しあわせの「コツ」(第35回) 「お客様」の正体
第35回 「お客様」の正体
昔から「うるさい客」はいましたが、最近のモンスタークレーマーにはあきれるばかりです。店員の些細なミスに激高して過大な弁償を要求したり、理不尽な注文を「客の権利」とばかりに店側に突きつけたり、常軌を逸しています。
こういう客が現れるようになったのは、どうも「お客様は神様」ということが広く言われるようになってからのような気がします。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この言葉を最初に言ったのは歌手の三波春夫さんです。三波さんはどういう文脈の中で言ったのでしょうか。
1961年ごろ、三波さんは宮尾たか志さんとの対談の中でこう言っています。
宮尾「三波さんは、お客さんをどう思いますか?」
三波「うーむ、お客様は神様ですね。」
三波「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」
三波春夫
よく読むと、三波さんは「お客様=神様」とは言っていません。「お客様を神様とみて」「あたかも神前で祈るときのように」歌うと言っているのです。それは目の前にいる人間に向かって歌うというより、自分の歌を「神へ奉納する」姿勢であるように見えます。
つまり「神様がお客様」ということなのです。
三波さんの言葉を読めばお判りのように、この言葉は演じ手の心構えや覚悟を現しているのであって、決して「あなたは神様です!」と客に思わせる「おもねり」ではありません。目の前の観客が居眠りしていようと、評論家が酷評しようと、演者の視線はそこになく、ただ目に見えない神様へ捧げるつもりで、一点の曇りもない心で歌うだけなのです。
演者の心構えとして、これ以上のものはありません。世阿弥も演じ手と観客の関係性を「離見の見」(りけんのけん)というコンセプトで表現していますが、それは「演じる自分と観客」との関係であって、「神様」は出てきません。三波春夫さんが「お客様は神様です」と言った時、私たちはそこに芸に対する厳粛なまでの姿勢を感じ取らなければいけなかったのです。
残念ながら三波さんほど高い意識を持ち合わせていなかった人々は、「自分たち客が神様だ」と勘違いし、さらに「神様だから何をしてもいいのだ」とダブルで勘違いし、「モンスタークレーマー」となっていたのでしょう。
あるサイトにこんな痛快なエピソードが紹介されていました。
「なにぃ、お客様は神様だぞ!俺の要求通りの料理を出せ!」
と息巻くクレーマーに、居酒屋の主人が「うちは神様にはこれしかお供えしないんですよ」と言って、小皿に盛った塩と生米を出したそうです。さぞクレーマーはびっくりしたでしょうね。拍子抜けした様子が目に浮かぶようです(笑)。
クレーマー対策を兼ねた、ユーモアあふれる居酒屋のメニュー
モンスタークレーマーは「神様」と「王様」を混同しているのではないでしょうか?その理由を私なりに読み解くと次のようになります。
1960年代に入ってから消費型社会へと世の中が変化し始めました。「消費は美徳」という風潮が広がりはじめたのです。今まで「節約が美徳」とされていたのですから、180度の大転換です。成人した兄たちの話をそばで聞きかじっていた子供の私は、「消費者ローン」は、「市民ケーン」のような映画の題名かと思っていました。中学に入り、英語を学ぶようになってから「ローン」は人の名前ではなく、loan(貸付)という一般名詞であることを知り、住宅のような大きな買い物でなくてもお金を借りて買い物していいのだ、と新鮮な驚きを感じた覚えがあります。
「消費は美徳」の流れから、「お客様は王様」と言われるようになり、庶民の財布のひもをいかに緩めさせるかが、企業の努力目標になっていきました。
「お客様は神様です」—三波さんがこう言い始めた時、人々は「王様」も「神様」も一緒くたにして、「お金を払う自分は偉い」と言う感覚になって行ったような気がします。本当に意図したことが正しく伝わらないままにこの言葉だけが一人歩きし、いつしか傲慢な客を生んでいったのでしょう。
かつて「王様のレストラン」というテレビドラマがありました。潰れかけたレストランを伝説のギャルソンが立て直していく話で、松本幸四郎(現松本白鸚)さん扮するギャルソンがこう言うシーンがありました。
「わたくしは先輩のギャルソンに、 お客様は王様であると教えられました。
しかし、先輩は言いました。
王様の中には首を刎ねられた奴も大勢いると。」
そう言って失礼な客を追い出すのです。
連続テレビドラマ「王様のレストラン」
人が「王様」でいられるのは「お金を払ったときだけ」と言うことを忘れてはいけません。言ってみれば「お金で王様の身分を買った」インスタントキングなのです。名君である王様なら、周囲を慈しみ、ねぎらい、感謝を惜しまないでしょう。
再び三波春夫さんの話に戻りますが、「お客様を神様とみて」と言うとき、三波さんは「お客様の中に神様を見よう」としたのではないでしょうか。どんな人のなかにもある良心、あるいは内在神とか、ハイヤーセルフと呼ぶ人もいるでしょう。そうした存在に自分の芸を見ていただく、ということだったのではないかと思います。
だとしたら、見る側も内面の神が現れるような姿勢が求められますね。幸い日本には陽気な神様が大勢います。そうした神様たちのように、陽気に、リラックスし、ワクワクした気持ちでパフォーマンスを楽しみ、演者と一体になった時空を創ることが演者への最高の賛辞となるのです。
そして見る側同士も和やかに交流すれば、本当に幸せな時空が生まれることでしょう。それを社会規模で広げるコツを、物理学者で伯家神道の継承者である保江邦夫さんの言葉ほど的確に表現している言葉はありません。
「人を見たら神様と思え」
保江邦夫さん
この言葉が世界中に広がるといいですね。
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