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『横浜』という名を製品に使っているから、『横浜』を皆さんに伝えることが使命です。
株式会社横浜ビール 代表取締役社長 太田 久士さん

by staff on 2012/3/10, 土曜日

 「若い時は前に進むことしか考えなかった。 ある時、上空300mから自社を見ようと思った。すると地域が見えてきた。自分がどの位置にいて、何をすべきか見えてきた」・・・『横浜』という名を製品に使っているから、『横浜』を皆さんに伝えることが使命になりました。 横浜ビール「驛の食卓」で、太田社長のお話しを伺いました。

太田久士さん  
お名前 太田 久士
(おおた ひさし)
ご年齢 49才
ご出身 香川県
ご家族
ご趣味 ボクシング・バイク(スピード系)・ランニング・バンド(ドラム)
ご性格 短気・せっかち・・・じっとしていられない
ご職業 株式会社横浜ビール 代表取締役社長
直営レストラン「驛の食卓」 横浜中区
直営レストラン「創菜Patio」 江東区有明
直営レストラン「Blend Meister Caf?」 江東区有明

 

地元の食材を使った食文化を伝えていきたいと思っています

 横浜ビールの直営レストラン「驛の食卓」のメニューは手書きです。 活きのいい魚が入った時は「刺身」で出します。 食材が一番美味しく食べられる調理方法を提供しているので、「揚げ出し豆腐」が「本日のおすすめ」(写真)に載っています。 始めた頃は、料理長から「うちはイタリアンでは?」と訊かれたこともありました。 岩井の胡麻油と横浜醤油で作った旨ダレで食べる「横浜 はまポークの小龍包」は美味しいですよ、中華料理ですがね(笑)・・・ 

 新鮮な食材を新鮮な内に食べてもらうためのメニューだからこそ、手書きに成らざるを得ない。以前、食べて美味しかったからと来られても、今日のメニューに無いことが・・それが「新鮮」とか「旬」であることの「こだわり」だと思います。 いつ行っても同じメニューなのを不思議に思わないと・・・ね!

驛の食卓の手書きのメニュー「本日のおすすめ」

驛の食卓の手書きのメニュー「本日のおすすめ」
画像をクリックしてPDFをご覧下さい

 

 安政4年創業の「岩井の胡麻油」、明治29年日本初のトマトケッチャップを作った「清水屋ケチャップ」、大正12年創業の「みやぎやの豆腐」、昭和6年創業の「ヨコハマハム」・・・横浜土産に推奨されていても、横浜で普段使いされているかと言えば「そうでない」・・・横浜は3日住めば「ハマッ子」だと言われるように、生粋の横浜人は少ないから、「知らない」のだと思いますよ。 生産者を知れば、そこで作ったxxxとか、あの人が作っているxxxとか、生産者の思いに触れることができます。その思いに共感し「好き」になれば、その「思い」を他の人に伝えたくなります。こんなに良いものがあるのだと自慢

したくなります。それが人に誇れる「食文化」に繋がるのだと思います。 生産者と消費者の距離を埋めることが、私の使命です。

苦手だから客観視することができました

 以前は地ビールが苦手でした。約20年前に酒税法が変わり、最低製造数量基準が2000klから60klに緩和されたことを受けて、地域密着型、町おこし・村おこし型の地ビールブームになります。横浜ビールもその流れから生まれたのです。前任の社長はお酒が飲めない人で、私はビジネスパートナーとして「横浜ビール」を引き受けました。

 苦手が幸いいたしました。地ビールは、xxxピルスナーとかxxxヴァイツェンとか舌を噛みそうな名前で、味はいまいち、値段は高いものだと思っていました。横浜ビールも引き受けた当初はそうでした。自分の苦手だと思うところをカバーできたら、ビジネスチャンスはあると思いました.。自分の体感したものを具現化することで横浜ビールを変えていくことができました。

 もし、地ビールが好きで始めていたら、違った方向に行っていたと思います。この店も無かったかもしれません。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

株式会社横浜ビール 太田社長

魚屋気質・・・今も気持ちは町の魚屋さんです

 香川県からバンドがやりたくて上京して来ました。アルバイトをするなら、時給が良い所を探そうと、上野アメ橫の魚屋で働くことになりました。朝5時から夜中の1時まで働きました。辛くなかったと言えば嘘になりますが、当時18歳だったのでみんなから可愛がられました。個性の強い人間が、最後に行きつく吹溜りのような町でした。いかにお客様にアピールするか、どう演出して成績を上げるか、一生懸命に考えました。

 魚屋気質も身に着きました。1日のたらこの販売量でトップになりました。この記録はまだ破られていないと思います。ものを売るのが天職だと思いました。上野に5年、それから渋谷の魚屋で働いた後、オーブンに料理を入れるコックの姿に憧れて、赤坂のレストランに勤めました。これがきっかけで料理の世界に入り、料理が面白くなりました。

自分の住んでいる町に誇りを持つこと・・・桃ビールのはなし

 昨年3月11日の東日本大震災から、人の心が大きく変化したと思いました。信頼できる本物が求められました。また、自分の町のこと、身の回りのことを知ろうとする動きがありました。自分の町に何があるのか、知れば知るほど人や町が好きになります。好きになること・・・愛情が「誇り」になるのだと思います。

 綱島はかつて桃の産地でした。西の岡山、東の神奈川と言われるほどの桃の産地でしたが、現在、桃農園は池谷さんしか残っておりません。綱島が桃の産地だったことすら知らない世代も増えました。その池谷さんが丹精込めて作っている桃の中に、商品規格に外れたものが出るという話を聞いて「もったいない」と思いました。こうして、規格外の桃を使った「桃ビール」が生まれました。 

 

 桃の箱のラベルをビールのラベルにしました。この桃ビールを綱島で売り、綱島の人に買って欲しいと思いました。綱島が、かつて日本一を競った桃の産地であったというストーリーと、生産者の「誇り」を、ビールに変えて綱島に伝えたいと思います。

点と点、線と線を繋げて面にする役目が自分だと思っています

驛テラス
(画像をクリックして
拡大写真をご覧ください)

 

 食材だけでなく、横浜の良さを伝えていくのが自分の役目だと思っています。レストラン驛の食卓の店前のスペースで毎週火曜と金曜に「驛テラス」といった昼市・夕市を開き、生産者が直接消費者に「こだわり」を売っております。

 また、生産地の枠を電気屋、印刷屋、造園業などにまで広げ、仮想商店街を実現しています。映画や音楽、落語、その他数々のイベントの後援も引き受け、食文化から芸術・芸能文化の良さも伝えていこうと思っています。

あなたにとっての横浜は?

横浜ビール、岩井の胡麻油、清水のケチャップ、横浜醤油と太田社長
(画像をクリックして
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 生産者の思いを料理に変えて伝えます。美味しいと思っていただけたら、それを身近な方に伝えてください。こうして、地元を知ることから地元が好きになり、「地元に誇りを持つ」ことに繋がると思います。

 私にとって横浜とは、「土着性の強さ」だと思います。横浜に住んでいる人は、横浜が好きですよ。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

1F 横浜ビール 工場

1F 横浜ビール工場の一角で大川印刷の横浜新100景のイラスト展が開催されていました。

2F直営レストラン「驛の食卓」

 「ヨコハマNOW」では、太田社長にご紹介いただいいて今年は横浜の「食文化」を創り出している方々をご紹介していく予定です。

(インタビュー:渡邊桃伯子  文・写真:高野慈子

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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