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本牧(横浜市中区)に山本周五郎氏が・・・

by staff on 2022/5/10, 火曜日

 

2022年3月上旬に、ヨコハマNOWにメールが届きました。

神奈川県で初めて時代小説家 「山本周五郎記念碑」が自宅や書斎の在った本牧に建てられることになりました。
3月14日に記念碑の除幕式があります。
横浜本牧の気候、風土、人情に触れた多くの名作がここで生まれたこと多くの方に知っていただきたいと思います。

メールを送ってくださったのは、大久保文香さん。

「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサーとして、2014年1月号のヨコハマこの人に掲載させていただいた方です。
https://yokohama-now.jp/home/?p=10716

山本周五郎氏と言えば、江戸時代を中心とした時代小説の大家です。
亡母の故郷が舞台でNHKの大河ドラマにもなった「樅ノ木は残った」や日本医師会の赤ひげ大賞の由来となった「赤ひげ診療譚」など、私にとって思い入れのある小説があります。

※第一回赤ひげ大賞の受賞者、鈴木強(広島県、鈴木クリニック院長)先生は、亡父のお弟子さんです。

あの山本周五郎氏が21年間も本牧に住んでいらしたとは・・全く知りませんでした。

大久保さんに記念碑を見学に伺います。とご連絡して実現したのは4月中旬でした。

「山本周五郎記念碑」は、桜で有名な本牧通りの三之谷交番前のバス停のそばにありました。「山本周五郎 本牧「道」しるべ」というタイトルの記念碑には山本周五郎の写真と略歴やご自宅、書斎の地図などが掲載されていました。

大久保さんと山本周五郎氏との関係は・・と伺うと、
出版社を経営していた大久保さんのお父様である西谷操(ペンネーム秋朱之介)氏が、山本氏と親しい友人で、そのご縁で第二次世界大戦が終わった直後の1946年(昭和21年)に、大久保さんたちが住んでいらした本牧(横浜市中区)に山本氏のご一家が引っ越して来られたとのこと。
大久保家の離れが山本氏の書斎になったこともあり、そのときから山本氏が亡くなる1967年(昭和42年)まで大久保さんと山本氏の交流が続いたそうです。

「樅ノ木は残った」も「赤ひげ診療譚」も旅館・間門園の一室で書かれていたと伺って、なんだか親近感が湧いてきました。

20年以上も住んでいて最後の地となった本牧に、何の足跡も残されていないことを残念に思っていた、大久保さんが地域の方にその想いを伝えたところ、コロナ禍でイベントができないで残っていた中区の助成金が利用できるになり、トントン拍子に記念碑設立に至ったそうです。

タウンニュース(2022年3月24日号)
https://www.townnews.co.jp/0113/2022/03/24/617667.html

記念碑設立がきっかけとなって、山本周五郎氏の足跡を学ぶ会が発足されたとのこと、私も仲間に加えていただきたいとお伝えいたしました。

山本周五郎が描く江戸時代は、サーキュラーエコノミー(循環経済)を実現していた時代です。SDGsを地でいく暮らしをしていた私たちの祖先を、山本周五郎氏の小説から学びたいな・・と考えている「とも」でございます。

記念碑

大久保さんと記念碑

 

 

 

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