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記憶の中から (第四話)山本周五郎の思い出

by staff on 2022/9/10, 土曜日

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第四話  柳橋物語

夏の盛り、離れの雨戸が閉まっています。「おじちゃん暑いのに何やってるのかな」と子供心にも不思議になります。やっと雨戸が開いてあああ・・・と背伸びをしたおじちゃんが濡れ縁に出てきました。くたびれた着物に黒い前掛けをしています。「何やってたの」 「火事んとこを書いていたんだ」おじちゃんは小説家だなんて五、六歳の子供は知りませんでしたがその言葉がどこか頭の隅に残っていたのでしょうか。大人になって周五郎の年表をたどると、あの『柳橋物語』に行き着きます。薄幸な少女(おせん)が大火事を川に浸って他人様の子供を抱きしめながらしのぐあの名場面です。関東大震災や戦争を経験した人でしたからその場面のリアルなこと。身震いが出るほどです。
私は『柳橋物語』の火事の場面が生まれた瞬間のただ一人の目撃者なのですね。
その「柳橋物語」は父の出版社、操書房の「椿」に初めて掲載されました。

下町育ちのおせんと好太と庄吉。庄吉は上方に修業のため旅立つがおせんに「帰るまで待っていてくれ」と言いおいた。その一言がおせんの生き方を変える。恋に恋する娘心。
その後大工の棟梁の跡継ぎになった好太からは何度も嫁に来てほしいとの話が有るが、一途に庄吉の面影を追うおせん。江戸に大火事が。川に飛び込んで他人の赤子を抱いて火の下にうずくまるおせんを好太が助けに来る。火を浴びながら懸命に水をおせんに浴びせて、そして好太は業火に巻き込まれて帰らぬ人になる。おせんの頭には腕の中に残された赤子と助けてくれた好太しか残らず子供を「好太郎」と名前を付けて下町の人たちの温かい手助けで何とか生きて行く。そこに上方から庄吉が。赤子は好太の子供だと誤解。やがて他人と結婚してしまう。「待ってたのに」おせんは自分を本当に好きだったのは好太だったとやっと気がつく。若い女の切ない生き方。

柳橋物語(Amazon)

柳橋に行ってみたことがありました。神田川が隅田川にそそぐところが柳橋です。
江戸時代から船宿、料亭が多い場所で柳橋と言えば芸者さんの代名詞のような時もあったとか。関東大震災で焼け落ちた後復興した美しいアーチ型の橋の欄干にはなんと「かんざし」が埋め込まれていました。川岸には柳が植わっていてお江戸を思わせる場所でした。

ここを訪れたことで物語を読むと情景がくっきりと目の前に浮かび、私も江戸に住む人のような気がしたのです。物語を読む醍醐味を味わえました。
数々の感動的な物語を紡ぐ人でも一風変わったなところもありましてね。
離れの真向かいの自宅の台所口に七輪を出して網の上にはカタツムリを五、六個置いて焼いてます。「フランスではカタツムリを食べるんだ。エスカルゴって言って高級品なんだよ。おいしいから食べてみなさい。」にょろにょろと首を出しているデンデン虫。それだけは嫌でした。黙ってブルブルっと頭を振って海に泳ぎに行ったと記憶してます。。
おじちゃんの得意そうな顔は忘れられません。

ある時古い漁船を買った二人の父は沖に漕ぎ出したのは良いのですが、どっちか忘れたけれど船酔いがひどくて二度と船には乗りませんでした。しばらく岸に上げてあったぼろ船、いつの間にか無くなっていて一応探したらだいぶ離れた海辺にあげてありました。誰かが使っていたようです。おおらかな時代です。この話も「青ベカ物語」を執筆する元になったのかもしれませんね。

おじちやんは好奇心が旺盛でしたね。寒い冬になると周りの漁師の家からは「トントントン」海苔を刻む音が聞こえます。早朝本牧の海にびっしりと植えてあるシビに付く海苔を取ってきて、すだれに乗せた枠に流し込む作業をしているのです。おじちゃんも道具一式そろえたけどもすだれに流しこむのが下手で厚ぼったいものしかできない。これもすぐ辞めてしまったのも記憶にあります。
父がどこからかアヒルをもらってきました。番犬のようにガアガア鳴いて人のそばによってきてあの大きな口で足をつつくのです。おじちゃんにも、原稿を東京から一日掛かりで取りに来る編集者にも迷惑を掛けました。それが間門園に書斎を移すことになったきっかけになったのでしょうか。その頃には小説家山本周五郎としての評判も高くなっていたのです。家賃がもらえないことも母の不満だったと思われます。
その後離れは元お琴の師匠だったというオンリーさんが借りて、スミスさんというサージャント(軍曹)が通い家にはアメリカの食料が沢山手に入ることになりました。
おじちゃんごめんね。

左:周五郎先生    右:『椿』 初版。「柳橋物語」が最初に発表された

 

(第四話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

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