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風景で読み解く横濱 (第十話)博覧会

by staff on 2023/2/10, 金曜日

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十話 博覧会

明治以降、日本は欧米から様々な形で近代を吸収する道を選びました。多くのお雇い外国人を招き人を通して近代を学び、自らは欧米の博覧会に積極的に参加しました。
また、国内の産業育成のために大規模な「内国勧業博覧会」や”同種ノ物品ヲ一場二蒐列”する業界・地域毎の「共進会」を各地で開催し産業奨励に務めました。
第一回の内国勧業博覧会が開催されたのは1877(明治10)年東京上野で、以降1903(明治36)年の第五回目を最後にその役割を終えました。
一方の「共進会」は近代日本経済を支えていたお茶と生糸の共進会を初めて横浜で開催することからスタートを切ります。その後煙草・陶漆器・米麦等々様々な分野の共進会が全国で地方博覧会として横浜スタイルで開催されたようです。
横浜はまさに「地域物産展」の草分け的存在といえるでしょう。

 

 横濱勧業共進会

明治44年に始まった新神奈川県庁舎の建築計画が完成する予定であった(明治46年)その竣工紀念に合わせ、横浜市最初の大型地方博覧会として「横濱勧業共進会」を開催することが決まります。ところが、明治時代が終わりを告げ、計画は延期され1913(大正2)年に開催されることとなります。
期間は10月1日から11月19日までの50日間、開催場所はその名を残す南区共進町(昭和3年命名)を含めた大岡川”川外地区”で112,658㎡の会場面積を確保します。田圃であった会場予定地は地主自らの造成によって貸し出され、開催予算は多方面からの寄付によって賄われました。

会場図

会場正面

記念絵葉書

 

 共進会の賑わい

会場へのアクセスのために横濱電気鉄道(後の市電)が駿河橋電停からお三の宮まで延伸し、共進会に備えました。さらに吉野橋を架橋し期間中には弘明寺まで延伸工事が完了します。関内からお三の宮を繋ぐ軸線「伊勢佐木商店街」もこの共進会に合わせて賑わいを記録しています。

この「勧業共進会」は記録によると出品数は75,235点にも及びました。当時としてはかなりの規模を誇る地方物産展となり入場者数62万人で、成功したとされています。
実のところ、当時の新聞を検索してみると、かなり”辛口批評”となっているのがわかります。
「(以下記事引用)
時事新報特集記事小見出し
横浜共進会短評 (一~八)
(一) 陳列の無秩序不統一 原料製造品共種類少し
(二) 手工製品は種類最も多し然も注目を惹くもの少し
(三) 化学工業品殆どなし 織物の種類案外少し
(四) 輸出向織物の欠点 漆器の進歩は遅々 陶磁器の将来有望
(五) 美術品は優秀品少し 図案構想の工夫肝要
(六) 食料品海産物共に少し 農林館の出品至って乏し
(七) 機械館の内容頗る貧弱 参考館内参考資料少し」
記事内容から、この共進会は失敗に近かったと推察できます。
その理由の一つがタイミングの悪さでした。明治天皇崩御で開催が遅れたこの共進会が開催された翌年1914年(大正3年)3月20日から7月31日にかけて、当時の東京府が主催した大規模の「東京大正博覧会」開催の影響があったからだと考えられます。
つまり規模・予算・立地に大きく優る東京博覧会に有力出店者が流れてしまったことで、横濱勧業共進会自体、大手企業の出展が減ったために小粒になってしまったということではないでしょうか。

さらにこの「東京大正博覧会」は皮肉にも「大正天皇即位奉祝」という錦の御旗がありました。残念ながら「県庁竣工記念」では太刀打ちできません。「東京大正博覧会」の入場者は7,463,400人で横濱とは比較にならないものでした。

 

 南吉田・蒔田の発展

でも、この「横濱勧業共進会」一概に失敗だったとはいえないかもしれません。
開港以来、横浜の発展は関内周辺と関外一部の発展でとどまっていたものが、この博覧会開催をキッカケに南吉田・蒔田地区に企業・商店が進出し宅地化も加速していきます。
大正期の横浜市域における鉄鋼・金属加工など関内を支えた工業が共進周辺に育ち震災も乗り越え発展していく礎となったことは間違いありません。

戦前、全国で博覧会・共進会が開催されますが横濱は大正2年の「勧業共進博覧会」以降大きな博覧会はしばらく開催されませんでした。関東大震災の影響も大きかったようです。
横浜が久しく開催していなかった大型博覧会は1935(昭和10)年に戦前最大級となった「横浜復興博覧会」となります。
この「横浜復興博覧会」は次回ご紹介しましょう。

 

(第十回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

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