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風景で読み解く横濱 (第十一話)復興博覧会の時代

by staff on 2023/3/10, 金曜日

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十一話 復興博覧会の時代

前回は大正3年に開催された横浜最初の大規模展示会「横濱勧業共進会」を紹介しました。実績としては大成功とは言えなかったようですが、地域には発展のキッカケとなります。
「小横濱」から「大横濱」への計画が立案された大正時代の横浜は”横浜都市計画元年”とも云われている組織変更を行います。
1919年(大正8年)久保田周政(きよちか)市長は都市計画を行う市区改正局と社会福祉を担当する慈救課を設置し、本格的な市政発展を目論みます。大正11年に発行された大横濱都市計画図にはなんと北は多摩川までが大横濱の範囲となっていました。
この計画は関東大震災で降り出しに戻ってしまいます。川崎は1924年(大正13年)7月1日に市となり、東京・横浜は共に直後大胆な都市計画を立てますが、帝都とは異なった復興の道を歩むことになります。
帝都大改造に踏み切る東京に対し、横浜は初期プランをあきらめ大正横濱の復活に舵を切ります。背景には復興予算不足と、大きな変化を嫌った地元経済界の意向も働きました。

 

 復興宣言

震災復興事業の中で、海岸部埋立地と都市公園が特筆できます。
横浜は貿易都市から工業都市への転換を図るため北部湾岸埋立を官民で加速させます。道路整備を含めた都市構造の再編成は中々進みませんでしたが、横浜港の拡張や埋立、周辺町村編入による市域拡張を大胆に行うことで港都横濱復興を実現したのが有吉忠一市長でした。
震災から4年、1927年(昭和2年)に国の復興局が廃止、市も6月2日<復興>を市内外に宣言する「大横浜建設記念祝賀式」を開催しましす。この時、式典には秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)を迎え、望月圭介逓信大臣を始め、1,557人もの市内外の名士が集まり盛大に挙行されました。
秩父宮は式典に参列する前、市長有吉忠一により復興状況の説明を受ける姿が写真に残されています。

続いて1930年(昭和5年)4月23日を復興記念の日と定め、昭和天皇の「お祭り騒ぎにならぬやう」の下、静かな「復興記念祭」が挙行されました。
この年3月に山下公園開園、先の昭和2年には海岸通りを挟みホテルニューグランドが開業し復興都市の一片が整っていきます。

 

 舞台としての復興公園

そして一段落ついた1935年(昭和10年)に「復興記念横浜大博覧会」が開催されます。

「大正12年の関東大震災から立ち直った横浜市が復興を記念して産業貿易の全貌を紹介するため、山下公園約10万平方メートルを会場に開催した。風光の明媚と情緒随一の山下公園には、1号館から5号館まで各県と団体が出展、付設館として近代科学館、復興館、開港記念館のほか、正面に飛行機と戦車を描いた陸軍館と、1万トン級の巡洋艦を模した海軍国防館が作られ、館内に近代戦のパノラマがつくられ、戦時色の濃い内容であった。特設館は神奈川館のほか満州、台湾、朝鮮などが出展。娯楽施設は真珠採りの海女館、水族館、子供の国などがあり、外国余興場ではアメリカン・ロデオは、カーボーイの馬の曲乗りと投げ縄や、オートバイサーカスなどの妙技を見せ喝采を浴びた。この博覧会は百万円博といわれた。(乃村工芸資料)」
会場は復興事業の一つとして整備された山下公園一帯で、結果来場者数はのべ3,299,000人にも上りました。
横浜市が戦前最初にして最後の一大博覧会となったのです。

 

 時代の鏡

博覧会は、時代を写し出します。
開催された「復興記念横濱博覧会」は、現在の公園からは想像がつかない程の大テーマパークに変貌しました。
この博覧会が開催された1935年頃の様子を見てみます。
当時、日本にとって一つの大きな計画が進められていました。アジア初のオリンピック開催です。1932年(昭和7年)に行われたIOC総会の席上、日本代表はIOC会長に対し正式にオリンピック開催の招待状を提出します。しかしアジア初のハードルは高く、通例の総会では決定することができず、候補地選はさらに混迷を深め決定は1936年(昭和11年)にずれ込みます。
この間の1935年(昭和10年)、震災からの復興を国内外にアピールする絶好のタイミングに、横浜博覧会が開催されることになります。
発行された会場図を紹介します。

鯨の生簀を設置しますが、数日で死んでしまったそうです。現代なら大問題です。出展ブースは当時の情勢を反映し「満州館」「朝鮮館」台灣館」別途「阿里山館」を確認できます。移民の関係の「ブラジル館」、かろうじて独立を保っていた「シャム(タイ)館」も当時の様子を伺うことができます。
既に満州事変が起こり、日中戦争目前、出展国としては大掛かりなメニューを用意した米国とは6年後に対戦国となり、戦後はこの山下公園に米軍住宅が立ち並びます。

もう一つの山下公園史を紹介しました。

※ここに紹介した絵葉書・絵図等は個人蔵を使用(一部加工)したものです。 転用等はご遠慮ください。

 

(第十一回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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