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「レッドライト」 (連載第8回) ヨコハマで殺して

by staff on 2011/11/10, 木曜日


中華街の外人バーの生き残り「ノーザンライト」の店内。昨年取り壊された。

 アメリカ人ジャーナリストで、英語教師でもあるバーリット・セービン(Burritt Sabin)氏は、フリゲート艦の乗組員として1975年に横浜にやって来た。来日当初は米軍横須賀基地の一兵卒で、新山下にあった米軍独身寮(ベイサイド・コート)暮らし。元町のパブや中華街のジャズバーで日本語を覚えたという。

 そんなセービン氏が、横浜を舞台にしたとっておきの洋書を紹介してくれた。アール・ノーマン (Earl Norman) 作 “Kill Me in Yokohama”。ヨコハマで殺して。すごいタイトルだ。

 この本は1960年代に出回った「Kill Meシリーズ」という、日本を舞台にしたペーパーバックのミステリーシリーズのひとつだ。タイトルが「Kill Me」ではじまる一連のシリーズなので、こう呼ばれている。 翻訳家の宮脇孝雄氏によると、以前は古本屋によく転がっていたが、だいたい米軍払い下げのスタンプか押してあったそうである。つまり読者の大半は、日本にきた若いアメリカ兵だったのだ。彼らは日本での短い休暇を有意義に過ごそうと、ガイドブックの代わりに、「Kill Me シリーズ」を読みあさった。朝鮮戦争やベトナム戦争のさなか、外国人に受けた日本ものの小説は、こういう観光小説だった。

 作者の アール・ノーマンはハリウッドのスタントマン上がりで、本名はノーマン・トムスン(Norman Thomson) という。映画『黒船』(1958年)などでジョン・ウェインの吹き替えをしていたそうだ。日本には30年ほど住んでいて、座間や横田の米軍基地でエンタテインメント部門の仕事をしていた。

 ノーマンが生み出したヒーローは、バーンズ・バニオン(Burns Bannion) という私立探偵で空手の達人だった。第一作が発表された頃、日本では力道山が空手チョップで「悪人外人レスラーたち」をのしていたのだから、なんだか妙な感じである。バニオンは GI 崩れにふさわしいタフガイで、作品にはかならずボンドガールのような「ベイビードール」 たちが登場した。

 ”Kill Me in Yokohama”は国際都市だった横浜らしく、登場人物も多国籍で B級スパイ小説的な趣がある。31ページから描かれる中華街の外人バーの様子など、興味深い記述が散見されるので、日本語化したらコアなファンを獲得できるかも知れない。

「Kill me シリーズ」一覧
  —Berkeley Medallion—
Kill Me in Tokyo (1958)
Kill Me in Shimbashi (1959)
Kill Me in Yokohama (1960)
Kill Me in Yoshiwara (1961)
Kill Me in Shinjunku (1961)
Kill Me in Atami (1962)
Kill Me on the Ginza (1962)
  —Erle Publishing Corp—
Kill Me In Yokosuka (1966)
Kill Me in Roppongi (1967)

 その後、ノーマンは「Kill me シリーズ」を中断し、9年間の休眠期間に入った。そして1976年、長い沈黙を破るようにして、「リック・ショウ(Rick Shaw)・シリーズ」を開始した。リックの冒険は、”Hang me in Hong Kong”(1976) 、”Bang Me in Bangkok”、 “Maul Me in Malaysia”、そして”Club Me in Cambodia”で楽しむことが出来る。

 とはいえ、やはり彼の代表作は Berkeley Medallion から出版にしていた時期の「Kill me シリーズ」だ。青年時代、極東で戦ったアメリカの退役軍人のなかには、このシリーズのことをよく覚えていて、なつかしむ者もすくなくないという。青春時代の思い出は日本とともに……。日本人が感じるのとはひと味違う昭和のノスタルジーが、誰にも気づかれることなく、この国に沈殿していたのだ。

 バニオンが活躍したのは、1ドルが360円で首都圏一円に「小さなアメリカ」が広がっている世界だった。しかしタフな探偵や読者である米兵たちが世話になった米軍施設は、ことごとく閉鎖されてしまった。今訪れても区画が完全に変わってしまい、思い出の地を探り当てるのは困難だ。跡地の多くは、現在ショッピングセンターや公園になっている。

 この本を教えてくれたセービン氏は言う。
 「私は軍に所属していたとき、この小説のことをぜんぜん知りませんでした。でも私の友人が”Kill Me in Yokohama”のようなパルプ・フィクションのコレクターで、私が横浜に興味があるということから”Kill Me in Yokohama”のカバーを贈ってくれたのです。私は作者のことは知りませんが、友人は会ったことがあるかも知れません。」

 「Kill me シリーズ」のようなパルプ・フィクションは低級な読み捨て娯楽小説である。全盛期は20世紀初頭から1950年代にかけて。よほどの年寄りでない限り、知らないのも無理はない。

 英語圏の掲示板を徘徊していると、在日米軍基地のなかに存在していた学校の卒業生が、東京や横浜を再訪し、母校の跡地見学の報告や情報交換をしている模様に出くわすことがある(*註)。彼らの 「故郷」は跡形もない。だが、あのなつかしい世界は、ノーマンの小説をめくれば、追体験できる。

 作者であるノーマンは2000年にカリフォルニアで亡くなった。彼の作品は、ひとつも翻訳されていない。

*註)
1970年代に横浜の米軍基地で暮らした人たちのやりとりを読むことが出来る BBS の一例 ”Yokohama Navy Exchange was where?”
http://www.japan-guide.com/forum/quereadisplay.html?2+6789

 

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

”Kill Me in Yokohama” その1

 

”Kill Me in Yokohama” その2

 

シリーズ第一作”Kill Me in Tokyo” 表紙

 

”Kill Me in Tokyo” 裏表紙

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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