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ステッピングで医者いらずの生活を!
NPO法人日本ステッピング協会理事長 藤野弘一さん

by staff on 2011/5/10, 火曜日

 ステッピングの1段上り下り運動は、誰でも・何時でも・天候に左右されず・簡単安全にでき、いつまでも元気な健康寿命を叶えてくれます。厚生労働省は平成17年6月に「階段利用の進め」として「1段の上り下り運動(ステッピング運動)」は21世紀の最良の運動の一つとして公表しています。
 第13回ヨコハマNOWの「ヨコハマ趣味人」は、この運動を広げるべく2007年7月にNPO法人日本ステッピング協会を設立された同NPO理事長の藤野弘一さんにお話を伺いました。

藤野弘一さん  
名前 藤野 弘一(ふじの ひろいち)
出身 京都市
年齢 1941年10月23日生まれ 70歳
家族構成 夫婦二人暮らし
現在のお住まい 横浜市港北区
職業 美術織物・呉服販売業(2代目)
趣味 鉄道・自動車・船などの交通体系に関することに興味あり
性格 即実践する せっかち
信念 逆境こそチャンス
近江商人の「三方よし」を心得る(売り手よし・買い手よし・世間よし)
HP NPO法人日本ステッピング協会HP
http://home.e00.itscom.net/stepping/

お生まれは京都だということですが・・・

 私の祖先は、江戸時代に彦根(滋賀県)に住んでいた豪農の藤野氏になります。
 中でも藤野四郎兵衛の子である藤野喜兵衛は松前藩の場所請負人として網走から樺太までの魚場を築き財を成した人でした。滋賀県豊郷町には北海道開拓で成功した豪商、藤野四郎兵衛の屋敷が「豊会館」として今でも残っています。

 藤野喜兵衛の財力に目をつけた、彦根藩主井伊家から依頼され御用金の貸出をするが、安政七年の桜田門の変(1860年)で大老井伊直弼は水戸藩の襲撃を受け暗殺されたので、最後の貸出は返金されなかったという逸話が残っています。

 ちなみに井伊直弼は日米修好通商条約に調印して、横浜の開国を促し日本の開国近代化に尽くした横浜の恩人です。横浜市西区には開国断行を顕彰して元藩士たちによって建てられた井伊直弼の銅像がある掃部山公園があります。(直弼の官位である掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と呼ばれている)

 私は、京都で生まれましたが、1951年10歳のときに横浜に移ってきて掃部山公園のそばにある戸部小学校と老松中学に通いました。これも何かのご縁だと思っております。
 本家は京都で西陣織製造販売会社を営んでおりまして、父は横浜に移住して本家の作った美術織物・呉服などを販売しておりました。本家はローマ法王に祭服を納めているほど高い技術を持っている会社です。

 私は中学時代から胃腸が悪く、17歳の高校在学中に手術を受けました。そのため工業高校を4年がかりで何とか卒業しました。18歳のときに父が交通事故で倒れ、私が父のお客様を引き継いで呉服の販売を始めることになりました。

それからずっと呉服の販売のお仕事をされているのですね・・・

 横浜に住んでから60年、この仕事を始めてから50年以上になります。
 ご存知のように呉服販売は時代の流れとともに衰退しています。私のお客様の多くはお茶やお花のお師匠さんで、もう長年の付き合いになります。私はお客様がいらっしゃる限り、そうですね・・80歳までは現役でいたいと思っております。

 私共は父の代から60年間、ずっと無店舗販売をやってきました。それは近江商人の「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)によるものです。お客様のご自宅に伺って呉服を販売させていただくことで、店舗の運営経費がない分、より廉価に品物をご提供できると考えたのですね。

異業種交流の会を40年以上主宰されていると伺いましたが・・・

 私は健康上の理由や家庭の事情で、大学に行くことができませんでした。高校を出てからすぐに家業を継いだので、同世代の仲間が欲しかったのですね。それで23歳のとき当時、実業の日本社で発行していた「オール生活」という雑誌で仲間を募って「実友会」という異業種交流会を始めました。

 東神奈川で月1回集まって、勉強会をしたり企業訪問をしたりして見聞を広めていきました。これまで47年間で延べ400名以上の方々にご参加いただきました。現在は10人前後のメンバーになりましたが、「実友会」の仲間たちは私のかけがえのない財産です。私が商売を続けてこられたのも、ステッピング運動をやっているのも精神的に支えてくれる仲間たちがいたからだと思います。

ステッピングとの出会いを教えて下さい・・・

 私はもともと病弱で20代の頃から様々な民間療法を試みてきました。そんな中、10年ほど前にある雑誌で、坂道や階段を昇り降りする「スローピング」の記事を見たのです。これはいいと思って5年間続けました。そうしたら輸血が原因で発症していたC型肝炎が、64歳で治療することなく完治したのです。

 それで「スローピング」よりも簡単にできる運動はないかと考えて、家の中でいつでも誰でもできる「ステッピング」がひらめいたのです。

 「ステッピング」運動は、13cmの高さの踏み台を用意してその踏み台を一段、上り下りする運動です。家の中でやるので天候に左右されずに、簡単に安全にできます。しかもお金もかかりませんから、安心ですね。(笑)

 性別年齢を問わず、誰でもできるところも特徴です。これまでの体験者の最年少が6歳で、最年長が90歳です。ご覧いただいたステッピング教室でも最年長の方は80代ですよ。皆イキイキと元気にやっているでしょう。

 13cmという踏み台の高さですが、これは人間工学的に疲れない高さなのだそうです。枕の高さも13Cmが理想的らしいですよ。

 私は「ステッピング」運動を毎朝6時から30分間600回ほど、8年間にわたって続けています。その結果、体重は8kg減りましたし、高血圧や糖尿病などの症状がなくなりました。

 この「ステッピング」運動を多くの人にやっていただきたいと、2007年に仲間たちとNPO法人「日本ステッピング協会」を設立して、理事長に就任いたしました。

 最近「ステッピング」は様々なマスコミに取り上げられて、少しずつ認知度が上がってきました。まだまだこれからですよ。ちなみに「ステッピング」という言葉は私が商標登録しています。

日本ステッピング協会はどのような活動をされているのですか

 みなとみらい地区や三浦市でステッピング教室を定期的に開催しています。100人以上の方々が通ってきています。どなたも体の悩みが解決したと喜んでおられます。

 私たちは「簡単で効率よく早く成果がでる」一段の前向き・後ろ向き・上り下りの「ステッピング」運動を提唱しています。通常のウォーキングよりも短い時間で多くの運動量になるので、メタボリックや老化予防の効果が期待できます。

 私がこれだけ元気になったのですから、「ステッピング」運動を通して世の中のお役に立ちたいと思っています。もっともっと多くの方々に「ステッピング」を知っていただきたいです。薬に頼らずに自分の足腰で健康になってもらいたいと日々願っています。

 私は毎日、見知らぬ人3人に「ステッピング」を紹介するようにしています。3分間時間をもらって説明すると、長年培われた営業力のおかげでしょうか。初対面の方でも「ステッピング」運動を理解してくださいますよ。1年間で1000人の知らない方にお声を掛けていることになりますね。

今後の活動をご紹介ください

 5月からみなとみらいの高島中央公園と大口通商店街でステッピング教室を始めます。ご近所の方には是非、実際の「ステッピング」運動を見ていただきたいですね。

 私個人としては、みなとみらいクリニックの田中俊一理事長と一緒に糖尿病患者の会「MM歩みの会」を発足させました。この会でも糖尿病再発防止のために「ステッピング」運動を啓蒙していきます。

 
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横浜との関わりについてお話し下さい

 京都から横浜に来て60年が経ちました。私にとって横浜はもはや「故郷」ですね。

 横浜が大好きです。私のメールアドレスの yokofuji(横藤) は横浜の「横」と藤野の「藤」をあわせたものです。

 東京はブライドがあって気取っています。それに対して横浜にはどこにでも入っていけるオープンマインドがあります。気楽な感じがいいですね。全国を飛び回っていると横浜の良さがわかるんです。

 私だけの横浜の秘密の場所も結構ありますよ。(笑)

 
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 藤野さんの柔らかい語り口から「ステッピング」運動を広めていこうという強い意志が伝わってきました。
 インタビュー当日、みなとみらい地区のステッピング教室を拝見いたしました。男女20名程度の方々が声をかけあいながら、踏み台を昇り降りされていました。その足どりの軽いこと・・びっくりしました。皆様本当にお元気そうです。教室内には桐の踏み台の音がとても心地よく響いていました。

 

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