第4回 白隠展に行ってきた。
プロローグ
白隠は書画を描き、それを使って民衆の教化に努めてきた人だという。これは一体誰の為に書いたのだろう。子供かな?修行僧かな?商人かな?農民かな? そんな事を想像しながら、絵に書かれたメッセージ(賛)とともに、漫画のような絵を楽しんで欲しい。(『白隠展』は2013年2月24日まで開催)
今に伝わる「禅/臨済宗」のスタイルを作った偉~いお坊さん「白隠」
白隠(白隠慧鶴・はくいんえかく:1685-1768)とは、江戸時代中期の禅僧。
鎌倉時代に中国から日本に伝わったとされる「禅」を、江戸の時代に再興、臨済宗の今のスタイルを構築したと言われる人だ。白隠は、15歳で出家し83歳で没するまで、膨大な数の書画を描き残している。現存するだけでも1万点以上と言われ、誰にでも分け隔てなく、与えて回り、民衆教化に努めた。
今回展示されているのは約100点。白隠が残した数からすれば、ほんの一部だが、実にバラエティー豊かで、様々な内容のメッセージを感じ取ることができる。
1分でわかる! ざっくりと「禅宗」
私のように、仏教について全く知識がない人のために、「禅宗」について少々調べてみた。
「禅宗」とは坐禅をする宗派ということになるが、現在では主に、臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)があるのだそうだ。違いを超ザックリ言うと(ザックリ過ぎて叱られるかもしれないが)、次のようになる。
「臨済宗」は与えられた課題(公案という)を考えながら坐禅して修行し悟りを目指すというもの。坐禅の向きは通路側を向いて座る。
「曹洞宗」は修行と悟りは一体と考え、坐禅そのものが悟りの姿とし、心を無にして坐禅するというもの。坐禅の向きは壁側を向く。
「黄檗宗」は自己の中に浄土を見出し、念仏を唱え坐禅するというもの。リズムを刻む木魚も黄檗宗とともに広まったとされる。
ちなみに鶴見区にある總持寺は、永平寺と並ぶ2つの曹洞宗大本山の一つ。一般の人も、坐禅に参加できるコースがある。
HP http://sojiji.jp/zenen/sanpai/sanzenkai.html
一人一人に処方を変えるカリスマ医師のような白隠
今ではこの3つの宗派がある禅宗だが、白隠の時代は、現在のような明確な別れ方はしていなかったようだ。白隠は自由な発想で、修行のための課題「公案」も、自らつくり加え、禅宗を構築していった。
白隠が活躍した江戸中期とは、戦乱の世は去り、安定したとみられる時代。寺子屋などにより、民衆の識字率が急速に高まり、大衆の文化が花開く。しかし一方で、一揆もしばしば起こっている。民衆の貧富の格差が一段と広がり、富む者と貧しい者が混在する時代だったわけだ(現代と似ているのかもしれない)。
そんな時代背景の中で、白隠が伝えたメッセージは、型にはまらない白隠流。時には難解で、時には分かりやすく、また時には包み込むように暖かく、時にばかばかしく笑えるなど、実に様々だ。修行中の僧侶やおごった者には、自らの未熟さを痛感させる問答を、弱って疲れた貧しい者には、癒しや内なる浄土を、その人のその時々の状態にあわせて、最適なメッセージを説いてまわったのだろう。まさに、患者の状態にあわせて処方する、カリスマ名医のような存在ではなかったか。
白隠は、独自の漫画のような画風で、神様や地獄の閻魔様までをキャラクター化して、ユニークに面白おかしく書き上げている。こんな教材を使われては、興味を引かないわけがない。当時は、大ウケだったに違いない。
事実、晩年の白隠のもとには、一般民衆、修行僧、身分の高い者、低い者、様々な人々が、ひっきりなしに訪れたとされている。また、自らも生涯にわたり民衆の元へ出向き、教化する現場主義を貫いた。
(クリックで画像拡大) | ||||
(1) 半身達磨 |
(2) 布袋吹於福 |
(3) すたすた坊主 |
(1)半身達磨(はんしんだるま)
美術館を入ってはじめに目にする2mもある大作。賛(絵に書かれたメッセージ)は「直指人心、見性成仏」。「仏は自分の心にあり、それを自覚することで仏になる」という意味。
(2)布袋吹於福(ほていすいおふく)
右は煙草を吸う白隠布袋。左はその煙が幸運を呼ぶお福になっている。白隠はよく自らを布袋さんとして描いている。また、お福も、人々に幸運をもたらす象徴としてよく描いている。この絵は、白隠が皆にお福を連れてくるぞ、皆の幸せを願っているぞと示している。
(3)すたすた坊主
当時、金持ちの変わりに代参した坊主が実際にいたらしいが、この坊主は白隠とされる。白隠が皆の代わりに代参し、皆の幸せをいつも願っているから大丈夫、安心しろよ、ということなのだろう。
白隠は兼好が嫌いらしい
展示作品の中に吉田兼好(後に出家して兼好法師)を猿になぞり吉田猿猴と呼んで、馬鹿にしている作品がある。
吉田兼好と言えば、「徒然草」の作者。「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」ではじまる冒頭の意味は、「暇でやることもないので、思いつくままかいてみよっかな」というもの。そして内容は、自分の関心事や、何かの評価や批判がメインの当時のコラムだ。
白隠としては、「暇をもてあましたあげく、自分の事ばかり考えおって、人の幸せのために何かやろうとは思わんのか!」とツッコミたくなるような人物に映ったのかもしれない。
一方、白隠が師と仰ぎ、好んで書いたとされる禅宗の祖師の中に、大燈国師という人物がいる。この人は京五条の橋の下で、20年にわたり乞食に交じって暮らしたという人。現場をまわり、他人の幸せのために、全身全霊を捧げて奮闘する人だったようだ。まさに、白隠の現場主義のお手本となった人なのだろう。
机の前で、自らの美学を追求する兼好とは対照的だ。
この大燈国師の絵も、展覧会ではお目にかかれる。
時には教科書も下ネタ パロディーに!
当時寺子屋で使われていた教材「実語教」をパロッた絵もある。
「智有るを以て貴しとす」 という冒頭の文章を、「痔有るを以てたった下火」として、お尻を出して痔の治療をしている滑稽な絵を描いているのだ。とても和尚の書くものとは思えない下ネタだが、当時、これは間違いなく大爆笑だったはずだ。
寺子屋に行きたくない子供達、あるいは寺子屋に行けなかった読み書きのできない民衆を集めて、そのへんの石にこしかけながら、「いいか、見とれよ」とでも言いながら、書いてやったのかもしれない。白隠とは、そんな「お笑い」大好きのサービス誠心旺盛な、吉本系坊主でもあったようだ。
カリスマを受け入れ 演じたかのような白隠
「白隠様がおっしゃるなら間違いない」、「白隠様が命令して書かせたんだから、皆が長生きする寿の効果はあるに決まってる」「だから、心安らかに信じよう」。そんな民の声と、カリスマを受け入れた白隠の覚悟のようなものを、この絵から感じた。白隠83歳、最晩年の作である。
参考:白隠展パンフレット、白隠禅師の不思議な世界/芳澤勝弘著
プロフィール
ペンネーム: 津木 雫(つぎ しずく)
オヤジ・オバチャン・オトメのO3マインドを持つ、なんちゃってコラムニスト。
約20年間メーカー勤務。広報・マーケティングを経て、現在フリーランス。
典型的な仕事人間という生活を過ごし、はたと気がつけば人生の折り返し地点。「さぁどうする!」と我が道を振り返っている真最中。
学生時代に、約15カ国を貧乏旅行。
その経験から、今の若者が育つ環境には、問題を自らの力で乗り越える体験が不足していると、感じている。若者教育関連のNPOを立ち上げ、神奈川を中心に現在活動展開中。
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