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「レッドライト」(連載第11回) 美学を継ぐ匠・三代目彫よしの仕事部屋

by staff on 2012/2/10, 金曜日


伊勢町の仕事場。デザインの参考にするため本が多い

 「これは機械彫りだね」。
 開口一番、三代目彫よしは断言した。
 前回紹介した開港初期の彫り師・彫千代のデザインしたアルファベットのカリグラフィー(前回未掲載)を見ての発言である。
「おなじ幅の線が二重になってるでしょう。これは手でやったら大変なことになる。手で彫るとチクチク刺しながら、滲んで拡がった血を拭いていかなきゃならない。細い線を、しかもカーブがかかっているのを二重に彫るのは、これだけで大変な時間と労力がかかる。機械なら40分くらいだけど、手だと5~6時間かかる」

 そこには厳しい職人の目があった。
 日本はイタリアやドイツと並んで職人に敬意を惜しまない国だ。しかし国内よりも、むしろ海外で評価される名人もいる。その一人が三代目彫よしである。
  静岡出身の彫よし氏は、横浜の西区伊勢町に住む初代彫よしに手紙で弟子入りを志願した。三代目は初代の血縁者ではないのだ。しかし返事がなかったため、飛び込むようにして横浜にやってきたという。

 「もし弟子入りできなかったら、どうするつもりだったんですか?」
彫よし氏は破顔一笑。
「一晩座り込んで、それでも駄目ならヤクザにでもなればいいやと思って。短絡的だったね」

 彫よし氏は、北野武映画の常連で三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』やテレビドラマ『逃亡者 木島丈一郎』などで知られる俳優の寺島進に似ている。 江戸っ子ではないが、かなりちゃきちゃきした人だと感じた。それは生来のものかも知れないが、職業柄と言える部分もありそうだった。

 しばしば話題になる「和彫りと洋彫りのちがい」に話が及んだときだ。氏はこんな風に説明した。
 「あるお客さんに隠し彫りすることになったんだけどね。肩に鷹が彫ってあるのよ。隠し彫りっていうのは、その裏側、二の腕の内側に絵柄を入れることなんだけど、何にしようか、って話になったとき『富士山の絵と『鷹』という漢字、それからナスの絵を三つ入れたら良いんじゃないか』と提案したわけ。一富士、二鷹、三茄子だよ。水商売の女の人にカニを彫ったこともある。『客を挟み込んで離さない』っていう意味でね」
 「戦国時代の兜の前立(まえだて)もそう。 バッタとか毛虫とか弱そうなのをつけてる。でもそこには『葉(刃)を喰う』っていう意味がある」

 和彫りで大事なのは、そういった言葉あそびや洒落っ気を絵柄に変えていく精神なのだそうだ。そういう基本的な考え方は師匠についているときに学んだという。
 「先生はどんな絵柄を入れているんでしょうか」
 「オレ? オレの腕には金魚が彫ってあるんだけど『煮ても焼いても食えない』っていう意味がある」
 「粋」を売りにするのは花柳界ばかりではないのだ。

 この記事の取材は主に吉田町の居酒屋で行われた。まず約束の段階で、二ヶ所ある氏の仕事場のうち、お気に入りだという伊勢町の方へ伺ったのだが、「呑みながら話した方が時間の短縮になるでしょう」ということになり、ビールジョッキを空けながらの楽しい会話になった。

 

人間関係の美学

 「初代は弟子だけでなく、お客さんからも尊敬されてた。威張るわけでも叱るわけでもないけど、威厳があった。小さくて汚い仕事場だったけど、『真剣勝負の道場』で、初代が来るとガラス細工のような心地よい緊張感が走る。咳払いも出来ないほどピンとしてね。たまに『あの頃に戻りたい』と思うけど、そんなこと話す相手もいないしね」
 「師匠は背も高いし、粋で金離れも良いし。こういう人になりたいな、という憧れの存在だった。芸人が来ればご祝儀積んだり。
 40年くらい前は堅気の客もチップを置いていったよ。三千円の彫り賃に対して五百~千円くらい。ヤクザだと一万円くらい。今では夢物語だけどね。
 オレよりちょっと上の彫り師で、でかい新築の家を土地ごとチップで貰った人もいたよ。門も玄関もついた何千万もするご祝儀。土建屋のオヤジに気に入られたからだって。今まで聞いた中で一番すごい話だ。時計やスーツなんてざら。身体を預けているから、身内以上の関係が成立する」
 「江戸時代はもっとすごい。一蓮托生。おなじ罪の意識を背負った、もっと深い繋がりがあった。贔屓にしてくれた人と彫り師の間には、人間関係の美学があった」
 「昔の彫り師は一年の半分しか仕事が出来なかったんだよ。冷房も扇風機もない。夏はお客が汗をかくじゃない? でも氷柱を立てるくらいのことしか出来ない。そんな訳で墨を入れられない。冬はこたつくらいしかなくて、寒いから裸になれない。だから働けない時期が半年あった。で、その当時の人たちはどうしてたかって言うと、パトロンになってくれる人がいて面倒を見てくれてたわけ。面倒を見るっていっても飯を食わせてやるだけじゃなくて、小遣い渡して遊び代も払ってやってる訳よ。明治・大正の頃なんか刺青は禁止だったから、面倒を見ていた彫り師が捕まるかも知れない。だから恩返しが期待できるわけじゃない。それでも世話を焼いていた旦那がいたわけだ」
 「これは日本独特のものだと思う。欧米はもっと打算的じゃないかな。でも日本ではそれはかっこ悪い。『人間どうせ一遍死ぬんだ』という死生観が流れている」

 

彫千代

 「暇なとき、よく紅葉坂にある県立図書館に通ってたんだ。明治時代の三面記事を片っ端から読むようになってね。いろいろ面白いことが分かる。
 大正時代だったと思うけど、関脇で彫ってるのが二人いた。写真や番付が見つからないけど、相撲取りで刺青は珍しいから、記録が残っているはずだよ。昭和に入ってから土佐の素人相撲でやっぱり刺青してるのがいた。でも江戸時代にはいなかったと思う」
 「国内でピストルを通販で売ってた時代もあってね。だから一般の人がピストルを持てたんだよ。彫千代(前回登場)がピストルで心中したのも、それでだね。古本屋で銃砲店のカタログが出ていることがあって、当時の値段も調べられるよ」
 「心中は一種の美学で流行的な側面があった。でも心中を刺青の絵柄にするのは、粋とか野暮以外のものだよ。殺しの場面はありうる。仇討ちとか恨みを晴らすのは、絵になる。しかし心中は情けないという感覚があるね」
 「彫千代の小説を途中まで書いてるんですよ。有島生馬の原作を読むと、空白の期間が数年ある。そこが一番おもしろくできるところ。
 彫千代についていろいろ調べていて、スタジオがあった場所も見当がついてる。結構いい暮らししてたんじゃないかな。治外法権だった山手に住んでたからね。出世欲や行動力があり、頭もいい人だったのは間違いない。でもどうして自殺したのかが分からない。
 発作的にやったんじゃないことは確か。『金がなくて』という話になってるけど、自殺につかった拳銃は金になる。日本中に無責任に借金を残すような真似もしていない。彫千代は博打が好きだったけど、死ぬ前に最後の大勝負をしていない。望みを捨てたんだろうね」

 

アーティストではなく、職人

 「アーチストと言われるのはいやだね。仏様を彫る仏師は、アーチストじゃないでしょう? 左甚五郎(江戸初期の宮大工・彫刻師)は芸術家ではなし、職人としての誇りの方が勝っていたと思うよ。芸術論を読んでもまったく曖昧で、芸術がなんなのかよく分からないし。出来たものは第三者が評価するものだから、自分から芸術家というのはね」
 「刺青を茶の間に持ち込んじゃいかん。高倉健の映画の中とか、非日常の場面でこそ意味がある。町中にあふれると日本文化の崩壊に繋がるよ。ここ十年くらい松田修の『日本刺青論』 (青弓社、1989年 *註)は間違いなかった、と感じる」
 「刺青はアウトローのものであって欲しいという気持ちがあるが、ある面では認めて貰いたいとも思う」

*註 「刺青こそ全マイナスを逆転して芸術に高めた至高にして、唯一の芸術である」と論じた書籍。

 

修行

 「最初は師匠の横にいて見ていたんだけど、覚えない。十日見て、あとは自分で三ヶ月やってみた方が覚える。自分で自分の脚を彫って師匠に見せた。師匠は『ううん』。それだけ。その『ううん』を自問自答しながら考えることで進歩する。具体的なアドバイスといっても、せいぜい『もう少しそこは濃く』とか、その程度。絵柄や線がどう、ではないのよ」
 「年数やってる人は、かならず良いことがある。それは巧い下手ということではない」
 「『この仕事は死ぬまで修行だ』と言われたときは、『なんだよ、それは』と思ったが、知れば知るほど分からなくなる。禅の公案とおなじ。説明がつかない。
 『下駄はいてニューヨークに行ってこい』。この師匠の問いにどう答えるか。先生の日常の考えから盗んでくる。武道や職人の世界とおなじ。師匠と話しているなかで考え方や生き方を学んでいく。子供は親の背を見て育つ」
 「初代が彫錦(横浜の彫り師。故人)に総身彫りを彫ったんだけど、背中から足首に掛けての部分。あれはいい。あれ以上のは見たことがないね。あの味は出せない。あれを越えるのが目標。
 人からは『師匠を越えた』と言われるが、オレのなかでは全然越えてない。越えられなくて、逆に幸せだと思ってる。永遠に師匠だと思ってるからね。
 初代がいたお陰で今のオレがいる。自分には親が三人いたと思ってる。両親と師匠。誰か一人欠けても今のオレはいない。感謝の気持ちを忘れちゃいかんと思ってる」

 

団鬼六

 泣く子も黙る SM界の巨星、団鬼六と彫よし氏は非常に仲が良かったという。二人は野毛が誇る裏文化の双璧だった。
 「鬼六さんのことは『おやじ』と呼んでた。鬼さんが野毛に住んでた頃は、よく遊びに行ってたよ。お手伝いさんがいて、普通は取り次いで貰ってから上がり込むんだけど、オレは勝手知ったる調子で上がり込んで冷蔵庫を空け、呑みながら待ってた。で、鬼さんが来たら『おやじ、一緒にどう?』って」
 「北方謙三は鬼さんのことを『おじき』とよんでた。オレは『おやじ』とよんでた。で、北方さんと会ったとき、北方さんが『負けた』と思ったみたい」
 「おやじの野毛の家は、建てたときは4億の価値があった。それから8億に値上がり。『ここだけの話だけど、近いうち10億に上がるんだよ。銀行が言ってるんだから間違いない』『4億も儲かってるんだから、いい加減売った方がいいんじゃない?』『あと2億儲かるんだよ』と話していたら、バブルが崩壊しちゃった」
 「あのひとは豪放磊落というか。生き方は不器用だったけど、死に方は見事だった。人生を楽しむ達人だったんじゃないかな」

 

猿屋敷

 彫よし氏の左手は、指先が欠損している。ペットのアライグマに噛み切られたのだという。
 「ウチのかかあが動物好きで、猿を12匹飼ってるんだ。オレが病気でも寝ているくせに、猿が病気だと真夜中でも病院に連れて行く。一種のビョーキだね。普段はケージに入れてるんだけど、震災のときは何事もなくて良かった。
 アライグマだけど、噛まれたとき万力で締め付けられるみたいになって『これは千切れるな』と。千切れた指先をすぐに氷で冷やして医者に行ったんだけど、『付かない』と言われた。しばらくの間、寝るときは手を上に上げていたよ。
 『指つめと刺青とどっちが痛いか』って話があるけど、墨を入れる方が痛いね。両方体験したから間違いないよ」

 

タトゥー・ミュージアム

 西区平沼の線路沿いに建つ「文身歴史資料館」をご存じだろうか。三代目彫よしが運営する私設タトゥーミュージアムである。鉄製の出入り口が極端に狭いせいもあり、「禁断の部屋」といった趣がある。欧米のタトゥースタジオにありがちな美容院のような明るさはない。取材の一環として見学させていただいたのだが、刺青の長い歴史を凝縮した密度の濃い空間だった。許可を取って撮影したので、このページの末尾にその一部を紹介した。
 「ここには彫よしの絵はほとんど飾っていないんですよ。それをやると個人の資料館になってしまうから」。受付にいた彫よし夫人は語る。
 「熱心な人は何時間も見ていくんですよ」
 「シャロン・テイト事件」の首謀者、チャールズ・マンソンが獄中から送ってきたファンレターやブラジルの刑務所のなかで実際に使用されたタトゥーマシン、過去の名人たちがつかった針やインク、そして彫よし氏のフィギュア(!)など興味深い品々がびっしり展示されている。2階の奥には数十個の段ボール箱が仮置きされているが、中身はすべて雑誌や本だという。展示しきれない氏の本や掲載雑誌が収納されているのだとか。
 「今年はロンドンのサマセットハウス(Somerset House)で個展を開くんですよ。刺青ではなく、墨絵を中心とした絵の展覧会です。多少彫り物の写真も出しますが、多くはありません。画家が本業ではないのに、贅沢な経験をさせてもらっていると思いますね」
 広大な敷地を誇るサマセットハウスだが、氏とほぼ入れ替わりで展示されるアーティストも興味深い。北京オリンピックをはじめ、70を越える建築・都市開発プロジェクトに携わって評価と名声を確立した著名アーティストでありながら、人権活動家として中国政府と戦い続けている艾未未(アイ・ウェイウェイ)なのである(詳細=Ai Weiwei – Circle of Animals / Zodiac Heads)。英国における三代目彫よしの位置づけがうかがえるエピソードではないだろうか。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

伊勢町の仕事場の前で腕を組む(2006年撮影・彫よし氏提供)

 

「せんとくん」をデザインした彫刻家・藪内佐斗司の作品。資料館の展示物。

 

10年ほど前、森日出夫氏が撮影したパネル

伊勢町の仕事場にて。落ち着くので、絵を描くときはいつもここ

 

展示ケースでいっぱいの文身歴史資料館内部の様子

   

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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