まれる風にほかなりません。「風雲児」ともなると、「風」だけでなく、「雲」まで湧き起こしてしまうのですから大したものです。

沖縄 座間味の海

どうしたら自分から「風」を起こすことができるのでしょうか? それは「自分軸」を立てることに尽きます。「誰かが言ったから」「本当はやりたくないけどみんなが言うから」という他人軸で行動している限り「風」は起きません。自分に正直に、本当にやりたいことを実行する時、たとえそれがどれほど小さな事であろうと、「風」は起きます(強いか弱いかは別にして)。

「風」が起きるということは、周囲を変えていることになります。少なくとも、「自分がどういう人物か」を周囲に発信していることになります。自分の心に忠実に沿って行動する時、一見わがままに見えたり、荒唐無稽に見えても、周囲を動かす「風」となって少しずつ事態が変化していくことでしょう。

一体日本人にとって「風」とは何なのでしょう?
それは 「生き方の美学」にほかなりません。周囲を変えながら、事が終われば跡形もなく去っていく―。残るのは人々の記憶の中だけ。すすき野原の上を音もなくさぁっと通り過ぎてゆく一陣の風のような生き方。名誉栄達を極めるよりも、そんな「風」のような生き方を日本人は「美しい」と思ったのです。

箱根仙石原のすすき野
「世田谷自然食品ブログ せたがや日和」
https://biyori.shizensyokuhin.jp/articles/…

そういえば、そんなヒーローが昔、人気を博していましたね。

「疾風(はやて)のようにあらわれて 疾風(はやて)のように去ってい」く人を、いつの時代も日本人は「カッコいい!」と思うようです。

ご存知 月光仮面
「ミドルエッジ」
https://middle-edge.jp/articles/…

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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