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記憶の中から (第三話)山本周五郎の思い出

by staff on 2022/8/10, 水曜日

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第三話  山本周五郎の思い出

家の小さな離れ家が山本さんの書斎になりました。この離れは今でも少し傾いていますが奇跡的に建っています。昭和五年ごろ建てられたものと聞きました。戦後の物の無かった苦しい時代を隣同士の両家は助け合って暮らしていましたし、幸いに食べ物は本牧の海岸がすぐ近くで、アサリやノリ、魚には不自由しませんでした。ご飯、みそ汁、つくだ煮 全部アサリ。家がその香りに包まれました。周五郎さん(私はおじちゃんと呼んでいました)は植物に詳しく、何でも牧野富太郎博士に教わったとかで、父と八聖殿付近の山に入り食べられる草を採ってきては茹でたり、てんぷらにしたり。 おじちゃんに雑草というと「草には何でも名前がある」と叱られます。ハコベ、タンポポ、アカザ、タラの芽など色々工夫して食べました。フキなどは上等なもので苦いツワブキさえも佃煮に。タンポポのほろ苦さは今でも舌に残っている味です。

最初の書斎

おじちゃんは枯れかけた草にたばこの火をつけて、「匂いを嗅いでみなさい。何の匂いがする?」 「トウモロコシ!」 「じゃ、食べたつもりになりなさい」口癖の一つで今でも忘れないのが「外から帰ったら手を洗ってうがいをしなさい」。昨今の事情に繋がりますね。

おじちゃんが離れで仕事をするとき子供たちは意識して庭では静かに遊んでいました。同じような年頃で騒ぎたい盛りです。でも「うるさーい」と離れから大声が飛ぶと首をすくめて、「はーい。じゃ海に行ってくるわ」 「アサリ取ってきなさい。ヒトデも肥料になるから拾ってくること。ナマコも忘れるな! 酢の物にするんだから」大声で言いつけられて私たちは一年中海に行ってました。





八聖殿の山を望む海岸での潮干狩り
(c) 武繁春

海のものと野草ばかりでは、食生活はなり立ちません。両家の父は家に持っていた浮世絵・版画などを、戦後すぐ本牧に駐在していたアメリカの兵隊を呼び止めては食料と交換していました。貴重な物もあったと思います。浮世絵や親しかった棟方志功の版画もあったと母から聞いたことがありました。背に腹は代えられません。覚えているのは「レイション」という米兵が携帯する弁当のようなもので、コンビーフ、チョコレートやビスケットなどが入っていました。一度中に入っている歯磨きのチューブをなんだろうと思ったら美味しくて山本家の次男徹ちゃんと二人押し入れに隠れてなめていた覚えがあります。

母たちは切羽詰まると質屋通いもしました。私も一緒に行ったことがあるので質屋の入り口の雰囲気は何となくわかります。着物の端切れを見てはため息をついていた母。きっと受けだせないで流れてしまったのでしょう。

周五郎が随筆で「空っぽの箪笥」を書いています。偶然に奥さんの箪笥を開けたら嫁入りした時たくさん入っていたはずの着物が1枚しかない。その驚きを「体を唐竹割りにされたような気がした」と切々と綴っています。その並木質店の白い蔵は海岸から二筋入った所に今もあります。さすがに営業はしていませんが何となく甘酸っぱい懐かしい処です。

 

(第三話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

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