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しあわせの「コツ」(第36回) マザーテレサが最後に戦ったもの

by staff on 2019/12/10, 火曜日

第36回 マザーテレサが最後に戦ったもの

大人気のスピリチュアルカウンセラー、並木良和さんの著書「目覚めへのパスポート」(㈱ビオ・マガジン刊) に、マザーテレサのこんなエピソードが載っていました。

彼女は亡くなる一週間くらい前から精神のバランスを崩し、まるで悪魔に取り憑かれたようになってしまったそうです。エクソシスト*(悪魔祓いの専門家)を呼んだのですが、祓うことはできませんでした。

何故なら、悪魔だと思っていたのは実は彼女の「エゴ」だったのです。たとえエクソシストでも(外から来た魔物でなく)本人の内側にあるエゴを祓うことはできません。エゴは、自分自身がそれを見たくなくても正面に見据え、受け入れて自分の中に統合していくしかないのです。

*エクソシスト
悪魔祓いをする司祭。バチカンはエクソシストの存在をきちんと認めており、「国際エクソシスト協会」という組織も作られています。

マザーテレサは、いつも神の神聖さと自分の内なる神聖さにのみ目を向け、エゴをその対極の醜いものと思っていました。そのため、エゴと戦ってしまい、自分の中に受け入れなかったのです。だから今はの際に周囲も見ていて辛くなるほど酷く精神的に荒れてしまったのです。

けれども、息を引き取る最後の最後に、彼女は空中に手を伸ばし、「あなただったのね」と穏やかな表情でつぶやきながら、まるで空中の誰かを抱きしめるようにして亡くなったそうです。彼女は「エゴも神聖な自分の一部である」ことを最後に悟り、エゴを抱きしめて天国に旅立っていったのでした。

自分の中の醜い部分は誰だって触れたくありません。そんなものなど無かったことにしたいと思うでしょう。マザーテレサのエピソードはそう言う考えの行きつく先を示してくれたように思います。

では、次に以下の一節をお読みください。老子は、そんな考えを軽くいなすかのように、こんな風に語っています。

「世界に美しいとされるものがあれば、
その美しいものを通じて、醜いものが現れる。
世界に善であるとされるものがあれば、その善を通じて、悪が現れる。
存在と非存在は、互いに他を生じ、止むことがない。
難しいことも簡単なことも、互いに他を通じてなし遂げられる。
長いものと短いものは、互いに他を補っている。
高さと深さは、互いに寄り添って存在している。
音と静寂は、調和を作り出す。
以前と以後は互いに付き従う。
万物と無は同じ顔をしている。」

老子「道徳経」

(訳は、分かりやすいので、2016年11月4日のバラ十字会の公式ブログより引用しました。Amorc.jp)

中国河南省周口市の老子像

老子によれば、醜いものは「美しいものを通じて現れる」のです。相反するように見えることも、「互いに他を生じ」ており、しかもその営みは「止むことがない」のです。「太極図」の陰陽のように、互いに相手を生み出しあっていると考えれば、失敗や欠点は成功や美点を引き立てるものといえるのではないでしょうか。

「太極図」
(正式には「大陰太極図」という)

世の中はすべて「陰」と「陽」のバランスによって成り立っています。陰と陽は表裏一体であり、完全な「陰」、完全な「陽」は存在しません。もしマザーテレサが老子の教えを知っていたなら、エゴも自分を構成する大切な要素だと理解したことでしょう。でも、彼女はエゴも自分のかけがえのない側面であることに最後になって気づき、エゴを抱きしめ、一つになって昇天していきました。まさに聖女の名にふさわしい方ですね。

陰と陽、光と闇-古来より色々な宗教や哲学が、こうした二項の関係について様々な説を唱えてきました。

そうした中では、日本の「カタカムナ」文書の世界観は群を抜いて面白いものです。例えば、「カタカムナ」では「闇」とは「ヤ」(=飽和)と「ミ」(=光)が合わさったものです。「闇」とは「飽和する光」のこと。光が振動することもできないほどある枠内にひしめき合っている状態が「闇」なのです。そしてその飽和状態に動きが加わると、そこに「光」が現れます。「光」と「闇」は、実は同じものだったのです!
(このあたりのことは 吉野信子著「カタカムナの時代が到来しました」徳間書店刊 に詳しく書かれています。)

カタカムナ文字 平面に書かれているが、
本当は立体であると言われている

このカタカムナの思想は、単なる一元論とも異なります。

宇宙には「光」しかない、というのです。その「光」が振動している(回転している)時は文字通り「光輝き」、動きを止めて不活性な飽和状態の時を「闇」と呼ぶ、というのです。この考えを敷衍すると、世の中に「悪」は存在しないことになります。「悪」とは「善」が完全に不活性な状態のことで、「善」の活性度が上がるにつれ、「善」なる状態が増えていく、という訳です。

善も悪も、「同じものの在り方の違い」に過ぎないのであれば、善「と」悪のように区別し、分離する必要もありません。日本語には上下、左右、白黒、前後など、「善悪」のように、両極が分かちがたく結びついた言葉が沢山あります。これは「カタカムナ」的宇宙観が私たちにも受け継がれているからではないでしょうか。

「カタカムナ」は何万年も前、日本人が自然に持っていた宇宙観ですが、今も私たちの心を揺さぶる何かがあります。マザーテレサがもし「カタカムナ」を知っていたら、「ああ、そうだったの」と早くからエゴと和解して、幸せのうちに天国へ旅立ったことでしょう。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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