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風景で読み解く横濱 (第九話)自動車産業のあけぼの

by staff on 2023/1/10, 火曜日

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第九話 自動車産業のあけぼの

 

 里帰り

戦前、様々な企業が絵葉書を新社屋や工場、商品の紹介他メディアとして多彩に活用しました。今回は自動車産業の横浜風景を紹介します。
2022年(令和4年)5月、みなとみらい地区に「いすゞ自動車」本社が移転してきました。2009年(平成21年)には日産グローバル本社が移転、日本自動車史に足跡を残す三大国産メーカー「トヨタ」「日産」「いすゞ」の内2社がみなとみらいに集結、横浜に里帰りしたのです。
この2社を含め外国メーカーの日本自動車史には深く横浜の地が関わっています。

 

 輸入時代

日本の自動車産業は明治期から始まりますが、大正期までは輸入中心で本格的な国産車量産体制は整っていませんでした。1900年(明治33年)ごろから本格的になった日本の自動車輸入は横浜山下町のロコモビル・カンパニー、ブルウル商会等に代表されるように外国人商社がほぼ独占状態でした。明治後期の都道府県別統計では神奈川県(横浜)の自動車使用数が最も多く独自の県内「自動車取扱規則」を制定していた程です。

大正期に入り日本にもモータリゼーションの波が押し寄せます。最大のきっかけとなったのが関東大震災です。震災復興に小回りの聞く自動車物流が求められたのです。
当時、日本の自動車製造は細々と始まっていましたが、量産体制は世界を席巻したフォード横浜工場の登場から始まりました。
戦前、日本の自動車産業を牽引したのは”世界のフォードとGM”です。
欧米市場を席巻していた二大メーカーが日本市場にも着目します。提案したのは当時世界の自動車生産をリードしてきたフォード社に勤めていた日本人スタッフでした。
創業者ヘンリー・フォードは日本での生産販売を決断し、1925年(大正14年)仮工場を横浜市緑町に開設しその後守屋町に新工場を移転し、震災復興で求められていた自動車市場に参入していきます。
震災後スタートした横浜市営乗合自動車(バス事業)は14人乗りフォードA型でした。

 

 製販一体

フォードはそれまで輸入を一手に扱っていたセール・フレーザー商会や梁瀬自動車など輸入代理店任せの流通販売体制を修正し、部品を輸入しノックダウン生産方式を行い、直販体制の開拓に乗り出します。
一方、創業者ウィリアム・C・デュラント率いるGMも東アジア市場がフォードに席巻されることを懸念し遅れること2年、1927年(昭和2年)大阪鶴町に日本工場を開設しフォードを猛追します。
米国二大メーカーがそれぞれ東と西に拠点を置き、日本市場を競うことになります。

 

 国産工場のあけぼの

これに危機感を抱いたのが日産・日立グループを築いた鮎川義介でした。彼が経営手腕を示した東洋初の可鍛鋳鉄製造会社「戸畑鋳物」(北九州)を土台に、自動車製造業を興します。
本拠地となったのが横浜でした。ここからいすゞ自動車と日産自動車が誕生します。両社の戦前の変遷はやや複雑ですが簡単に説明すると石川島造船所をルーツに持つ、テ゛ィーセ゛ルエンシ゛ン技術の先駆者である株式会社石川島自動車製作所と鮎川の戸畑鋳物傘下のダット自動車製造株式会社が合併して自動車工業株式会社が誕生(いすゞ)、鶴見江ヶ崎に工場を設立します。
ここから自動車製造株式会社が独立し子安に工場を設立します。

さらに日産自動車はいち早く日産自動車販売株式会社を設立し、販売網の拡大に務めました。
これが日産自動車グループとなり今日に繋がっていきます。
日本の自動車産業は横浜を基盤に成長してしてきたといっても過言ではないでしょう。
戦時中、フォード横浜工場は撤退し戦後復活しますが、その後この場所は70年代に提携関係にあったマツダ東洋工業の「マツダR&Dセンター」となり現在に至っています。(冒頭写真参照)
また、日産自動車最初の工場が設立された横浜市神奈川区宝町2は東京本社時代もそして現在も登記上日産本社となっています。

※ここに紹介した絵葉書・地図は個人蔵を使用したものです。(一部加工) 転用等はご遠慮ください。

 

(第九回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

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