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癒やしの音楽クリスタルボウル奏者 守谷直恵さんの歩まれた音楽人生

by staff on 2020/4/10, 金曜日

今回はクリスタルボウルという水晶でできた楽器とピアノで独自のライブ活動をなさっている守谷直恵さんにお話をお聞きしました。音楽で人を癒やす、そんな使命を持つ守谷さんの音楽人生を覗いてみました。

守谷直恵さん
守谷直恵さん
 
お名前 守谷 直恵(もりや なおえ)
お生まれ 4月13日生まれ
お住まい 横浜市
お仕事 クリスタルボウル奏者
ピアニスト
趣味

 

守谷さんの音楽との出会いはいつ頃でしたか

幼少の頃からでしょうか。音楽好きな母に育てられ、物心ついたときから寝る時間になると子守唄がわりにクラシック曲のレコードをかけてくれました。またドイツ民謡『故郷を離れて』などお風呂で良く二重唱をしました。小学校に入る時、有名な曲はほとんど知っていたと思います。パタパタと音を立てる足踏みオルガンが、鍵盤楽器との最初の触れ合い、5歳になる頃には兄を追ってピアノを習い始めました。当時は演奏家気取りに奏でて遊ぶのが好きでしたが、楽譜通りに弾く練習は嫌いでしたね(笑)。

そんな守谷さんが音楽と真剣に向き合うようになったのはいつ頃でしょうか

高校生になって、将来を真剣に考えるようになった頃です。その頃、音楽に命をかけていたクラスメートがいました。彼女の楽器はエレクトーンだったのですが、私に作曲や編曲の楽しさも教えてくれました。彼女の真剣な取り組みに大いに刺激を受け、私もピアノと真剣に向き合うようになりました。また練習すればするほど自分の演奏が変わってくることに面白さも感じ始め、のめり込むようになり、音楽の道に進むこと、音大を受験することを意識するようになりました。ただ、ピアノ科に進むには、手が小さすぎると先生に言われ、どうしたものか、考えあぐねていました。そんな時、作曲、編曲、ピアノ、歌、指導法など私が学びたい全ての要素が入っている学部がある、というのを教えていただきました。それが、国立音楽大学に当時あった教育音楽科Ⅱ類でした。そこでは、リトミックを中心に多角的に音楽を学ぶことができました。日本でいうリトミックは幼児のための音楽教育、というふうに解されていますが、本来は、音楽家が感性を高め演奏の表現が豊かになることを目的にスイスの作曲家教育音楽家のエミール・ジャック=ダルクローズが編み出した音楽教育法でした。即興演奏はとても重要な要素で、それこそまさに私が学びたいものでした。

専門的な音楽の学びになってきましたね。大学時代の思い出は

国立音楽大学では、4年間、自由でゆったりした環境の中で、個性豊かな仲間と教授陣に囲まれて音楽を学びました。卒業作品は『編曲』で、交響曲を二台ピアノに編曲した作品を提出しました。提出前の1週間は徹夜続きで、本当に大変でした(笑)。

大学3年の頃、友人と3人でヨーロッパ旅行に行き、スイスのジャック=ダルクローズ音楽院で本場のリトミックの授業を見学することができました。目からうろこが落ちたような衝撃を受けました。バレエやダンスではないのですが、「歩く」や「走る」などの動きや、雨や嵐などの森羅万象、喜怒哀楽のすべてを美しく即興でピアノ演奏され、その中で子供たちが伸び伸びと動くのを目のあたりにしました。これこそがリトミックの神髄である、そう確信した瞬間でした。またもう一つの出来事としては、音大卒業時に声楽の先生のお勧めで受けた東京二期会オペラ研究所の研究生の試験に受かり、声楽の世界とも深く関わりを持つことになりました。

音楽のパーツがそろってきましたね。卒業後はどんなお仕事をされたのですか

卒業後も、指導者としての学びを続けながら、子供たちにピアノやリトミックのレッスンの仕事をしていました。その傍ら、二期会の研究生として声楽も学び続けました。音楽の指導と、声楽家の勉強の両立は並大抵のものではありませんでした。結婚して子供も生まれ、そんなタイミングで夫の転勤、サンフランシスコでの6年間の生活が始まりました。アメリカでは、リトミックの鬼才と言われる故リチャード・エイブラムソン氏の授業をニューヨークのジュリアード音楽院で受ける機会を得ることができ、エイブラムソン氏の天才的な即興演奏に釘付けになりました。学院では、当時英語もままならない私にとってハードルがとても高かったのですが、リトミック指導者国際免許の試験にも挑戦しました。試験科目の一つにハーレムのプレスクールの子供たちを相手に、リトミックの模擬授業をすることがあり、試験が始まるそうそう先生からはダメ出しの嵐。もうダメだと思いながらも最後まで頑張りました。結果は、意外なものでした。先生のおつきの方が、私の耳元で、「先生が君のレッスンは好きだ、と言っていた。」と教えてくれました。後から分かったのですが、それは合格の意味だったのです。先生曰く、その授業で一番大切なのは、「音楽」を感じられるレッスンかどうか、でした。リトミック指導者国際免許を取得できた瞬間でした。

大きなお土産付きで日本に帰国されたのですね。帰国後の生活はいかがでしたか

アメリカ文化の中で育っていた私の子供たちにとって、まさにカルチャーショックの始まりでした。日本での生活は、勉強、友達関係と、試練続きのものでした。そんな中、夫は単身赴任で今度は台湾行きが決まりました。子供たちの父親代わりも務めながら、近所の子供たちを相手にピアノ、リトミックの指導を細々と続けました。私が物心ついたときから鬱病だった父の容体はますます悪化し、両親の心配も抱え込んでいました。とにかく自分が頑張らなくては、と必死に過ごす毎日。そんな思いで日々を送るうち、限界がきてしまいました。胃炎を繰り返し、体はボロボロになりました。何軒も病院に通い、数えられないくらいの薬も処方されましたが、一向によくなりませんでした。そんなとき出会ったのがヒーリングの世界でした。自分の中が癒やされ、体が温まってくる感じを覚えました。ヒーリング手法の一つ、レイキを学び始めると、物事の捉え方が180度変わりました。「先ずは自分を愛する、幸せになることが自分の周りの人も幸せになっていく」ということを知ったのが、本当に大きな気づきでした。それまで自分が苦労するのが美徳だと思っていたのです。気持ちが変わり、体調も改善されると、不思議なことが色々起こるようになり、素晴らしい人々との出会いにも恵まれるようになりました。そんな良い気のつながりの中で出会ったのがクリスタルボウルでした。初めて聴いたクリスタルボウルの音は、まるで何かを飲み込むように口から入ってくる感じでした。クリスタルボウルは水晶でできていて、癒しと浄化を促す大変繊細な楽器です。自分の心の状態を映しますし、演奏する環境によって音は如実に変わってくるのです。旅行には可能な限りクリスタルボウルを持って行って、この場所ではどんな音がするのかしら、と感じながら演奏するのが何より楽しみになりました。聴く人にとって、今必要なものを与えてくれる作用があると感じています。奏でれば奏でるほど、「音楽は、この世の全てに必要なものとして神様が与えてくれた神聖なもの」だと思うのです。自分と同じように苦しんでいる人がいるなら、自分の体験を共有することによって苦しみを和らげることができるかもしれない、そんな思いが今のクリスタルボウルの演奏活動につながっています。この音を奏でることによって、「この世のすべての人が幸せに暮らせる世の中になって欲しい」、それが私の使命のようにも感じているのです。もっともっと多くの方に聴いていただきたいと思っています。

カンボジア旅行でクリスタルボウルを奏でる守谷さん

クリスタルボウルを使ったボイストレーニング風景

守谷さんが行き着いたクリスタルボウルの音楽の世界、是非聞いてみたいと思いました。近々の活動について教えてください。

その他の情報は、随時こちらにアップしておりますのでご覧下さい。

クリスタルボウルのコンサート終了時のひととき

守谷さんにとって横浜とは

守谷さんにとって横浜とは、、、「感謝」です

(インタビュー&文:井上千鶴

 

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