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早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #03

by staff on 2020/12/10, 木曜日

ゴキブリとアセンション(その2)

この夏 ネズミ騒動でいやおうなく開いてしまったライオンズゲートの扉。それは私の内宇宙への扉。潜在意識の深層に隠れていた恐怖心や恨み つらみ 怒り、自己卑下感等の暗い感情の吹き溜まりの扉だったようで、今年のテーマとして挙げていた いらないものを断捨離する!とはこの扉に隠されていた暗い想念のことだったと思います。

ネズミ駆除の会社をネットで探し出して連絡したら翌日直ぐに来てくれる事になり、翌朝早くから私は、食べ物を置いてある冷暗所のお掃除をしました。やはり古い家なので 壁の漆喰は小さな隙間穴だらけ。まだ食べてもいない有機玄米の厚い紙袋が食いちぎられて、その上に見つけたネズミの糞らしき物。それを見たとたん、いつものポジティブキャラのネネちゃんはどこかにすっ飛んで昔のまだ若かりし頃のネクラなネネちゃんが出現です。

人の良さそうな駆除会社の男性が、他の場所でのネズミの糞を見つけたのが、なんと私のベッドルーム。それも押し入れの、仕事用の衣装を入れてあるプラスティックのケース棚の蓋の上に糞が・・散らばっていました。

開いていた天井の板も閉じられ、漆喰の壁穴も塞がれ、縁下の四角い網戸も強固な網に変えられて、もうネズミの侵入はありませんよ!と 告げられた私ですが。

その日から、私は体中に虫が走る様な感覚に囚われて、自分の髪の毛が首や肩に触れているのが虫が這っている様に感じてびくっと反応したり、裸足の指の間をムカデが這っているような感じがしたりして完全に神経過敏。その精神状態は突如、30代にバリ島で体験した不思議な病気を思い出すきっかけとなりました。

1980年の初頭バリ島のウブドでは まだ完全に電気が普及していなくて訪れた知人のコテージには電球があったけど、私が宿泊した隣のコテージには電線も繋がってなくて夜になるとロウソクの明かりだけが頼り、所どころ異次元の扉が暗闇の中にぱっくりと開いている様なバリ島マジック。初日の真夜中、暗闇の中で、何か生き物が自分の周りを走り回る気配を感じて殆ど一睡もできなかった私が友人に訪ねると「それはトッケイかも!」
トッケイとは ヤモリの一種であの有名なハワイのゲッコウよりも数倍大きくて人間の手ほどもある大きなヤモリの事。普段は屋根裏に住んでいて 友達曰く 「屋根裏に置いた荷物などを取り出すときは気をつけないとトッケイにかみつかれたら絶対離れないから、指を食いちぎられるか、医者に行って殺すかのどっちかだから、貴方も気を付けてね。」
21日間の滞在で 私は夜中に恐怖のあまり眠れない日が続き次第に衰弱してゆきました。そのうちに虫に刺されたのか、水泡が腕に出来てかゆみを伴ってまるで子供の頃に体験した水疱瘡みたい。そして毎晩 私はその腕の水疱を虫たちが好んで舐めに来るような悪夢にうなされて しまいには熱が出て、食欲もなく帰る頃には完全にダウン。

これが初めてバリ島に行った時の私の体験でした。その後私は 生まれ育った東京を出て八丈島へ移り自然児としての自分を見つけた…つもりだったけど。まだだったみたい。
ネズミ遭遇の日から、私は、今まで快適だった我家が突然変容して、隣の部屋に行くのも怖くて薄気味悪く、見慣れている足長蜘蛛でさえ嫌悪感が湧いて『もう嫌だ!こんな生活!』
その上あのウブドでの40年前と同じ腕の場所に水疱が現れて。痒くて気持ち悪くて。
翌朝、これはあの時の追体験なのだと理解しました。

あの時の恐怖心。薄気味の悪さ。真夜中に巨大ヤモリや虫達が自分の周りに集まって私の腐った腕を食べている。このノイローゼのビジョンをどうやって自分からリリース(解放)すればよいのか、がこの夏の内面的な断捨離の一番の課題となりました。

私はベッドルームを変えました。と言うよりネズミが出た部屋でどうしても寝ることが出来なくて、一時の避難所の気持ちで二階のスタジオで寝始めたのが、そのまま居ついてしまった次第。今は2階の板張りのワンルームに寝泊まり?して階下には食事や洗濯に降りてゆきます。日常生活は今までとはだいぶ変わりました。

ベッドルームだった日本間は寝具も取り除かれ 陽だまりの中でのランチにはぴったりのお部屋になって。衣装ケースの押し入れも整理されて常に快適な状態が保たれています。
夜に階下のキッチンに降りていくと 時々遭遇するゴキブリも、以前なら見たとたん恐怖と怒りが湧いていた私でしたが、最近はうまく殺さずに生け捕りが出来るようになって外に逃がしています、この夏からは格段の成長でしょ? うまくライオンズゲートの扉の地下に仕舞っておいた暗い病的想念の断捨離が出来たみたいで。最近は幸せ感がいっぱい。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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