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私にとっての横浜は「帰る場所」です。シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表 杉山順子さん

by staff on 2023/2/10, 金曜日

横浜生まれ、横浜育ちの生粋のハマッコで、色白で華奢な身体からは想像も出来ないくらい心が強く、モンテッソーリ教育を軸に子育て中のママと子どもたちに寄り添い、誰もが公平に教育が受けれる社会を目指し活動をされている杉山よりこさんのご紹介です。

シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表 杉山順子さん
 
シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表
杉山順子さん
 
お名前 杉山 順子(すぎやま よりこ)
お生まれ 1972年7月 中区中央病院
お住まい 西区みなとみらい
ご家族 夫と子1名とうさぎ
お仕事 シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表
HP https://love-everything.me/
趣味 ワインと美味しいものを愉しむこと

 

忘れていた幼少時代の思い出

私は3人兄弟で兄と弟がいます。兄とは2才、弟とは3才違いです。
第2次ベビーブームの中、時代の申し子です。小学校は1学年が12クラスもありました。
2歳の時に短い期間ですが父が仕事で アメリカ ノースカロライナ州 ローリーに行くことになり、家族も同行しました。弟はまだ生まれていない時のことです。日本語も覚束ない2歳の私の方が4歳の兄よりも上手にコミュニケーションが取れていたそうです(笑)

私は3人兄弟で兄と弟がいます。兄とは2才、弟とは3才違いです

父がアメリカノースカロライナ州ローリーに赴任時の家族写真

帰国後に生まれた弟は末っ子で甘えん坊、私はそれを疎ましく思い時々いじめていました。一方、兄とは習い事も同じ競い合う仲で、食の細かった兄に対して負けず嫌いな私は食べる事では兄に負けたことがなく、兄の分まで頂戴していたので体格の良い女の子でした。

外遊びが好きで日に焼けがっしりもしていたので、病弱の色白な子が幼稚園の先生に抱っこされているのが羨ましく、ちょっと僻みっぽい性格でもありました。

子どもの頃のそんな自分が嫌いだったので、幼少の頃のことは大人になってからは、あまり思い出したくありませんでした。

見つけたのは沢山の愛をもらっていた私

ヨコハマNOWの取材を受けることになり、思い出したくない過去と向き合わされることになった私は(苦笑)、幼少期に暮らした町に行って記憶を掘り起こそうと思いました。

町は随分と変わりましたが、昔住んでいた家や兄や弟と遊んだ路地や公園、良く遊びに行った近所の家などが残っていて、その場所に立つと過去の出来事が映画を観ているかのように目に浮かんできました。
まるで、その時々の会話が聞こえてくるようです。
「よりちゃんはよく食べるね、お兄ちゃんより食べるじゃない」と微笑んでいた母の顔や「よりこは叔母さんちの4女(末っ子)だから」と慰めてくれた叔母の顔・・・家族や祖父母、ご近所さん、友達、みんなが私の名前を呼んでいる声が、聞こえるようでした。その風景の中で、笑顔の私を見つけることができました。

幼い子でも「嫉妬」や「嫌悪」、「怒り」などの感情を持ちます。人間として当たり前の感情なのですが、経験がない分、どう向き合って、どう対処していいのかを知りません。幼い時はそんな感情が湧くことに「とまどい」「悩み」、そして、どうしていいかわからず自分嫌いになってしまったのだと・・・気づきました。

なりたい自分になれなくて、マイナスの感情のやり場に困っている少女・・・・抱きしめてあげたくなりました。今まで嫌っていたその子に「大好きだよ」と、言ってあげたくなりました。今の私なら一番の相談相手になれると思うのです、なぜなら痛いほどに気持ちがわかる、その子は私自身なのですから・・・。

転校が転機となりました

父が藤沢に勤務していたので、幼稚園、小学校は神奈川県大和市(やまとし)に住んでいて、中学に入学するタイミングで旭区に引っ越しました。誰も私を知らないから「今までの私じゃなくていいんだ」と気持ちが楽になったことを覚えています。中学ではバスケット部に入りました。親友ができました。

一方、英語の授業でつまずいてしまい、中1の一学期から授業について行けなくなりました。中3の夏に母が私の同級生のお兄さんに英語の家庭教師を頼んでくれて、友人と一緒に勉強を見てもらうことになりました。
すでに英語が「嫌い」になっていた私でしたが、中1の最初からやり直してもらったことで文法を理解することができ、なんと英語はみるみる間に得意科目になりました。この時の経験から、わからないことやできないことは理解できるところまで遡って、そして確実にひとつひとつこなしていけばいいのだと、自信をもてるようになりました。

高校ではサッカー部のマネジャーになりました。サッカー部員の要求をくみ取り、「何が必要か」と動いた経験が後の良い宝物になりました。得意科目になった英語を活かして、短大は英文科に入りました。短大は女子ばかりの世界でしたが、私には合っていたようで、チアリーディング部では全国大会にも出場して6位入賞を果たしました。

短大時代 チアリーディング部では全国大会にも出場して6位入賞を果たしました

JALのグランドホステスに!

短大卒業後は1年間、イギリスのバースという町に留学して、アートを学びました。2歳の時に外国で身に付けた(笑)コミュニケーション能力は健在で、様々な人と関わることに喜びを感じました。高校の時にサッカー部のマネジャーとして体得した「人の欲求をくみ取って動く」能力も健在でした。その能力を活かせる職場を探して「JALのグランドホステス」になりました。契約社員でしたが、羽田のチェックインカウンターや搭乗ゲートでの接客は楽しかったです。



短大卒業後イギリスのバースに留学してアートを学びました

お客様の「不安」や「求めていること」を予想し、声掛けをし、適切なサポートや指示を出して喜んでいただき、「ありがとう」「助かりました」「お世話様」と声を返していただけることに誇りと喜びを見つけました。同期や仲間と、旅行や遊びにもたくさん出かけ、尊敬できる人たちとの出会いもありました。
羽田で過ごした3年間は自由で、とても自分らしくいられたように思います。

JALのグランドホステスの頃

子供嫌いだった私が母親に?

転職を機会にソフトウェア関係の仕事をしていた夫と出会い、2003年に結婚、2005年に長女が生まれました。

私は「子供の頃の自分が好きではなかった」ので、無意識に娘は私のようには育って欲しくないと思っていたのだと思います。そして、「きちんとした母親」にもなりたいと思っていました。「子供嫌い」な私でしたが、我が子は違います。娘にはのびのびと元気に育って欲しいと思いました。
「三つ子の魂百まで」と言います、娘の幼稚園選びは時間をかけて行いました。田園調布に良い幼稚園があると聞いて見学にいきました。この時、初めてモンテッソーリ教育というものを知りました。

モンテッソーリ教育に出合った

横浜から田園調布まで娘を送迎する往復に掛ける時間を考え、娘のことも気がかりだったので、娘が帰るまで幼稚園に居すわる方法を探しました。幼稚園では保護者が参加できる講座活動やサークルがあり、手芸サークルや点茶煎茶道サークルなどで保護者の方々と交流を深めました。
夫からは、私の幼稚園に娘が付き添っている、と言われるほど、私が幼稚園生活を満喫していました。

そこで実践されていたモンテッソーリ教育にも興味をもった私は、園の先生方が資格を取得している通信講座があることを知り、娘の在園中に2年間のモンテッソーリ教師養成コースで学ぶことにしました。

「モンテッソーリ教育」は、今から約120年前、イタリア初の女性医学博士であるマリア・モンテッソーリによる、実践的な研究と科学的観察によって導き出されました。

「すべての子どもは自ら発達する力(自己教育力)を持っている有能な人間である」という信念に基づき、大人が子どもに何かを教えるのではなく、環境を準備することによって自然な発達をサポートします。その為には子供を観察することが需要で、子どもの興味や発達段階を正しく理解し、子どもが触ってみたい、やってみたいと思う環境を適切に用意し、子供の「自主」をサポートします。

モンテッソーリ教育は英才教育として注目されることが多いのですが、実は子供以上に、子供と関わる大人の意識が変わる教育法です。

子供が苦手だった私が、子供を授かり、子育てを通じてモンテッソーリ教育に出会ったことで、私の人生観は変わりました。
子供を大人の思い通りにしようとするのではなく、子供のありのままを受け入れて、その子らしく存在することを心から願った時、それは自分自身と向き合うことを意味します。
なりたかった自分は、どんな自分だったのか。私は私らしく、いられているのかと、自問するのです。

Siamo Montessori Consulting/シアモ モンテッソーリ コンサルティング創設

私が学んだ「モンテッソーリ教育の理論」を多くの方々に知っていただきたく、「シアモ モンテッソーリ コンサルティング」を立ち上げました。

「現代において、子育ては情報があふれる一方で、とても孤立しています。自分が子育てをするまで、小さい子どものお世話をしたり、面倒を見て遊んだりしたことのない人がほとんどです。私自身もそうでした。自分に経験のないことをするとき、何か困ったことがあったとき、人は誰かに相談するものです。そのひとつの選択肢として、シアモ モンテッソーリ コンサルティングがあなたのお力になれることを願っています。

マリア・モンテッソーリは、イタリアの女性医学博士・幼児教育者として知られています。ある時精神病院を訪れた博士は、発達遅滞の子どもたちが床に落ちたパンくずを拾い漁る光景を目の当たりにしました。世話係に卑しいと蔑まれる彼らを見て、博士はあることに気がつきます。それまで虚ろだった子ども達の目が、パンくずを探す時だけは真剣な眼差しになるのです。その様子に「手を使いたい」という発達の要求を垣間見た博士は、手を使う教具を使って子どもたちと共に過ごし、彼らを見事ローマの国立学校の試験に健常児を上回る成績で合格させることに成功しました。
子どもの行動だけではなく、その内面にあるものを知りましょう。そうすることで、見える世界が大きく変わることをモンテッソーリ博士は私たちに教えてくれました。一緒にその世界を見てみませんか?」(シアモ モンテッソーリ コンサルティングHPより抜粋)

個別相談、訪問相談、WEB講義など、個人はもとより、会社や施設・団体向けの講座もご用意しております。皆様にお会いできることを心より楽しみにしております。
詳しくは:https://love-everything.me/

あなたにとっての横浜とは?

将来の夢は、環境の整った小さな子供の家を作ってみたいです。その子供の家は全てが子供サイズで、大人の方が不自由さを感じるような家です。子供たちは花を活けたり、料理をしたり、縫い物をしたり、思い思いに過ごします。モンテッソーリ教育では、子供の活動を「お仕事」と呼びます。それは、目的と責任のある活動が遊びとは区別されるからです。子供が自分のやりたいこと、好きなことを見つけて「ありのまま」で居られ、時が子供に合わせて流れていく空間、そんな場所を作ることが私の夢となりました。

私にとっての横浜は「帰る場所」です。電車で横浜駅に降りた時、遠くからでもランドマークタワーが見えた時、ああ帰って来たと、いつもほっとした気持ちになります。どこに行っても帰れる場所があることが「安心」に繋がります。
「ここに居れば大丈夫」という場所は誰にとっても必要なものだと思います。それが、私にとっての横浜なのです。

私にとっての横浜は「帰る場所」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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