しあわせの「コツ」(第44回) 「分」を知り、「分」を尽くす
第44回 「分」を知り、「分」を尽くす
浮世絵
「手水鉢の母子」 菊川英山
何年か前、このコラムで、日本では「親子」のような関係は、「親」と「「子」ではなく、「親子」という一つの構造である、と書いたことがあります。
そのような構造的な関係の中で、親となり、子となった場合、人はその構造内での「自分の役割」を考えます。親ならどう行動するべきか、子ならどう振る舞ったらよいのか、と考えて行動するのです。それは親子に限らず、「主従」でも「師弟」でも同じことです。それが「分」を知るということです。
「分」を知るー何だか古臭い考えのように見えますが、決してそうではありません。それぞれが己の分(まさに「自分」です)を知って行動することで、全体がうまくかみ合い、物事がスムーズに進む秘訣なのです。さらに「分」を尽くす段階になると、構造的関係自体に劇的な変化が起きます。
これに関して、私には忘れられない本があります。それは越後長岡藩の家老の娘に生まれた杉本鉞子(えつこ)の自伝「武士の娘」です。そこには当時(幕末)では当たり前だった主従一体の関係を垣間見るエピソードが書かれていました。
鉞子は、生まれつき縮れ毛で、日本髪を結うときは、大変苦労しました。火鉢で熱した鏝を何度も当てて毛を伸ばし、びんつけ油をたっぷり使ってぎゅうぎゅう引っ張りながら結い上げるのです。それでもしばらくすると、鬢の毛がほつれてきます。「どうして私は姉さまたちのようなまっすぐな毛でないのだろう」と、幼ない胸を痛めていました。
ある朝、女中の一人が頭に手ぬぐいをかぶって仕事をしていました。不思議に思って手ぬぐいを取らせると、見事だった黒髪は跡形もなく、バッサリと切られていました。余りのことに驚き、訳を尋ねたところ女中はこう答えたのです。
「お嬢様の髪を結うたびに不憫でなりませんでした。お不動様に私の髪をお供えして、どうかお嬢様の髪がまっすぐになりますようにと願をかけてまいりました。」
この女中は、誰に命令されたのでもありません。「主従」という構造的関係の中で、自分ができる精一杯のことをしただけなのです。お仕えする人が縮れ毛で悩む姿を見て、「女中である自分は何ができるか」を考えた末の行動なのでした。
このくだりを読んだとき、当時の主従の在り方に感動のあまり、私は涙が止まりませんでした。
晩年の杉本鉞子
こうしたエピソードは何も武士階級だけの話ではありません。当時の日本人が当たり前に持っていた感性です。身内の話ですが、明治生まれの伯母の体験も、「親子」という構造的人間関係の中で、子供が自分の「分」を最大限考えた末の行動の一例として紹介させていただきます。
明治時代、大工だった母方の祖父が大病を患い、医者も匙を投げるほどの状態になった時のこと。当時14歳だった母の姉である伯母が、ある時からご飯に黄な粉や砂糖をかけて食べるようになり、副食を一切口にしなくなりました。日に日に顔色が悪くなるので、祖母が心配のあまり尋ねました。「最近、食欲がないみたいだけど、どこか悪いのかい?」伯母は微笑みながら「ううん、大丈夫よ」というばかりでした。
ある朝、伯母は起きるなり母親ところに走ってきて、こんな話をしました。「お母さん、今日、不思議な夢を見たの。天狗様が白い羽うちわと黒い羽うちわを持ってきて、『お前は親孝行な子だからこちらを授けよう』と、白い羽うちわをくれたの。これ、どういう意味かしら?」
母親は何かあると思い、日ごろの食事のことや不審に思っていた最近の様子を質しました。すると、とんでもないことが分かったのです。伯母は、父が不治の病に罹ったことを知り、どうしたら父親の病気が治るか、自分は子供として何ができるかを考え抜きました。そして一大決心をしたのです。
伯母は近くの神社に行き、「100日間塩断ちをしますから、どうか父の命を救ってください」とお願いしたのでした。それから100日の間塩気のものは一切口にせず、毎日神社に父の回復を願いに行きました。そして、明日が満願という晩、天狗の夢を見たのでした。
話を聞いて祖母は泣きました。「それは吉夢だよ。お前の父を思う気持ちが神様に通じたのだよ。」と親子で泣きじゃくったそうです。事実、祖父はそれから医者も驚くほどの回復を見せ、無事快癒しました。
天狗像 高尾山
昔の日本人は、構造的人間関係の中で、己の「分」(みずからの「分」-「自分」)とは何かを考えます。それを見極め、「その分」を尽くそうとするのです。14歳だった伯母が、子供として父親の病気が治るために何ができるかを考えた結果が「塩断ちして病気の快癒を神に願う」ことだったのです。
こうした行動は美談というより、危機に遭遇した時に表れる日本人の習性といもいえるものです。余りに自然過ぎて気づかないかもしれませんが、今も脈々と私たちの行動に表れているDNAなのです。
たとえば、現在のコロナ禍でも、政府が「要請」しかできない状況で、国民は誰に促されるともなく、「今自分たちに何ができるか」を自然に考え、行動に移していました。マスクがなければ手作りし、進んで外出を控え、在宅の時間を楽しむオンライン飲み会などを開いたり、創意工夫で緊急事態をやり過ごしてきました。
今、世界中で感染が深刻化するなか、日本だけがダントツに少ない感染者数で、諸外国はその理由を躍起になって探しています。果たしてそれが日本人の「分」を尽くす性分の現れだと気づいてくれるでしょうか?
あちこちで開かれたオンライン飲み会
「分」を知ることで自主的に行動する―そこから創意工夫が生まれ、共有することで社会全体が進化していく。この習性が日本人独特のDNAなら、私たちはこのすばらしいDNAに感謝しなければいけませんね。
災害のボランティア
「日本人として自分が被災地にできることを自主的に決めた人々」
筆者紹介
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