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横浜は『開港』であり『開講』のまち。 株式会社エピテック 代表取締役社長 藤川遼介さん

by staff on 2022/9/10, 土曜日

 

お名前 藤川 遼介(ふじかわ りょうすけ)
お生まれ 横浜市出身 30代
お仕事 株式会社エピテック 代表取締役社長
HP https://apitec.jp/
趣味 人生を謳歌すること

相模女子大学 学芸学部 非常勤講師・大学院 社会起業研究科 アドバイザリーボード
総務省 地域力創造アドバイザー
農林水産省 農泊専門家派遣・課題解決型事業 農泊専門家
観光庁 広域周遊観光ルート専門家
などのご活躍をされています。

「APITEC(エピテック)」という社名の由来は

API(Act Plan Idea)とTEC(Technology Environment Communication)を重ね合わせた言葉です。この言葉には、社会を良くしていくための閃きを実現していきたいという想いを込めています。地域振興には、「技術」「地域環境」「人との繋がり」を活かして、計画し、行動することが大切であるという意味合いです。
「APITEC(エピテック)」は、2010年5月、私が大学生だった頃に学生団体(大学卒業後に任意団体)として発足しました。そして、2014年9月11日に起業をすることを決意した際、社名をどうするか考えました。その際、仲間と情報交換を行うコミュニティである任意団体(学生団体)と同じ名前にする社会実験を行ってみようと考え、株式会社エピテックを設立しました。
株式会社エピテックは、社会起業研究所(任意団体から改称)エピテックと学生団体エピテックの事務局を担う役割も担っています。私たちのミッションは、「地縁とご縁を結ぶ機会づくり」を提供することであり、地域の裏方業務のエキスパートを目指しています。

どんな少年時代でしたか

横浜の公立小学校に通っていました。早生まれで体格が小さいくせに自己主張をするタイプだったと思います。好奇心旺盛で、「なぜ?」と考え、知らないことを知ることを楽しんでいました。幼馴染曰く、「体が小さいのに存在感がある」子どもだったそうです。物事と物事の関連を見出すことが得意で、矛盾にすぐ気づく子どもでした。今振り返ると、先生方は、大変だっただろうなぁ、申し訳なかったなぁと恥ずかしくなります。ほとんど学校を休むことがなく健康で、友達にも恵まれていたと思います。今でも小学校の同級生らと草野球を楽しんでいるので、昔から友には恵まれています。そうそう。初心者集団で草野球を一緒に楽しんでくださる方を探しています(笑)良かったらぜひ!

小学校時代の同級生らと始めた草野球での写真

私立中学への進学率が高い小学校だった校風も影響し、中学受験をしました。ここで本番にとにかく弱いということが発覚します。周囲も驚く、怒涛の受験失敗。結果、何とか立て直すことができ、法政大学第二中・高等学校に進学しました。中学は5クラス(当時)でのんびりとした校風でしたが、高校からは14クラス(当時)のマンモス校になり、校風は一変しました。今は、共学になっていますが、当時は男子校でスポーツが盛んな校風でした。そのため、運動部に入っていた方が高校生活を楽しめるような雰囲気でした。

小柄な体格で、集団スポーツについていくのが大変だったこともあり、柔道部に入りました。仲の良い友達や理解ある先生が顧問だったことも大きかったです。私が入部した頃の柔道部は、県大会で初戦・2回戦敗退のレベルでした。このままのんびりとした3年を過ごすのかと思いきや、翌年から後輩にたくさんの経験者が入って来ました。精鋭が揃った影響で、部の雰囲気が激変しました。関東大会出場を目指すという目標を掲げ、稽古内容は日に日にハードなものになり、強豪校への出稽古の回数が増えていきます。高校を卒業する頃には、神奈川県ベスト8に入る強豪校の仲間入りをしていました。実力社会のため、レギュラーは、同期の主将を除き、後輩たちに託す形になりましたが、ベスト8入賞を決めた大会の盛り上がりは今でも良い思い出です。その頃は、中高合わせて6学年で稽古をしていました。稽古は朝練や筋トレも含め厳しかったです。当時は、それが当たり前になっていました。振り返ると、高校時代に部活を最後までやり切った経験は、今の自分に活きていると思います。

他大学への受験を希望していたため、その進路に向けての理解をしてくださった顧問の先生・部員には感謝が尽きません。柔道を通して得たことは、身体が少しは逞しくなったことはもちろんですが、柔道は「礼に始まり礼に終わる」というように礼儀礼節を重んじることです。相手がいてこその自分であるということ。感謝することの大切さを武道から学びました。その後の私の生き方に影響を与えてくれたと思います。今では、意外な特技として柔道参段と語れることも武道をやっていて良かったと思えます。

高校時代の柔道着の写真

中学校時代の忘れられない思い出に、ニュージーランドでの研修があります。
3週間のホームステイを経験しました。この経験は、私にとって「人生の転機」とも言える経験でした。ニュージーランドは、自然に触れるネイチャーレジャー、釣りやハイキングなどが盛んです。知り合う方々は、「遊ぶために働いている」と言いますか、日々を楽しくポジティブに生きている国でした。
庭のトランポリンで宙返りの練習をしたり、ホストファミリーに様々な自然の中での遊びを教えてもらいました。羊の毛刈り体験は良い思い出です。日曜日には礼拝のために教会に通うということも経験しました。異国の生活は、何をとっても新鮮で、あっという間の3週間でした。ニュージーランドで印象に残ったことは、自然の雄大さを学んだこととみんな笑顔なことです。どこでも楽しめる人生を送っていこうと決心しましたね。

大学は外部受験されたのですね

高校は大学の付属校のため、普通にしていれば、そのまま進学できる環境でした。しかしながら、10年間同じ環境ではなく、環境を変えたいと高校入学時から決めていたこともあって、大学受験しました。受験というものを乗り越えたい気持ちもあったと思います。結果的にこの件でも、色々と先生方にご心配をおかけしています。

当初は、文系の経営・経済系に興味を持っていたのですが、高校3年生時の担任の先生が、ホームルームで環境問題の話をしたことが転機になりました。このまま多くの国が経済発展を進めていけば、温室効果ガスの排出量が増え続ける。1997年に採択された「京都議定書」等で削減目標を掲げたけれども、誰がどうやって削減に向けたアクションをするのだろうかと考え始め、社会学の方向に行きたいと思うようになりました。
しかしながら、受験はことごとく弱く、失敗の連続で志望校に届かず。結果、縁のあった東京農業大学国際食糧情報学部国際バイオビジネス学科に入学しました。東京農業大学に出願した理由は、環境問題がトレンドになるであろうこれからの社会において、農業という視点から社会を見ることが大切なのではないかと思ったからです。あと、当時は法政大学にない学部系統を選ぶことで、自分の中で踏ん切りがつくと思ったからです。今振り返ると、「受験」に向けた勉強方法がズレていて甘かったのだと思います。単純に中学受験も大学受験も実力不足です。

東京農業大学への進学は、本当に良かったと思います。本当に充実した4年間でした。進学した国際バイオビジネス学科は、「農大でビジネスを学ぶ!」というキャッチフレーズで、農林水産業・食料関連ビジネスを対象として、経営管理、情報処理、マーケティング、経営戦略などを学ぶ学科です。全国の農大卒業生の情報が集まって来ます。研究室には、多くの卒業生が顔を出してくださり、旬の食材や名産品・酒が研究室に集まる物産フェアのような大学でした。私たち、農大の卒業生は、本物の味に触れることが多い幸せ者だと思います。大学内でも飲んで食べて先生方や同級生と語り合い、先生に連れられて飲み歩く機会も多く、楽しい時間でした。
2010年代は、漫画「もやしもん」(農業大学で菌とウイルスと人間が登場する物語)などが人気になっていたこともあり、東京農業大学や「農」にスポットライトが当たり始めました。高校の担任の先生に感謝しないといけないと思いましたね。

私は、故・稲泉博己教授(当時・准教授)の元で研究をすることにしました。稲泉先生は、学生1人1人としっかり向き合ってくれる研究者であり、教育者でした。稲泉先生から学んだ印象的な言葉は、「本気で遊んだことはあるのか?本気で遊ぶこと程、難しいことはないんだぞ」という言葉です。みなさん、「本気で遊んだ」と胸張れるエピソードってありますか?私は、その言葉を投げかけられた時、中学時のニュージーランドのみなさんと大学入学後のフィリピンへの農業実習で出会ったみなさんの笑顔を思い出しました。
フィリピンでは、「大学で農業を学ぶ環境を得られたことはとても幸せなこと」と真面目に勤勉に学んでいる現地の大学生に感銘を受けました。「家が農場経営をしているから、ここで学んで農場を発展させ、雇用を生み出すんだ」とキラキラした目で語っている現地の学生を見て、自分を含めた日本の大学生が、ただ何となくキャンパスライフを送っている意識の低さを恥ずかしく思ったことを覚えています。

稲泉先生のお言葉と異国での経験から、農村におけるコミュニティづくりに関する研究をすることにしました。農業というより農文化は、作物を育てるだけではなく、他の生き物との生態系バランス、農村を通じた人のコミュニケーション、教育効果など多岐に渡る多面的な役割を担っていることを先生から学びました。2011年3月に東日本大震災が起こったことから、都市部の若者が農村など地方部に関心を持ち始めました。その一方で、農村部は、若手の後継者問題に困り、若い世代との交流を求めています。お互いの需要が一致し始めていたのです。そこで、私は、農村部の情報をどうやったら、都心部の若者に届けられるのかということに関心を持ちました。WebやSNSが地方のコミュニティづくりに寄与できるのではと考え、卒業論文は「IT技術による地域活性の研究」というタイトルで執筆しました。

大学院への進学のきっかけは何ですか?

きっかけになったことは、2011年3月11日の東日本大震災が大きかったです。就活生のタイミングで震災があり、社会情勢が不安定だったこともありますが、お金を稼ぐことよりも食料を作る現場に携わる仕事といいますか居場所を作る方が安心できて大切だと思ったことが大きいです。農大での研究を重ねていく内に「地域振興」に関心を持ち始めていたため、これからの時代に必要な地方部と都心部の架け橋になるような人材になりたいと思ったことがきっかけです。卒業論文の研究から、都心部の若者の需要と地方部の若手との交流を求めている需要が一致しているにも関わらず、うまくマッチングされない課題は、受け入れる側の地方部におけるマーケティング戦略に課題があると考えました。そのため、マーケティングに関してもっと専門的に勉強したい気持ちが湧き、商学研究科のある大学院の修士課程への進学を決断しました。
結果的に2012年4月に一橋大学大学院 商学研究科(経営学修士コース / MBA課程)に進学しました。ここで初めて、受験というものを乗り越え、志望通りの進学先に進むことになりました。修士課程は授業も難しく、課題もハードで大変厳しかったです。横浜から国立まで通っていたため、始発に乗って終電で帰る日々でした。時には、終電に乗り遅れ、大学で朝を迎える日もありました。人生で1番勉強したと思えるくらい、充実した2年間でした。

大学院では、山形県朝日町におけるWebサイト(ホームページ)のレイアウト調査研究を行いました。当時、地域おこし協力隊である桃色ウサヒの中の人こと佐藤恒平さんと東北芸術工科大学の松村茂教授とプロジェクトチームを組んで、町から予算をいただいて研究を行いました。自分の所属する大学の指導教員ではなく、自ら町に売り込んで町のアドバイザーを務める大学の先生と町民とチームを組むという極めて例の少ないモデルで研究を行うことができました。佐藤さんが地域仕事づくりチャレンジ大賞 2012グランプリになった際、ステージに一緒に立たせてもらうなど本当に良い経験をさせていただきました。

地域仕事づくりチャレンジ大賞2012
http://yokohama.etic.or.jp/archives/971

Social Design Girls 17(SDGs 17)
「ゆるキャラ・ご当地キャラクター桃色ウサヒと考える幸せを感じる地域振興の秘訣」 in 山形県朝日町

全国全ての市町村のWebサイトを見て、これは先進的だと思った自治体の担当者にアポを取り、直接現地に出向いてヒアリングしました。北海道から沖縄まで9市町村に出向きました。ちなみにその中の1つとして、政令指定都市の現状が知りたく、横浜市にもヒアリングを行いました。地域の選定でこだわったポイントは、「地域の魅力がWebサイトに表現されているのか」、「見て欲しいユーザーに伝えたい情報が正しく届くのか」に重きを置きました。

山形県朝日町のWebページは、2014年の4月に大幅なリニューアルを行ったのですが、そのレイアウトは、この調査結果と私の考察を参考に改良していただきました。結果的にWebサイト内における観光分野(リンク先の観光協会Webページ)へのアクセス数が増加しているそうです。これらの成果が要因したかはわかりませんが、その頃から、朝日町は地域おこし協力隊制度などを活用し、若手移住者が増え、活躍しています。

修士論文は、朝日町での調査活動を軸に執筆することとし、古川一郎先生の元で執筆しました。古川先生は、最近まで、日本マーケティング学会の会長を務められ、「地域活性化のマーケッティング」などの著作もある先生です。修士論文のテーマは、「自治体Webと地域づくりの関連研究 -自治体Webリニューアル作業を通した考察-」です。古川先生の後押しがあり、院生の頃から、日本マーケティング学会のマーケティングカンファレンスで毎年、ポスター発表で活動成果を報告しています。会長を務められ、お忙しいにも関わらず、毎年欠かさずに発表を確認していただいて、声をかけていただいています。

朝日町のりんご畑を満喫している写真

茨城県筑西市に拠点があるそうですね

社会人1年目の2014年から茨城県筑西市で活動を始めたため、早いもので9年目になります。私にとって社会人になってから当たり前の生活が、今、話題になっている多拠点生活・ワーケーション・テレワークの生活だと思います。当時は、このような働き方は、今のように国の制度も整っておらず、周囲の方になかなか理解されませんでした。そのため、新型コロナウイルスの影響はかなり大きかったと思います。このような生活を始めて、自ら地域の方々と関係を築き、コミュニティを作って来たので、この経験は、これから実践したい人や企業さんのお役に立てると思います。関心がある方は、お声がけください(笑)

大学院修了後は、株式会社エピテックを創業し、地域振興に関わる活動を行って来ました。世間知らずの若造が、若さの勢いで起業したこともあり、簡単に仕事がいただけるわけありません。今振り返ると、無謀というか甘かったと思いますし、今は別々の道に進んでいる創業メンバーには、感謝と同時に申し訳ない気持ちもあります。ここまで続けて来られた要因の1つは、創業時に描いたことに少しでも近づけ、会社が何かしらの成果を残し、起業して良かったと思ってもらいたいという気持ちが強かったからだと思います。周囲になるべく迷惑をかけないようにと、大きな背伸びをせず、毎年、小さな目標を立て、できることをコツコツとクリアしていくことの繰り返しでした。私は、周囲の人に恵まれ、たくさん助けてもらって来たので、その人に役に立つことをシンプルに考えて行動して来たつもりです。

筑西市に通う中で、大学生の発案から、泥んこバレーボール大会(現・ご当地バレーボール大会)を実施することになりました。この泥んこバレーボール大会を開催するための準備期間で知り合った「いきいき野菜生産組合」という農業の魅力を広めようと活動されている小野田勘一郎さん、本多長利さん、鈴木晋作さんとのご縁が転機になりました。泥んこバレーボール大会の片付け中、小野田さんの家に空き家があるという話を伺い、厚かましく「筑西で活動する際に雨風をしのがせてください」とお願いをしました。すると、「こっちも片づけっぺ」という返事をいただき、泥んこバレーの会場の片付けに続き、空き家の片づけを行い、そのまま使わせていただくことになりました。この空き家は、小野田さんも仕事場として活用され、シェアオフィス兼シェアハウス状態です。これまで大学生や移住して来た若者とも共に生活をして来ました。この拠点は、いつの間にか小野田ハウスという名で親われ始めました。大学生や若手社会人が頻繁に遊びに来て、1日に最大40名近くが泊まる日もありました。私と小野田さんでこれまでにのべ総勢2500名以上は受け入れを行って来たのではないでしょうか?忘れてはいけないことは、小野田さんの元で農業を学んでいる若者が偶然、東京農業大学の後輩でした。まさかの再会は、本当に驚きました。その後輩も昨年から群馬県で独立して、「彩園なかや」という農園の主になっています。

彩園なかや
https://www.saien-nakaya.com/

地道な活動が評価され、2018年 観光庁 広域周遊観光ルート専門家、2019年総務省 地域力創造アドバイザー、2021年 農林水産省 農泊専門家派遣・課題解決型事業 農泊専門家などの専門家認定をいただけるようになりました。この認定に至るまでに後押ししてくださった方々や活動をサポートしてくださった地域の方々、周囲の方々に感謝が尽きません。

株式会社エピテックの実績にはどのようなものがありますか

株式会社エピテックは、業務として、ローカルプロジェクトの立ち上げや組織作りなどをサポートしてきました。自治体案件もあれば、民間企業と一緒に調査業務も行って来ました。
会社としての特長は、全てのプロジェクトを市民参画のまちづくりを回すためのエコシステム「地域デザイン7step」に基づいて計画していることです。この考え方は、創業時から提唱し、横浜市の調査季報176号(2015年3月発行)に掲載された「横浜ユースを通じたオープンイノベーションの可能性」で実例を発表しています。
PDFでレポートを表示

この考え方の発展系は、地域デザイン学会にて、「農村地域住民と都会の若者を地域アクターとする地域デザインの共創 -地域アク ターズプロデューサーの役割に焦点を当てて-」、藤川遼介・稲泉博己・大室健治、 『地域デザイン』(第12 号 209 頁-227 頁) (2018年10月発行)を執筆し、掲載しています。光栄なことに恩師である稲泉先生と大学の先輩である大室さんとの共著になります。

このような整理手法を確立したことや「ローカルクエスト」という地域プロジェクト立ち上げの視点やSDGsが学べるオリジナルのカードゲームを用いた思考整理法が仕事を増やすきっかけになりました。

その傍ら、地域振興活動に楽しく参加してもらうための機会づくりに力を注いで来ました。
名付けて・・ソーシャルグッドな「遊び方改革」です。
代表例は、「ご当地バレーボール大会」です。最初に茨城県筑西市で実施した泥んこバレーボール大会のモデルが全国に広がりました。夏など暖かい季節だけだと運営が大変なため、冬でも楽しめる「雪んこバレーボール大会」も計画し、ご当地バレー大会として、2019年(2020年以降はコロナ禍で中止)に悪天候でイメージ動画づくりに留まった地域含め全国7地域(岩手県二戸市・山形県朝日町・茨城県筑西市・東京都町田市・千葉県鴨川市・福井県南越前町・大分県宇佐市)に展開しました。

「ご当地バレーボール大会 2019-2020 in 茨城県」

現在は、女子大生インタビュアーが全国各地の社会的意義の高い活動をされている方々に話を伺う「Social Design Girls 17 (SDGs17)」が話題を集めてくれています。インタビュー企画は、コロナ禍でご当地バレーボール大会など集客イベントが困難になると予測し、少人数でコロナ禍でも地域の方に役立つ企画として学生と考案しました。プロジェクト名称の由来は、2015年に学生団体エピテックで活動していた女子大生達の要望に応えて命名した名前を活かしました。先輩から後輩に想いを伝承したかったことはもちろんですが、何より略してSDGs17とキャッチ―な名前だと思ったからです。現在は、当時のコンセプトから発展させて、インタビューを通して、地域の魅力を発信し、地域を元気にするきっかけを作っています。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)「リビングラボの先進事例とも呼べるベッドタウンで注目される駅郊外コミュニティ・753ビレッジ」 in 神奈川県横浜市

地域での活動成果は、地方創生詞「Broup」というYouTubeチャンネルになるべくアップしています。
地方創生詞(ちほうそうせいじ)と読むのですが、これは、筑西市にあるやまぐち薬局の薬剤師・山口浩司先生が「藤川くんはホットドックのソーセージみたいだね」と呟いてくださったことが由来です。ソーセージ単体でも美味しいのに、地域に溶け込み地域住民というパンとパンに挟まれて、手軽な料理として美味しい上に価値を高めているという意味だそうです。その後、洒落で「創生」とソーセージを掛け合わせました。「Broup」は、「Bull」と「Group」を組み合わせた造語です。グループを束ね、上昇していけるようにという意味を込めています。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「ニューノーマル時代のカギを握る健康サポート薬局と予防医学」 in 茨城県筑西市

動画づくりを通して得た大きな成果は、「市町村名 地方創生」や「市町村名 SDGs」とGoogle検索をし、範囲を動画に絞るとエピテックの動画が上位に出て来るという成果です。たとえば、「神奈川県横浜市 地方創生」や「茨城県筑西市 SDGs」で検索すると2022年8月時点で、1番上に公開されています。
地方創生詞「Broup」には、たくさんの動画をアップしていますので、ご覧ください。応援としてチャンネル登録や高評価、良いと思った動画はどんどんシェアしていただけると、地域の方や大学生のモチベーション向上に繋がります。ぜひお力添えをお願いします。
 地方創生詞「Broup」

相模女子大学で教えられているそうですね

学生の頃に参加した二戸市の全国エコツーリズム大会でご紹介いただいた全国エコツーリズム学生シンポジウムで発表を行った際、声をかけてくださった相模女子大学(当時・富山県立大学)の九里徳泰教授とのご縁から、2020年に新設された相模女子大学大学院社会起業研究科というソーシャルビジネスに特化したMBAコースのアドバイザリーボードに選んでいただいたことがきっかけになりました。

第4回 全国エコツーリズム学生シンポジウムでの発表の様子

翌年の2021年度から学部向けに相模女子大学 学芸学部の非常勤講師として「観光学特別講義Ⅱ」という授業を担当し、主に国内の観光や地域振興に関する授業を行っています。授業内容は、とてもハードな内容かと思います。学生たちには、「意味なく覚える必要はない、考えて必要だと思うことを覚えなさい」と伝えています。これからの時代は、いつでもスマートフォンなどで検索することができるようになります。おそらく、知識を丸暗記で覚える時代は終わりを迎えることになるでしょう。これからの時代において必要なことは、「必要な時に知識を活かす力」だと思います。キーワードさえ思い出せば、その時に調べれば良い訳です。これからの時代の教育は、クリエイティブに考え抜く力が問われる時代になると思います。「なぜなのか」を考える感性が人生を生き抜く力には必要だからと思うからです。

2022年度は、中教室位の人数の履修登録をした学生全員が、試験課題を提出してくれました。一般的な特に文系の大学講義は、単位取得を途中で諦めて、授業を切ってしまう学生が何人かいると思うのですが、全員が乗り切ってくれました。1人も離脱者が出なかったことは、教員として達成感があり、誇りに思える結果だったと思います。このような結果が残ると、少しは学生から支持されている授業が行えているのかな?と思います。せっかくやるなら大学の名物講義にしていきたいです。

横浜での活動を始められたのですね

コロナ禍で多拠点生活のウエイトが筑西市よりも横浜市に増えました。やはり、行き来する生活の中で、「もし、自分がコロナを持ち込んでしまったら」と考えてしまうと、地域付き合いに影響を出してしまうと感じたからです。
都筑区すみれが丘(最寄りはセンター北・北山田駅)に、大丸青果という老舗の八百屋さんがあります。この八百屋さんと、横浜市のみなさんに農作物を通して、産地や地域のことを身近に感じてもらう機会づくりとして「すみれマルシェ」を行っていこうと思います。

すみれマルシェ
https://daimaru808.hp.peraichi.com/

都筑タウンビジョン~都筑の老舗の青果店~

この八百屋は、高校時代の担任の先生からのご紹介です。茨城県筑西市で生活を始めた頃、柔道部のOB会で高校を訪れた際に偶然、先生にお会いしました。その際、「筑西市の現場に遊びに行って良い?」と仰っていただき、12年経っての家庭訪問をしていただきました。先生は、理科の先生のため、都心部郊外にある関東平野の広大な農村地帯に魅力を感じてくださりました。これをきっかけに、毎年、農業やバイオ分野に進学を決めた法政大学第二高等学校3年生の現場実習を受け入れることになり、法政大学の学生に実習先を紹介することも増えました。法政大学に進学しなかった自分がこのような形で交流を持つようになるとはご縁というものは不思議です。

「すみれマルシェ」では、茨城県筑西市や八千代町の地域おこし協力隊と連携して実施します。横浜市側だけではなく、茨城県側でも活動発信や仲間づくりをしていくことを大切にしていきたいからです。マルシェを開催することで、茨城県側で集めたこだわりの産品を横浜市の八百屋1か所に産品を送ることが可能になります。物流コストが上がっている現在、まとめて物が送れることはメリットが大きいです。また、生産者も個別包装を簡略化できるため、負担を減らすことができます。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「皇室献上品に選ばれたこだわりの椎茸から学ぶ宇宙に羽ばたく日本の農文化」in 茨城県筑西市

私の目指していることは、このマルシェを通して、農村コミュニティと都心部のコミュティを繋ぐことです。マルシェを通して、横浜市の学生コミュニティ・子育て福祉コミュニティ・仕事を引退したシニアコミュニティと地方部の農村コミュニティなどが互いの困りごとを解決し合っていく「コミュニティパートナーシップ」を築くきっかけを作っていきたいです。茨城県の連携を機にこれまで縁を作って来た他の地域との連携の輪も広げていきたいです。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「都心部の 子育て・福祉分野と地方部の農村分野のコミュニティパートナーシップ」 in 神奈川県横浜市

横浜について考えることがあるとか

コロナ禍になって横浜で過ごす日々が増えた中、定年を迎えた父が、時間をどう使って良いか迷っているようでした。そこで、気がついたのです。この悩みは、家の父親だけでないと。横浜市は、東京のベッドタウンであるため、都心で働くために全国各地から人が集まり、家を買い、家庭を築いている方々が多い地域です。現在は、65歳以上の方が100万人程度いらっしゃるそうで、65歳以上で政令指定都市を作れる規模になっています。すなわち、横浜市は、それだけ日本の経済を支えてきた経験と知識が豊富だということです。これは、貴重な人的資源なのではないでしょうか。

私は、この方たちが、地方部に貢献する仕組みづくりができないかと考えています。ふるさとに貢献したいけど、どうして良いのかわからないという方々の気持ちに寄り添えないか?と考えました。このような方は、たくさんいらっしゃると思います。現在、総務省など国は、地域との関係人口創出を目標に掲げています。ふるさと納税などがわかりやすい例です。

横浜市の経験豊富な65歳以上の若手シニア、すなわち「ヤングシニア」の力は、地方部とっては即戦力だと思います。しかしながら、主役は、地方部で想いを持って頑張っている人が担わなければ意味がありません。ヨソ者のヤングシニアは、あくまで知識や経験の伝承、人のネットワーク、資金調達などをサポートし、ブーストをかけるサポーターです。
私から見た横浜市の印象は、都心部と地方部を繋ぐまち、すなわち、「これまでの時代」と今流行りの言葉を借りると「新時代」を繋ぐ架け橋になる地域だと思います。社会のトレンドを生み出す東京都の隣で、時代の流れを読み解く多世代が活躍する地域が横浜市の立ち位置だと思っています。今こそ横浜が先頭になって、地方と繋がって地方創生のお役に立てる「時」ではないでしょうか。何て言っても、日本最大規模の「地方・田舎」なのですから、先頭を切ろうじゃありませんか。

私が手掛ける横浜市でのプロジェクトのキャッチコピーは、 「開港」であり「開講」のまち です。
開港のまちであり、世界に開けた横浜の歴史を活かし、日本全国・世界に知識や経験を開いていく開講のまちとして発展して欲しいと願っています。
多くの人が、自らの経験を社会に返すために、必要な人に想い・経験・知識を伝承する講座を開講してもらいたい。横浜市を訪れれば、多くのヒントが得られるかもしれない。そんな地域振興のゲートウェイになって欲しい。まさに「開港」であり「開講」のまちです。

国際情勢が荒れている中、自国でエネルギーや食料を調達することの重要性が問われていると思います。これからの時代は、「農業」を中心とする「エネルギー」や「ものづくり」に注目が集まって来ると思います。魅力度ランキング最下位と言われ続けて来た茨城県が輝き始める日が来ると私は信じています。

日本が世界に誇る偉大な漫画の世界だけではなく、現実の世界でも「新時代」は、すぐそこに来ていると思います。日本の「開国」改め「快国」に向けて力を合わせる時なのではないでしょうか。

私にとっての横浜は、
「『開港』であり『開講』のまち」です

 

<取材を終えて>

インタビュー後、藤川さんは私の友人の息子さんと高校の同期だということが分かりました。30代の若者が、横浜のこと、日本の行方を真剣に考え、提言してくれている姿に感銘を受けました。横浜を「開講」のまちにしたい・・という言葉は素晴らしいですね。今後の活躍に期待しています。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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