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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第2回 グループサウンズ(GS)その2 エレキインスト

by staff on 2012/7/10, 火曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

第1章 横浜と海(2)

 小学生になった私は家から15分位の六浦小学校に通いました。あまり記憶がありませんが6年生が1年の教室へ紙芝居を見せに回ってきてくれるのがうれしかったですね。

 家の2階の演芸場に売店があって、そこから売れ残りのビニールでできた刀をもらい、腰に差していつもチャンバラ遊びをしていました、風呂敷を頭に巻いて鞍馬天狗ごっこ、片目を瞑り片手を隠して丹下左善ごっこ、TVで隠密剣士や忍者部隊月光が流行ると忍者ブームになり刀を背中に斜めに背負って忍者ごっこ、背中の刀が固定しなくて苦労しました。そんなことばかりやっているので父から剣道をやったらと進められ隣駅の金沢文庫にある高野道場へ通いましたが飽きっぽいのか1年ほどでやめてしまいました。同様にピアノのお稽古もやりましたがこれも半年ほど、こらえ性のない子供時代でした。

 あと子供時代の楽しみというと駄菓子屋。家の近所に「いが屋」という駄菓子屋があって、30円あれば結構時間がつぶせ100円あったら豪遊でした。1番安いのは棒状のビニールに入ってたジュースの様な液体で確か1円、私が好きだったのは串に刺さったアンズ、ふ菓子、よくやったのは紐を引っ張って当てる飴で円錐形や丸いのがあり、でっかいのが当たるとほっぺを膨らませてほおばっていました。くじは必ずやりました、メモみたいな紙の束から1枚引き、それをなめると1等2等と文字が浮き出してきて、「スカ」と書いてあるとはずれ。

 不思議なことに何を当てたんだか良く覚えていません、その博打性のある行為そのものが魅力だったのでしょう。駄菓子屋の帰りはいつも舌べろの色がオレンジ色だったり緑だったり、後々問題になりましたが当時の駄菓子には人工着色料や人工甘味料がふんだんに入っていました。今でも復刻された「ふ貸し」など懐かしがって食べますが記憶にあるあの頃の味と違います。もっと毒々しいような甘さがありました。

グループサウンズ(GS)その2 エレキインスト

 グループサウンズ(GS)を語るにはまず日本におけるロック・ビートのお話から入らなければなりません。元々日本の歌謡曲に ドンタンドドタン といったロックのビートはなく、日本の若者がそれを意識したのはベンチャーズの登場からでした。

 ベンチャーズは、1960年 “WALK DON’T RUN” を全米2位にしたエレキ・インストグループ(歌がなくエレキギターを中心としたサウンド)。彼らが日本でブレイクしたのは1965年1月、2度目の来日の後でモズライト社製のエレキギターを真空管のアンプに差し込んだ荒々しいサウンドは正に日本の若者がかつて聞いたことのないサウンドで日本中を熱狂させました。若者たち(今のいわゆる団塊の世代の方々)は、このサウンドを自分たちでもプレイしたいと考えて、楽器屋に走りバンドを組んで日本に一大エレキブームが巻き起こったのです。テレビでは、勝ち抜きエレキ合戦という素人バンドのコンテスト番組が人気になったり、映画では加山雄三主演の “エレキの若大将” も火付け役になったりしました。

 この映画の中には日本のエレキインストの草分け、エレキの神様“寺内タケシ”さんがすし屋の出前持ちで登場しています、練習中の若大将のギターを「これがエレキですか、かっこいいっすね、ちょっと触ってもいいですか」と言って借りるといきなり超絶テクニック!

 寺内タケシさんは、“寺内タケシとブルージーンズ” を1961年結成。ベンチャーズ等のエレキ曲も独自の世界で演奏し、又運命などのクラシック曲や津軽じょんがら節などの民謡をアレンジして素晴らしい作品に仕上げるなど日本のエレキを育てた第一人者です。以前、私は横浜で活躍している先輩ミュージシャン兼田アキラさんのグループにゲスト参加させていただき、寺内タケシさんの中野サンプラザのコンサートに出させていただいたことがありますが、一緒のステージに立っていると寺内さんのギターには根が生えたような存在感があり、独特のオーラがあたりを圧倒していました。

 現在も横浜に在住して現役バリバリのミュージシャンとして活躍されています。更なるご活躍を期待したいと思います。(ハート&ソウルファミリーバンドのメンバー、ベーシストの楠本雅祥君はブルージーズのメンバーとして活躍していました)

 話は戻りますが、この時アメリカでは、すでにビートルズ、ストーンズを始めイギリス勢を中心とした新しいロックの波が押し寄せていて、ベンチャーズはすでに勢いをなくしていました。が、それも日本では遠い海の向こうのお話で、’65年の半ば頃になるとベンチャーズ人気はますます勢いを増し、やがて雨後の竹の子のように増えたエレキバンドは演奏場所を求めていたるところで演奏するようになります。

 ベンチャーズがこんなに普及したのは楽器の手軽さで、4人いればすぐに近いサウンドになる、一番大きいのは歌が歌えなくてもできるということ。当時はカラオケもないし歌が歌える人は少なかったようです。しかし、やがてビートルズのように自分たちでも歌いたいと思う人が日本にも少しずつ現れてきました。でも英語の発音は難しいし、キーが高くて声が出ないから同じ様に演奏ができない。そこで日本語のロックを自分達で作曲して演奏もやってしまおうというグループが現れてきます。そのひとつがザ・スパイダースです。

 以下次号につづく

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

ベンチャーズ Walk Don’t Run
  寺内タケシとブルージーンズ 津軽じょんがら節

 

HEART&SOUL
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