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一般社団法人「団地の暮らしの共創」代表理事 小柴健一さん

by staff on 2021/9/10, 金曜日

今月の「ヨコハマこの人」は、横浜市青葉区の「すすき野団地」で地域コミュニティづくりを中心に団地再生に取り組んでおられる小柴健一さんに奥様の円佳(まどか)さんとご一緒にお話を伺いました。
すすき野は青葉区東部に位置し、川崎市麻生区に隣接しています。田園都市線たまプラーザ駅からバスで10分ほど。区画道路が整然と整備され、緑豊かなゆったりした住空間が広がっています。
「もともとこの辺は、昔は原野のような場所だったんですよ」と小柴さん。すすき野という地名の由来もそのあたりから来ているのかもしれません。
横浜と言えば、真っ先に「みなと」「海」を思いつく方も多いと思います。でも、小柴さんは「私にとっての横浜は“山の横浜”なんです」とおっしゃいます。
その“山の横浜”は、昭和40~50年代にかけて鉄道の沿線開発により大きく変貌を遂げました。土地区画整理などにより「原野」は主に住宅地として開発され、東京のベッドタウンとして日本の高度成長を支えました。人口が急拡大し、今の巨大都市横浜はこの時期に形づくられました。
あれから約半世紀。当時の「夢のマイホーム」を取り巻く状況は大きく変わり、住民の高齢化など、様々な課題も露呈しています。すすき野団地も例外ではありません。
そのような地に8年前に移り住み「将来に向けた新たな団地づくり」を目指して日々奮闘されている一般社団法人「団地の暮らしの共創」代表理事の小柴健一さんに熱く語っていただきました。

小柴健一さん
 
一般社団法人「団地の暮らしの共創」
代表理事 小柴健一さん
 
お名前 小柴 健一
(こしば けんいち)
お生まれ 東京・日本橋生まれ 56歳
お住まい 青葉区すすき野
ご家族 奥様と二人暮らし
趣味 写真撮影(今は忙しくてできませんが・・)

すすき野団地 全景

すすき野団地 住宅棟

 

すすき野団地はどんな団地ですか。この8年間、ここでどのような活動をされてきたのでしょうか。

すすき野団地は1974(昭和49)年に日本住宅公団によって分譲された団地です。37棟、820戸に現在は約1700人の方がお住まいです。広大な敷地に5階建ての中層棟がゆったりと建てられていて、豊かな自然に囲まれた環境になっています。全戸同じ間取り(48平方メートル)で日当たりが良く、当初は3DKの間取りだったのですが、ライフスタイルに合わせてリフォームされる方が増えて、現在は2LDKで使われる方も増えてきました。

団地管理組合法人 すすき野住宅
https://susukinodanchi.com/

私たちが8年前にここに決めて部屋を購入した理由は、田園都市線沿線で交通の便がいいこと、緑が多いこと、そしてスーパーや医療施設などがそばにあって、生活していくのに便利なことなどからでした。
引っ越してきて管理組合の活動に関わるようになりました。4年前に管理組合の役員になったのを機に理事長を引き受けました。理事長になってまずやったことは、全戸にアンケート調査をしたことです。家族構成や修繕に対する考え方などを伺いました。回収率は20%程度でしたが、それでも住民の意向を確認できたことは評価されました。
理事長在任中に様々なイベントを開催しましたね。マルシエをやったり、夜桜ライトアップをやったり、考え付くものは何でもやりました。全住居のサッシとドアを最新のものに交換したり、「すすき野ガーデンクラブ」を結成して団地内の花植えや花の管理を行ってきました。養蜂活動を通じて地域コミュニティを密にしたいという想いで「みつばちぶんぶんプロジェクト」も開始しました。

すすき野ガーデンクラブの花植え活動

引っ越されてわずかな期間でこれだけの活動をされるとはすごいですね。地域に対する熱い想いを感じます。若いころから地域活動に関わってこられたのでしょうか。

私は、1965(昭和40)年東京・日本橋で3代続いた和菓子屋の長男として生まれました。実家は1975(昭和50)年に喫茶店になり、現在はお店を閉じて母親が一人で暮らしています。小学生のころから映画好きでした。高校は武蔵小杉にある法政二高で歴史研究部に入って、港北ニュータウンの発掘調査のアルバイトばかりやっていました。そして哲学を勉強したくて法政大学の文学部哲学科に進学しましたが、映画研究会で撮影ばかりやっていたので、中退して映画カメラマンの道に入りました。
映画カメラマンとしては忙しかったですよ。北野たけし監督の最初の作品である『その男、凶暴につき』では撮影助手を務めました。皆様がご存じのCMやプロモーションビデオなどを手掛けて忙しい日々を過ごしていました。

母方の祖父母と(20代の頃)

ところがバブルがはじけて仕事が不安定になり、将来に不安を感じ、25歳の時に実家を継ごうと思い立って、料理人を目指してレストランのコック見習いや築地の仲卸のアルバイトなどをやったりしました。その頃はフワフワしていて、イタリアに料理の勉強に行こうとイタリア語を勉強したこともあります。が結局料理人にはなれませんでした。
家庭を持っていたこともあり、安定した仕事をしたいと考えて、自分に何ができるかを考えたとき、母親が福島県の農家出身ということもあって、農業をやろうと考えました。豪雪地帯として有名な新潟県津南町で農業を始める人を受け入れてくれるというので、家族4人で移住しました。
農業は全くの初心者でしたので大変でしたね。新潟は米どころでしたが、田んぼは譲ってもらえなくて、畑をやるしかなかったです。最初は人参の大規模栽培をやりました。北海道と収穫時期が重なるのでうまくいかなくて、大借金をしてしまいました。
それで3年目から作物をアスパラガスに変更して減農薬で作っていました。1990年代としてはまだ珍しかったインターネット販売をやったり、栽培履歴をデータ化したりと農業にITを持ち込む試みをしていました。農協と手を切って、東京の青山や日本橋の高級レストランのオーナーシェフたちとも取引していました。また雪に閉ざされている11月から4月までの間は、新潟県六日町の「八海山」の酒蔵で蔵人として杜氏のお手伝いをしていました。それでも経営的には厳しくて農業から離れることになりました。
その後、津南町で手広くカサブランカ(百合)の育成・販売をしていた方の会社で働きました。新潟と千葉に農場があって、千葉で農場長をしていました。その会社は「楽天」でカサブランカの販売部門で全国一になるくらいでしたが、リーマンショックの時に売上が激減して農場を閉じることになりました。私は離婚して独り身だったこともあり、実家に戻ってきました。

いろいろな経験をされてこられたのですね。ただ、ここまでのお話では、地域活動との接点がそれほど感じられないのですが…。

実は、農場から実家に戻ってきた頃に左足大腿骨粉砕骨折という大けがをして、3か月間病院に入院しました。病院で高齢者の方々と接する機会を得て、施設に入れずずっと病院に入院したままのお年寄りの実態を見たこと、農業をしているときに亡くなった父親を看病することができなかったという後悔もあって、誰かのためになる仕事をしたいと福祉の道に進もうと決心しました。40歳を過ぎてからの再々出発でした。
私は、最期まで自宅で過ごすための「在宅介護」をやりたいとの想いがあり、2011年に介護事務所で働き始めました。それからヘルパー2級、介護福祉士、ケアマネージャーの資格を取得しました。ケアマネージャーまで最短の5年でしたね。
ケアマネージャーの仕事をしながら、在宅介護の現場では介護保険のサービスでは救いきれない多くの事例を見てきました。法的な支援サービスだけでは足りない、何かインフォーマルなサービスを考えないと思っていた頃に、同業者と再婚することになりました。
余談ですが、訪問介護・デイサービス・ショートステイが一緒になっている「小規模多機能型居宅介護」が優れた制度だと思うのですが、経営的に厳しいこともあり横浜では広がっていませんね。
再婚して住まいを探そうというときに、自分たちが安心して住める住環境がいいな、隣近所と助け合える環境がいいなと思って、団地だったらそれが可能ではないかということで、団地に住もうということになりました。それで、横浜市内の団地を二人で見て回って、このすすき野団地に住むことにしたのです。

なるほど、人生どこで転機が訪れるかわからないものです。そして今、すすき野団地に居を構え、これからが小柴さんが目指す地域づくりの本番ですね。この団地をこれからどのようにしていきたいと考えておられますか。

私は、団地は過去のものではなく、これから若い人たちに住んでもらえる場にしたいと考えています。この団地は建てられてから50年近く経ちますが、きちんとメンテナンスすれば100年は持つと専門家のお墨付きをいただいています。
近年、この団地ではリノベーションして販売される若い方々向けの物件が増えています。デザイナーとして有名な中野シロウさんがこの団地のリノベーション物件を購入して、話題になり、雑誌に「素晴らしき団地ワールド」というタイトルで特集が組まれました。理事長としての私の取り組みも掲載されています。

リノベーションした室内

「団地の価値を上げること」を目的に、建築家やデザイナー、法律家などの専門家が中心となって2013年に設立された「団地再生事業協同組合」では数多く団地リノベーションをプロデュースしていますが、すすき野団地でも4件ほど手掛けられています。
同組合では、居住環境・運営経営・コミュニティ形成の観点から良質な団地型マンションを「三ツ星団地」として認定していますが、私が理事長時代にすすき野団地は認定されています。この認定を受けると買取保証オプションが付くので、若い方たちの購入促進につながると考えています。

団地再生事業協同組合
http://danchi-saisei.jp/

昨年、一般社団法人「団地の暮らしの共創」を立ち上げたとのことですが、どのような想いで設立されたのでしょうか。また、どんな活動をされていますか。

管理組合の活動に関わるなかで、次第に「団地再生」に本格的に取り組みたいとの気持ちが強くなり、2019年7月にケアマネージャーを辞めました。また管理組合の理事長職は長期間連続して務められないので、2020年2月に管理組合を法人化(団地管理組合法人)したのを機に、理事長を退きました。
それで団地再生の各種プロジェクトを継続させるために、一般社団法人「団地の暮らしの共創」を設立して、私が代表理事、妻は介護福祉士や栄養士などの資格を活かしながら運営サポーターとして活動しています。管理組合や自治会の枠を超え、住民自らの手で「より魅力的なすすき野団地」をつくることを目標にしています。
現在の主な活動は、災害対応の自販機設置やみつばち養蜂など社団の独自事業のほか、障害者等就労支援として団地内の清掃活動や広報誌の配布など様々な事業を管理組合から請け負って担当しています。
また、今年5月の管理組合総会で承認された「すすき野団地マスタープラン」(団地再生まちづくりプラン)の策定にも一般社団法人として関わりました。マスタープランは私が理事長時代の2018年6月から始まった「すすき野団地未来会議」で、3年間15回開催され延べ335名の参加者によって様々な意見が交わされ作成されたものです。次世代に住み繋げられる団地にするためのプランの提案です。三つ星認定やサッシやドアの交換、花と緑あふれる団地にすること、車座会議の開催などは、マスタープランを実行に移したものです。
次の5年以内には、自主防災組織、災害発生時に団地内の共助の仕組みを立ち上げることや、太陽光発電設備の設置を目指しています。団地の屋上に太陽光パネルを設置して売電する屋根貸し事業、その会社と契約することで電力の地産地消を実現する仕組みは、2・3年中に実現させたいと思います。最近はテレワークが増えてきたので、空き部屋のコワーキングスペースも考えられます。団地内には様々な職種の方がいらっしゃるので、お互いに連携し合えばいろいろなことができるはずだと確信しています。

「すすき野団地マスタープラン」の目標

「すすき野団地未来会議」の様子

すすき野団地に来られてからの8年を振り返って、今どのように感じておられますか。いろいろご苦労もあったのではないでしょうか。

この団地に引っ越してきて、管理組合の活動に関わった当初は「この人変な人・・」と思われていましたが、自らが率先して動いて変えていくことで他の方々の理解も得られるようになってきました。「他人任せでは何も変わらない“自分のこと”として関わっていかなければ」という方がどんどん増えてきたように感じます。妻にもいろいろ苦労をかけましたが、今では先頭に立って協力してくれていて、有難いです。
分譲の団地再生に成功した事例は日本ではまだないと聞いていますが、すすき野団地をその第一号にしたいです。何かを変えるには「突き抜けたことをやり抜く」変わり者がリーダーでなければならないと思います。私がその役をかっていきたいと考えています。そして、「団地を“ひとつの大きな家”にしたい!」という夢を叶えていきたいと思っています。

おたがいハマトーク vol.83 小柴健一さん:一般社団法人 団地暮らしの共創(2020年8月31日)
https://otagaihama.localgood.yokohama/topics/3067/

最後に、あなたにとって横浜とは何でしょうか。

私は「山の横浜」しか知らないのです。高校時代に遺跡発掘のアルバイトしていたのも港北ニュータウンですし、ここも原野だったところを切り開いて作られた場所です。
横浜は開港以来、いろいろなものの発祥の地です。新しいモノに挑戦した、進取の気性に富んだ人たちが集まった場所だったと思います。
例えばビールもそうですよね。実はこの地域で作った麦を使ったものが日本最初のビールなのです。今度、団地でホップを栽培してビールを作ることになりました。私の祖父は福島県会津地方で最初にホップを栽培していた人だったと聞いています。つながっているな、私にもパイオニア精神が流れているなと感じています。
私にとって横浜は「新しい故郷」になりました。日本で一番大きな街、横浜で新しいことにチャレンジして全国に情報発信していきたい、そして団地再生を各地で展開していきたい・・それが私の目標です。

私にとって横浜は「新しい故郷」になりました

<取材を終えて>

取材の最後に「小柴さんが地域のため、人のためにこれほどまでに情熱を傾けている原動力は何なのでしょう?」とお尋ねすると、「いえ、この活動は他人(ひと)のためと言うより、自分のためなんです。いずれ、自分自身に降りかかってくることですから」とさりげなくおしゃいました。
小柴さんは、熱い気持ちを持ちながらも、(地域のためという)妙な気負いがなく、自然体で取り組まれている印象で、それが地域の方々の信頼を得ながらここまで活動の幅を広げてこられたひとつの理由と感じました。
これからも奥様と力を合わせて、いずれ「団地再生の成功事例といえば“すすき野団地”」と言われ日が来ることを願っています。

 

(取材/渡邊圭祐・桃伯子)

 

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