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「住み開きCafe ハートフル・ポート」五味真紀さん

by staff on 2021/1/10, 日曜日

“この場所” を訪れたのは、12月初旬の小春日和の穏やかな日でした。相鉄線の希望ヶ丘駅を降りて歩くこと約10分。ごく普通の住宅街に、たくさんの花や木に囲まれたおしゃれ玄関と、そこに掲げられた「ハートフル・ポート」の看板を見つけました。
中に入ると初冬のやわらかい陽ざしの中、お二人のご高齢の女性がランチを楽しんでおられます。そして、お食事が終わると、突然 “ハッピーバースデー ♫” のサプライズ! お二人とも本当に幸せそうです。思わずこちらも笑顔に。お食事と一緒に、幸せな時間をいただきました。「なんて穏やかなんだろう。ここは、どこにでもあるカフェとはちょっと違うな」というのが取材前の第一印象です。
今月の「ヨコハマこの人」は、そんな優しい、そして細やかな心遣いがいっぱいの「住み開きCafe ハートフル・ポート」を営んでおられる五味真紀さんにお話しをうかがいました。
そんな穏やかな雰囲気が第一印象ではありますが、お話を聞いていく中で、五味さんのしっかりした “カフェ観” が垣間見えてきました。

住み開きCafe ハートフル・ポート 五味真紀さん
住み開きCafe ハートフル・ポート
五味真紀さん
 
お名前 五味 真紀(ごみ まき)
お生まれ 1962年 熊本市生まれ
お住まい 横浜市旭区南希望が丘
ご家族 夫、娘2人、息子1人
HP https://www.heartful-port.jp

 

「ハートフル・ポート」の素敵なエントランス

このカフェの名前に「住み開きCafe」とありますが、どのようなカフェなんでしょうか?

このカフェを始めて6年半になります。もともとは、ごく普通の2世帯住宅で、2階に我々夫婦、1階に夫の母親が暮らしていたのですが、10年近く前に義母が亡くなり1階が空き屋状態になってしまいました。でも、最初からここでカフェをやろうと思ったわけではないんです。単に、地域の人たちが誰でも気軽に立ち寄れる場所ができたらいいなぁと何となく思っていました。そして各地のカフェやコミュニティサロンなどを巡ったり、「港南台タウンカフェ」で開催されたソーシャルビジネスのセミナーなどを受講したりしているうちに、居心地のよい、温かみのあるカフェを作ってみたくなりました。そして、自宅に住みながら一部の部屋を地域の方々の交流の場として開いていく “住み開き” というやり方も知りました。そして「よし、やろう!」と決めたのは、最近までここでシェフをしていた杉野さんと出会ってからです。最初にやったことは、開店を2014年6月に決めたこと。家族や友人の力も借りながらリホームに着手しました。まずは皆さんとお話ができるようなカウンターが欲しいな、そして大きなテーブルも…との思いが徐々に形になり、次第にカフェらしくなっていきました。そして、開店の日を迎えました。町内の方々などたくさんの方々に集まっていただき、我が家の1階が、地域に開かれた「住み開き」カフェとしてスタートしました。

気持ちのいいカフェ空間

この6年半を振り返ってみて、どんなことを感じておられますか。

最初の1年は本当に大変でした。私自身、飲食業の経験はゼロ。経理事務なんかも一から覚えていきました。当初はカフェとして回していくことに精いっぱいで、本来やろうと思っていた “地域の方々が集まれる場づくり” には十分に力を注げませんでした。でも、この時期にカフェとしての土台ができたと思います。シェフの杉野さんや他のスタッフと一緒に、お客様にはキチンとしたものをお出しするよう心掛けました。すると、口コミなどで多くのお客様に来ていただけるようになったんです。そして、今年で6周年を迎えましたが、ご来店いただいたお客様は延べ2万人を超え、開催したイベントも約250回を数えます。

この6年半を熱く語っていただきました

どのようなイベントを開催されてきましたか。

この6年間、いろいろなイベントを考え、実践してきました。地域に根差したカフェだからこそ見えてくる地域の課題に向き合って、できることをやるという気持ちでやってきました。
「もやっとすること」を話し合い、ワークショップなどを通じて学び、一人ひとりの行動につなげていく。また、音楽など楽しみながらまちの中に文化を創造していくことにも取り組んできました。さらに、認知症の方たちが安心して来られる場づくりも進めました。地域ケアプラザと一緒に地域を巻き込んで「みなとの茶店」という認知症カフェを月に1回開催しています。
でも、一筋縄でいかない事もありました。例えば、「みなと食堂」。最初のイメージでは、ひとり親家庭を対象にしたのですが、本当に来てほしい親子に来てもらえないこともあり、一旦中止しました。現在は不定期ですが、ひとり親の方たちが同じ悩みを分かち合えるランチ会を開催しています。
そして、今もいろんな企画を “妄想中” です。中でも特にやりたいテーマはSDGs。企業がやるべきものと思われるかもしれませんが、まずは生活者としての意識から変えていくべきだと思っています。地球温暖化の問題などについて、身近な範囲でできることから意識を変えていくきっかけづくりが大切です。うちのようなコミュニティカフェでこそやる意義があると思っています。先日も、アフリカのザンビアやインドなどでバナナペーパー(バナナの茎を原料に紙を作る)事業を展開されている聡子・エグベリさんに来ていただき、ワークショップを開催し、大変有意義な会となりました。

2019年のクリスマスイベントの様子。
「こんな日が早く戻ってほしい」と五味さん。

今年はコロナ禍の影響もあったのではないでしょうか。

そうですね。うちのようなカフェはお客様と直接対面してこそ意味があるので、本当に悩ましいです。4月中はお休みしましたが、5月の連休明けからは、総菜の販売など少しずつ営業を再開しました。在宅でお仕事をする方なども買いに来られ、反響は大きかったです。そして現在は、カフェとしての営業は火・木・金の週3日ですが、他の日は様々なイベントを開催しています。なので、私はずっと出ずっぱりです(笑)。本来の定員は24名なのですが、これを半分の12名まで減らし、ランチの提供のほか、お弁当の販売もやっています。夫からは「赤字にだけはするな」と言われていますので、やりくりするのは正直大変です。でも、これを支えてくれているのは、5名のスタッフ(パートナーさん)です。

スタッフの思いと工夫が詰まったお食事

わずか6年で、これだけ地域に根差したカフェをつくられた五味さんのパワーに驚きます。 “その源はどこから?” との興味も湧いてきます。よろしければ、生い立ちなども含めてお話しください。

私は、熊本市で生まれました。中学1年生の時に、英語の先生の話を聞いて外国に興味を持ち、米国ユタ州で1か月ほどホームステイに行かせてもらいました。その頃から、将来は外国と日本をつなげるような仕事をしたいと思うようになり、大学でもESSの部長をやったのですが、卒業後に米国ミシガン州の大学に編入してジャーナリズムについて学びました。
帰国してからも、海外との懸け橋になる仕事がしたくて、熊本県庁の国際交流室でのアルバイトのあと、新たにできた国際コースという採用枠を受験して採用され、県庁の国際課で当時の細川知事のもと仕事をさせていただきました。ところが、当時の大蔵省から熊本県庁に出向していた今の夫と出会い、国際課で1年3か月勤務したところで結婚のため退職しました。
結婚してしばらくは、文京区の官舎での生活です。3人の子供を授かり、子育てしながらの日々が続きましたが、その中で感じたこと、悩んだことなどを、後に一冊の本にしました。その本の名前は、「詩集 ハートフル・ポート」です。そして下の子が2歳だった1998年。夫の実家である現在の横浜の家に越してきました。

詩集 ハートフル・ポート

横浜での新しい生活はいかがでしたか?その生活の中で、今の「ハートフル・ポート」につながる動機付けがあったのでしょうか。

横浜には少し憧れがありましたし、国際交流に関われるかもしれないという期待感もありました。横浜に住んだ印象は、「坂の多いまち」、そして「ご近所の皆さんが温かい」ということでしょうか。横浜での子育ては楽しかったです。学校のPTAや子供会の活動、特にKKネットという希望ヶ丘で子育てされているママの集まりなどに参加させていただき、読み聞かせなどの活動に取り組んだのですが、この時の “ないものは自分たちでつくる!” という精神が今、役立っています。
その後、次第に義母の介護に時間を取られるようになり、1年間くらい外出が難しい時期もありました。そんな時、少しでも気を緩め一服できる場所があるといいなと思ったりもしました。ですが、その甲斐もなく2011年、義母が亡くなりました。この家で看取りました。心にぽっかり穴が開いてしまい、知らない世界に行ってみたいとの衝動にかられました。以前、国連WFP(世界食糧計画)のボランティアをやっていたことがありまして、現実をこの目で見てみたいという思いもあって、アフリカのエチオピアに2週間ほどホームステイで滞在しました。そこで貧困状態の中にいる子供たちに接し、大変衝撃を受けました。日本に戻って、子供たちにその体験談を話すとみんな真剣に聞き入っていました。
この頃からでしょうか、義母が暮らしていた部屋を地域の方々が誰でも気軽に立ち寄れる場所にできないかと思うようになりました。やがて、こうして地域の人たちが集まる場になるなんて、義母は想像すらしなかったでしょう。私自身も信じられないくらいですから(笑)。

横浜に住まわれて22年。子育て時代のママ友を始め、地域の方たちとの深い繋がりが、今のいろいろな活動につながっているように感じます。その一例として、地域の方々と一緒にオリジナルソングを作られ、CDにされたとお聞きしましたが。

そうなんです。今から2年半くらい前になりますが、希望ヶ丘にちなんで「この希望の街で」という曲をみんなで作りました。ご高齢の方も多くなってきたこの街ですが、みんなで支え合っていこうという思いと、希望ヶ丘に住んで感じてきたこの街のすばらしさに思いを馳せていると、自然に詩が浮かんできました。続いて曲も…。早速、いつも音楽イベントを開催していただいている伊原鉄朗さんに相談しましたら「みんなでCDを創りましょう!」ということになりまして。演奏は地元の方々です。小学校の先生やケアマネさん、ケーキ屋さん、中には80歳を超えて楽器演奏を楽しまれている方にも参加いただき、機材を「ハートフル・ポート」に持ち込んでレコーディングしました。さらにホームページを地元の若者に作っていただき、そこにもアップしました。地域の皆さんの力の結集がこのCDの誕生に繋がりました。本当に嬉しかったです。

最後に、五味さんにとっての横浜とは何でしょうか。

私にとっての横浜は「第2のふるさと」です。熊本で生まれ、東京から横浜に来て、子供たちを育て上げ、そして今、本当の自分を取り戻すことができたと感じています。「この希望の街で」の歌詞にもありますが、この街で子育てして、辛いこと、楽しいこと、いろいろあって…。そしていずれはこの街に眠る。横浜はそんな街になりました。

撮影日 2020年12月10日

<取材を終えて>

16年前、五味さんは「ハートフル・ポート」という詩集を出版され、それが今、港町横浜で形となって花開いています。五味さんの生き方を貫くキーワードと言ってもいい「ハートフル・ポート」ですが、五味さんもお話されましたが、航海に出ている船が外洋から戻って、給油や給水、乗員の休息など、いわば“骨休み”をする「母港」のようなものかもしれません。
そして、もうひとつ。取材を終えて帰り際、「渡邊さん、是非この本を読んでみて下さい」と一冊の本を手渡されました。「カフェから時代は創られる」(飯田美樹著 クルミド出版 2020年)という本です。この本によると、20世紀前半のパリで、カフェは必ずしも珈琲を飲みにいくための場所ではなく、様々な自由が保障され、居心地の良い「避難所」のような場所だったそうです。そして、複数の視点を持つ者たちが議論することで共有知が生まれ、それが新たな創造につながっていったとか。もしかしたら、欧州のリベラルな精神風土はカフェによって形作られたのかもしれません。そして今、コロナ禍において、世界で民主主義の在り方そのものを問う論調も目にしますが、カフェが民主主義の根底を支える「礎」になると言ったら言い過ぎでしょうか。その意味でも、「ハートフル・ポート」には、常に妄想し、議論する場として、“真のカフェ” であり続けてほしいと願います。

最後に、「この希望の街で」のメイキング映像のURLを掲載しますので、是非ご覧ください。
https://www.heartful-port.jp/blog/この希望の街で~メイキング映像~/

(インタビュー:渡邊 圭祐)

 

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