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2011年4月 「祈りと決意」

by staff on 2011/4/10, 日曜日

 まず東日本大震災の被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げたい。地震と津波と原発の三重苦は人類史上はじめての経験である。地震と津波への準備は日本が世界一進んでいると世界中に思われていただけにショックは全地球的なものとなっている。ただ原発については安全性確保に十分な備えはあったのだろうか。そもそも他の古いものの安全性はどうなのだろうか。現在先進国や新興国で計画中の最新鋭のものはどう違うのだろうか。また地震国の原発はどう考えるべきなのだろうか。エネルギー節約型、環境重視型社会をより徹底させるには何をすべきなのだろうか。日本の問題点は治療し良いところはさらに強化するために社会全体で考えるべき政策課題は多く、解決方針策定には幅広い角度からの知恵が必要だ。そしてなによりも新しい日本を創造するビジョンが必要だろう。

 アメリカでは科学者たちは国内の古い原発の修理の必要性を訴え、原発産業はワシントンに原発の安全性とコスト面の優位等ロビー活動を行っている。日本の今回の問題の1年前にはウェストバージニア州の炭鉱事故とメキシコ湾海底油田の事故があったばかりで双方合計で死者40名、汚染問題が大変な事態であったことは記憶に新しい。企業の賠償金額は空前の規模で一大政治問題となりその後の国内の海底油田への許可は一時全面中止となったが、規制を強化したことで、ここにきて許可がではじめている。エネルギー需要や産業からの圧力などもあり、リスク管理強化のうえで進めるという方向のようだ。エネルギー問題はインフラ、家計、産業、非営利部門すべての根幹の問題であり冷静対処せねばならない。フランスは今回来日し協力している会社が総合原子力企業で5万人の従業員を抱えて保守管理まで引き受けている。学ぶべきことは多かろう。

 企業は直接間接の被害に対策を講じている。日本の民間企業は基本的にこのようなことへの自律的復元力が強いのが特徴だ。頑張ってほしい。最近の報道で世界検索最大手の日本法人が2時間で災害サイトを立ち上げたのは全世界における経営姿勢と日本本社の技術者魂が両輪となったものというのがあったのは嬉しい動きである。半導体検査装置の日本最大企業は念願の米ライバルの買収に成功し、技術進歩により失われる市場に代わるポジションの取得と経営安定化を図った。茨城で被害を受けた鉄鋼大手も新興国で必要な油井管用シームレスパイプ技術は健在で日本一の鉄鋼会社との合併も進む。企業は一層真面目に事業を追求し、国内のみならず海外の政府や企業や市民のために誇り高い仕事を進めてほしい。「いざ立て戦人よ」の歌を平和な事業への応援歌としたい。

 今回の福島原発については旧政権時代に衆議院の委員会で、野党議員が安全性について質問し、当時の大臣が前向きに対処すると答え、なにもなされなかった点がある。もうひとつは、過去に【会社の技術者数名が安全対策の進言かなわず退社】との報道もある。善良なる管理者として重大な不作為はなかったのかという問題がある。常に言われる天災か人災かの議論であるが、敦賀湾のもんじゅ問題も含め原因究明と責任問題、ほかの運転中の原発の安全保守問題など、市民もメディアも今後おおいに議論を尽くさねばならないだろう。温暖化問題との関連も考慮しながら地球環境問題として建設的、生産的な議論を世界的視野で将来世代により安全で管理可能な地球環境を残すことを人類の共通目的として再確認すべきだろう。そもそも原子力のように危険性が大きいものは故意過失がなくとも責任が生ずるという【無過失責任ないし結果責任】の考え方が底流に流れている。結果があまりにも不公平を呼ぶための通常とは異なる責任概念が50年近く前から国内法や国際法の世界で議論されているのである。地球環境問題も責任の話をし出したら誰も責任がとれないほどの結果が生じるための予防措置の構築の議論にほかならない。

 我々日本人は世界最先端社会の一員である誇りをもった地球市民としておおいに反省し、不死鳥のように【ジャパン・ミラクル・ワンスアゲン】と世界に認めさせなければならない。そして今回は礼儀や思いやりという一人一人の個人が人類として最も大切なことができる人間たちであることに誇りをもって、それぞれの立場で冷徹に考え、できることを実行し、語りあうことから復興のすべては始まるだろう。

 最近マイケルサンデルなどを契機に、正義や倫理について考えることの大切さがより認識されてきたのは歓迎すべきことだと思う。漫画も入った分かりやすい「もしドラ」も含めたドラッカーという知の巨人の足跡を訪ねるのも論語の新刊書で現代語と解説付きで読み直すことも意味があると思う。大切なのは問題の所在を早めにみつけ、できるだけ長く役に立つ解決策をはやめに導入し始めることなのだ。これが危機に対してあわてない唯一の方法だからだ。90歳をこえたドラッカー夫人も亡くなった夫が予想しなかったことが環境と食糧の問題だと述べている。これに答えるべく方法論を利用して欲しいとの趣旨である。考え得る最適解へと進みつづける旅こそが人間が生きることであることを今一度肝に銘じる必要がある。その際守るべきマナーがある。私流に言うと、女神がもつ天秤の片側には権力・権限・権利の三つの分銅があり、反対側に、真摯・義務・責任が釣り合う重さで載っている。このバランスをみてひとは正義と公平と安心を感じる。三流の女神たる為政者や権力者は、自らの怠慢を棚に上げて安全神話を創りそれを声高に叫ばせる。しかしそれは本来傾くべき天秤を、無理やり「手品師のみえざる手」ないしは「裏技」で押さえているだけなので時間的披露により、後に判明する。一般市民としてはその前に見破り、正すよう圧力を加えねばならない。最小不幸社会の実現という一見、志の低い目標も今回のような大きな危険に対して世界に先んじた十分な予防対策を講じることを信念をもって真摯に行うのであればその意味においてのみ正しい部分的政策目標となろう。

 さてドラッカーがマネジャー(管理職)に必要な唯一の学べない資質はインテグリティ(真摯さ・誠実さ)のみであり、ほかは学ぶべきことだと言っているのは見逃せない。真摯さ・誠実さは小さい時の教育が大きくものをいうので付け焼刃はきかず、これこそ人物を見抜くことに他ならないからだ。選挙も社内などの人事もこの点が重要だ。そして真摯さ、誠実さは、態度や姿勢から判断できる。判断する方もされる方も相手にこびず、自然体でこれを直感的に行い、受け入れる必要がある。これが選挙に限らず人を見る事であり、遠慮なしでいいと思う。変化自体は必要だが、ポピュリズム(大衆への迎合と人気取り)政治家の台頭は新たな財政規律問題と社会のリスクの増大につながりかねない。

 非劇的な地震の直後から頻繁に台湾の知り合いから励ましのメールをもらった。この人は日本語も英語も万能で貿易に明るい人であったが、夜は英語と日本語の両方を教えている40代の女性だ。台湾では1999年の9月21日に20世紀最大の地震があり、また一昨年も台風の際に日本の救助隊が当日中に世界で一番早く到着し厳しい仕事を立派に果たしていたことを知った。李登輝元総統や馬英九総統、ジュディオングや中田英寿も動いて、結果、なんと100億円という史上最大の桁外れの金額の寄付が集まっている。この規模は2000万人の国であるのとかなりの部分が市民の懐からでていることに鑑みればとんでもない数字である。さて、ツイッター最新情報によれば、孫正義氏が個人で100億円、会社で10億円の寄付を決めたそうだ。フォーブズで日本では1位で純資産6700億円、世界ではアップルのジョブズの110位の3つ下の113位につけたこの人物のことである。台湾の数字をみてハートのエースをだしてきたものであろう。九州男児の心意気を示した雰囲気である。彼が育った佐賀県は被災者3万人受け入れを表明したことを早い段階での記事でみた。関西以西に疎開していただく受け皿との趣旨でコンビニ大手社長らと自治体の首長とで政府に提案をしたようなのである。因みにユニクロは柳井社長10億、社員4億とのことで社員の金額に驚いた次第だ。因みにヘッジファンド世界1の人物は、資産ではなく、年間所得が推定2500億円であることを付け加えておきたい。そして「【陰のみに咲く】輩は何も言ってはならない。」ことを知る頭脳明晰な紳士たちは「沈黙は金」を常に不言実行する最強の科学的相場師である。

 さて、危機に際しては、衣がはげて、その人間の哲学、実力、品格、覚悟が露わになってしまうものだ。これはだれでも変わらない。東日本大震災で、米国救援隊の一員として東北地方に派遣された日系4世の消防士は、災難のさなかでも礼儀正しい被災者の姿に感銘を受けたと語っている。地震翌日の3月12日、ロサンゼルス郡消防局の同僚73人と共に青森県の米軍三沢基地に到着後、1週間にわたって岩手県大船渡、釜石両市で活動。被害の甚大さを目の当たりにしたとき広島を連想し、倒壊した店の女性オーナーが、『何もありませんが』と言って煎餅を差し出してくれたことに最も強い印象を受けたという。

 津波で家ごと流された30代の男性は、たんすにつかまり大船渡湾を漂っているところを小型船に助けられたが船長の男性は名前を頑として名乗らなかったという。船乗りの意地のようなものが感じられる。助けてくれという声に、コンテナや民家、木とあらゆるものが海に漂って、無理と判断した船長だったが1時間後に引き返し救助した。一度は絶望した男性に船長はただ黙ってうなずいたとのことだ。一晩を船上で過ごした夜は一睡もできず落ち込む男性に、船長は「命があるだけでいい、またやり直せばいい」と淡々と語ったという。命をかけて誇り高い仕事をする海の男の言葉だと思う。第二次大戦中、英国敵艦の兵士たちを救った海の武士道を実行した日本の海軍の艦長の実話を思い出した。彼は誇り高き男でひっそりと隠居しこのことを黙して語らなかった。この時助けられた英国紳士が外交官となり最近になって分かり、現在「海の武士道」という本やDVDがでている。

このようなことがらから思うのは、人間何を思って生きるべきだろうか、何をこれからの世代に残すべきだろうかということだ。英国の経済学者マーシャルは、イーストエンドの貧困を見てから自分の講義を聞けとケンブリッジの裕福な学生たちに言ったという。日本ではノーベル賞級の「国の産業発展の雁行形態論」を世界に打ち出した一橋大学の故赤松要博士などは戦う異色の実証主義の学者の一例だろう。赤松博士は旧久留米藩藩士の長男。久留米商業から神戸高商を経て一橋卒の九州男児で、恩師の福田徳三博士から「批判なくして学門なし」との教えを受けたらしい。この師にしてこの弟子ありと思う。早稲田大学の池尾愛子教授が赤松博士の人物についての本を3年ほど前にだしているので、機会をみつけて読んでみたい。なお、久留米商業は、ブリジストン創業者の石橋正二郎、それに朝日新聞を経て政治家となった石井光次郎がでている。プロ野球の投手で快男児、巨人、西鉄で活躍した川崎徳次も、中堅商社の財務経理責任者だった天国にいる私の父もここの出身である。さて、昨年亡くなられた一橋の開発経済学の名物教授だった小島清氏は、赤松理論を発展させ、”tutor’s role theory”【教師の役割論】を主張し、日本が世界の諸国と個別指導の師弟関係となって経済発展を遂げていることを理論として打ち出した。私はたった1度小島教授の講義を体験し”flying geese pattern” といって黒板に遠くに雁の飛ぶような姿を三羽、書かれたことを今でも覚えている。英国の哲学者ラッセルは大学や政府に抵抗して座り込みなどをして2回牢屋に入っているが、理論と実践のひとは芯がしっかりとしている。批判的精神顕在である。故夏目雅子の元夫で、今回震災に遭った仙台在住の作家の伊集院静氏は4月刊行の本にて、はからずも自分の立ち直る過程を書いたと語っているが、文学者の使命の一つは権力へのレジスト、一番悪い部分を指摘して行くことと述べている。独学の建築家、安藤忠雄氏も、3月の最終回の私の履歴書で、「人々は考えなくなり、闘わなくなった。経済的豊かさだけを求め、生活文化の本当の豊かさを忘れてしまった。」と述べている。そして明治維新の素地が300を超える諸藩の教育体制にあり藩毎の特色と学ぶ人の目的と個性を考慮した教育があり熱意ある柔軟な教育が生み出した人材が時代の扉をこじ開けたものと解釈している。直筆のメッセージ、がんばれ日本!安藤忠雄の似顔絵版とともに、「人間性を育む教育と自分なりの価値観をもった日本人の国民性を回復しなければ、未来は見えてこない。今こそ第3の奇跡を起こすべく、日本はまさに変わらなければならない。」という訴えが心にずしんと響く。因みに1937年のロンドンで若きドラッカーが知ったことに明治維新と日本画がある。この日本を愛した恐るべき独学の勉強家は、セブン&アイの伊藤名誉会長が、ドラッカーの自伝の文庫版へ寄せた一文で語られているように、晩年5年間日本画の講義もしていたのである。ドラッカーは歴史予測志向の経済哲学者の色彩が濃いと思う。

 今回、諸国民から、日本にはお世話になったし何かの形で力になりたいと音楽などのチャリティやネットへの音楽入り動画像や詩などをふくめ草の根レベルからでてくるのも、このように長い目で見れば、戦争の過ちを乗り越えるべく平和的な共存共栄の理論と実践に従事した無数の産官学の人々による真摯な努力の積み重ねの結果だと思う。

 そして今回、明瞭な指針を提案する人物を発見した。3月30日の日経新聞の経済教室に立派な論文を寄稿し、東北の復興の青写真を提案している、現在は甲南大学教授で独立行政法人経済産業研究所長の藤田昌久博士である。京大の後、ペンシルベニア大で四半世紀を過ごし母校京大に戻った職歴だ。ノーベル賞で有名なクルーグマン教授らとの共同研究をした新経済地理学ないし空間経済学の世界的大家である。先端技術型の基幹部品・素材および製造機械の産業が圧倒的に集積しているのが日本の強みだが、今回表面化した東京一極集中のもろさを克服すべしと論じている。地震などの災害に対する復元力のある産業構造を創るには、地域主権を本格推進し、日本に6-7か所の自律性をもった多様な地域をつくり、多極連携型の国土構造へ再構築する必要があると述べている。そしてそのモデルが東北だというのである。藤田教授はこう締めくくる。「そのモデルとなるべき、すべきは、今回最も甚大な被害を受けた東北であり、国民挙げた支援が望まれる。戦後最大の危機に、日本が一丸となって果敢に応戦し、新しい日本を創ることが、今回犠牲となった多くの方への最善の供養であると信じたい。」これは理論と実践と目的意識がしっかりとし、欧米の最先端の学者と対等にやりあえる実力を有した学究による立派な提案であると思う。是非このような方向で新日本の創造を今からはじめなければならないと思う。

 

 カリフォルニア州サンディエゴを母港とする空母ロナルド・レーガンが救助に来てくれているアメリカだが、同州のスタンフォード大学のヘネシー学長からのお見舞いは次のようなものとなっている。3月15日に大学内の教会で東日本大震災の被災者のための追悼の会を催したこと。2年前にタイを訪問した際、丁度ハイチで地震があった頃だったが、その5年前に地震と津波で甚大な被害を受けたそのタイで「タイの象はハイチを助ける」という標語を見つけたこと。同大学の1891年の第1期生(パイオニアリング・クラスでフーバー元大統領もこのひとり)には5人の日本からの留学生がいて、4年後の1895年にはその中のひとり、Keinosuke Otakiがめでたく卒業し、同大学はじめての海外在住の卒業生となったこと、現在日本からはキャンパスに数百人の学生や研究者のほかに、日本には15000人以上の卒業生がいるのだが、10名が仙台近郊に在住で連絡がとれないことを述べている。そして1915年に初代のジョーダン学長が「アメリカから日本へ」と題するシンポジウムを行い、「壁を取り除こう」という一文を書いたこと、それはつぎのようなものであったことを紹介している。『自分の経験では、日本の人々は思想、感情、大志のもち方や、行動を引き起こす欲求は、欧州の人々と似ているが、全体として小さなことで違いがみられ、その中で目立つものは、たとえ苦難な状況にあっても、あふれんばかりの善良さと助け合いの精神、そして陽気さを失わないことである。』そして、ヘネシー学長は、「生き残った人々を助けることに専念することが亡くなった人々を忘れず、そして称える最善の道であろうとわたしは思うのです。」と結んでいる。成功した立派なコンピュータ企業の共同創業者でもあるヘネシー学長が指導力を発揮していることに感銘を受けるとともに、ジョーダン初代学長や当時の日本人たちのことに思いを馳せた。昨年の龍馬伝ブームをひくまでもなく、日本人の祖先は誇り高き開拓者たちだったと思った。

 未来のある時点をしっかりと目標にすると、通常は現在から未来へと飛ぶ時間の矢が、逆に未来から現在へと飛んでくるように動くことがあるのだと、私のアメリカの知人は処女作「アメリカを救え(仮題)」の原稿で述べている。十分な訓練と準備をして、自分を信じて無心にベストショットを打てば、球が目標に引き寄せられるように感じられるときもある。世界の王監督は生まれてすぐ亡くなった双子の妹の分まで生きてほしいと親に言われたようである。亡くなった人のことを思うと、その人の分まで生きるぞという力がわくこともある。多くの人のことを思えば思うほど、西洋ではヘラクレスやサムソン、日本では仙台で銅像を見たあの谷風のような力も湧いてこよう。生前、蒋介石が日本人を恨むなと言って将校も含めて許してくれたおかげで中国大陸での敗戦から生きて帰れたといっていた父は、良い人間ほど生きて帰れなかった不条理に対しその分まで頑張る力になったと言っていた。そしてアメリカの考え方の良いと思うところは、フェアプレイの精神と開拓者精神だと思うと言っていたことを思い出す。明治維新も戦後日本もジャパンミラクルの源にはこのようなものを成すための信念と誇りがあったのだろうと思う。1万年ほど前に農耕が始まって以来、人類は幾多の災害を乗り越えてきた。今回も同じような悲しみを共有する世界中の人たちと共に、不幸にも生への帰還がならなかった方々のことを永遠に忘れずに、ゲティスバーグでのリンカーン大統領のごとき信念と決意をもって、誇り高き日本人であれば、より良い社会の創造に力を合わせていかなければならない。本当に豊かな日本の歴史を創るのは我々の仕事なのである。

 

小田切英治郎 プロフィール

昭和30年5月、北九州生まれ。牡牛座、A型。横浜と横須賀育ち、県立横須賀高校から一橋大学で国際法を学ぶ。米国駐在を含めた金融機関勤務、中堅企業やベンチャー経験の後、文化や経営、社会や歴史を中心とする翻訳や執筆に従事。米国のビジネス論文、大手企業の週刊文化発信、米国の社会改革の論文等の和訳等に従事。ラッセル、ドラッカー、ガルブレイスに目を通し、中島みゆきに耳を傾けると、城達也の声や、淀川長治の顔が浮かんできた。21世紀の地球は、地上の星が満天の星と対等に挨拶できるような星になってほしい。三権+メディア+金融の五権の分立を基本として、ペンは剣よりも金塊よりも歯切れよく、人は大海に向かって船出し、笑顔で戻ってくるのだ。

 

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