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横浜初の相撲茶屋「立浪」のオーナー 長沼伸治さん

by staff on 2020/7/10, 金曜日
長沼 伸治さん
長沼 伸治さん
 
お名前 長沼 伸治(ながぬま しんじ)
お生まれ 1964年生まれ
ご出身 埼玉県加須市
お住まい 横浜市南区
趣味 カラオケ
立浪部屋の応援(立浪部屋横浜後援会 会長)
お仕事 株式会社長沼組 代表取締役
HP https://www.naganumagumi.co.jp/

 

どんな幼少時代でしたか?

埼玉県加須市で生まれ育ちました。生家は肉屋さんでしたら、時代の波におされて閉店しました。小さいころからやんちゃで「がき大将」でした。小学校の卒業論文では「パン屋になりたい」と書いていましたね。小さい時からリーダー的な存在で、中学校ではよくケンカもして、いわゆる「番長」でした。妻は中学校の2年後輩ですから、私のやんちゃぶりを知っている一人です。(笑)

横浜に出てきたのは?

30年以上前になりますね。埼玉から一旗揚げようと思って横浜に来ました。建設業に就職して、足場を組む仕事を始めました。結婚して子供ができた頃だったので、必死に働きました。2年後には親方として、複数の職人を連れて独立しました。「長沼組」の創業です。それまで給料制でしたが、出来高制になって責任もありましたし我ながらよく頑張ったと思います。

30歳を過ぎたころ、職人は100人を超えていました。それで、1997年に有限会社「長沼組」を設立して法人化しました。

工事現場の作業員が足りない時代でしたから、きちんと仕事をしていれば、特に営業をしなくても受注が増えていきました。仕事は信用が大事ですね。新聞の求人広告やタウン誌などで募集をかけて、職人が200人を超えました時もありました。「故郷に恩返し」をしたいと、埼玉県加須市にも営業拠点を作りましたし、東京にも何か所か営業所・支店を開設しました。

妻は創業当時から経理事務を担当してくれて、二人三脚でやってきました。2男1女に恵まれて、創業30年を超えた今、成人した3人の子供たちとその連れ合いたち全員が我が社で様々な業務を担当してくれています。子どもたちには、「好きなことをやるように・・」と言ってきたのですが、高校のときから作業員のアルバイトをするなど、自然に会社の仕事に携わるようになりました。

長沼組は順調に業績が拡大されたのですね?

おかげさまで建設業にとってはいい時代だったですね。それでも紆余曲折は何度もありました。2004年に発生した新潟中越地震で被害が甚大だった山古志村で復興作業に従事し、その後地元の建設会社を引き継ぎました。その結果大赤字を出したこともあります。でも周囲に助けられて何とかやってこれました。やはり一番の財産は「人」ですね。従業員たちと一致団結して、難しい仕事に取り組んできました。

いろいろなご縁で刑務所や少年院を出て、就職先がない人たちを引き受けることもあります。うちは宿舎があり食事も三食出すので、衣食住には困りません。仕事もたくさんあります。そういう人たちの面倒見る、世話をすることが、若いころから比較的自然にできていました。彼らが真面目に働いてくれているのを見ると、この仕事をやってきて良かったなと思います。

更生保護事業に携わっているということで表彰状も頂戴しています。周囲からは、「超がつくほど面倒見がいい・・・」と言われますが、そういう性分なのだと思いますね。

厚生事業関係者の表彰式

従業員の方々への福利厚生にも力を入れていらっしゃるとか・・・

伸和会という社員同士の親睦会では、毎年お花見や納涼大会、餅つき大会、バーベキューや小旅行など様々なイベントを実施しています。

北関東支店(加須市)には社内に居酒屋があって、社員たちの憩いの場になっています。また、栃木県那須に自社保養所「憩」を所有しています。納涼大会や餅つき大会は、日頃、お世話になっている地域の方々にも参加していただいています。会社の駐車場で開催する餅つき大会には、毎年立浪部屋の力士たちが参加して、盛り上げてくれています。

本業の他にもいろいろなことをされていますよね

社員のために始めた居酒屋を皮切りに、飲食業も横浜や埼玉で何店舗が手がけました。現在はやめていますが、娘が芸能活動をしていたので、2011年に芸能プロダクションを設立しました。その関係で芸能関係者との交流が始まりました。

埼玉県加須市にある関東三大不動の一つである「不動ヶ岡不動尊 總願寺」の節分会には知り合いの芸能人の方々に毎年ご登場いただいています。私のできる範囲で、地元への応援・恩返しは続けていきたいですね。

不動ヶ岡不動尊での節分会

長沼組恒例の餅つき大会

最近は「相撲」の普及にも尽力されているそうですね

数年前に、お世話になっている先輩に、立浪部屋の朝稽古に連れていかれたのがきっかけです。自分の子どもと同じような年頃の子たちが、一心不乱に稽古している姿を見て感動しました。「相撲」には日本の「武士道」精神が残っています。私も建設業という”縦社会”で生きてきたので惹かれるものがあったのだと思います。

厳しい規律の集団生活の中で頑張っている子どもたちを応援したいという気持ちで、立浪部屋横浜後援会を設立しました。

立浪部屋は1915年に設立された、歴史のある相撲部屋です。名横綱双葉山や横綱羽黒山や双羽黒などが輩出しています。現在の親方は7代目で元小結旭豊です。現在(2020年6月時点)は「明生」「豊昇龍」(朝青龍の甥)「天空海」の3人の関取がいます。

立浪部屋: https://www.tatsunami.jp/

立浪部屋横浜後援会では、部屋の見学や本場所の観戦などの活動を行っています。

立浪部屋に横浜後援会有志で訪問

立浪部屋横浜後援会で「相撲茶屋」を始めるそうですね

6月に、多くの方々に「相撲」に触れていただく機会を作ることを目的として、「相撲茶屋 立浪」をオープンすることになりました。立浪部屋直伝の「塩ちゃんこ」を出します。カラオケもありますよ。お店では、番付などを飾ったり「相撲」の動画を流したり、相撲グッズをたくさん用意して、「相撲」の雰囲気を味わってもらえるようにしていきます。

立浪部屋横浜後援会では、会員を募集していますので、「相撲」に関心のある方をお待ちしています。

相撲茶屋での長沼さん

長沼さんにとって横浜とは・・・

私にとって「横浜」は「あこがれの街」でした。
「横浜」で一旗あげようと思って出てきてから30有余年。
ここまでこれたのは、運に恵まれたことと人に恵まれたことです。

「横浜」はよそ者にも優しい街です。
頑張れば、やりたいことを実現させてくれる街だと思います。

友人たちが「横浜」に来るたびに「横浜はいいなあ・・」と言ってくれます。それが嬉しいですし、誇らしく思います。

子どもたちにとっては「横浜」は故郷ですから、私にとっても「第二の故郷」ですね。これからも「横浜」で、人のため地域のためになる企業活動と相撲を通して日本文化を伝承する活動を続けていきます。

<取材を終えて>

長沼さんは優しい表情で温和な話し方をなさる方ですが、建設業界で大勢の職人さんたちを統率してこられたリーダーとしての顔は、きっと厳しく激しいものがあるのだろうと思います。厳しく優しい長沼さんだからこそ、行き場のない大勢の方々に救いの手を差し延べてこられたのでしょう。今後は、相撲普及のためにも尽力していきたいという長沼さんの活動に注目していきたいですね。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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