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第4回 白隠展に行ってきた。

by staff on 2013/2/10, 日曜日

 

プロローグ

 渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『白隠展』に行ってきた。今に伝わる臨済宗の禅のスタイルをつくったとされる偉人「白隠」。私は、ほとんど名前も知らないくらいだったが、その魅力にはまってしまった。

 彼が残したたくさんの書画から、「白隠」という魅力あふれる人物像を、うかがい知ることができる。そして目をつぶり、想像してみたくなる。誰よりも民衆を愛し幸福を願い、誰よりも優しく、楽しく、人によっては厳しく難解で、型にはまらず、現場主義、気取って口先だけの者が大嫌いで、探究心旺盛の、恐ろしく頭の良い茶目っ気たっぷりなニコニコじじい。 白隠とはそんな人物だったのではないだろうか?

 今月は、この白隠展のご紹介と、その人物像に迫ってみたいと思う。

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Bunkamura 外観
Bunkamura 外観

 白隠は書画を描き、それを使って民衆の教化に努めてきた人だという。これは一体誰の為に書いたのだろう。子供かな?修行僧かな?商人かな?農民かな? そんな事を想像しながら、絵に書かれたメッセージ(賛)とともに、漫画のような絵を楽しんで欲しい。(『白隠展』は2013年2月24日まで開催)

今に伝わる「禅/臨済宗」のスタイルを作った偉~いお坊さん「白隠」

 白隠(白隠慧鶴・はくいんえかく:1685-1768)とは、江戸時代中期の禅僧。
 鎌倉時代に中国から日本に伝わったとされる「禅」を、江戸の時代に再興、臨済宗の今のスタイルを構築したと言われる人だ。白隠は、15歳で出家し83歳で没するまで、膨大な数の書画を描き残している。現存するだけでも1万点以上と言われ、誰にでも分け隔てなく、与えて回り、民衆教化に努めた。

 今回展示されているのは約100点。白隠が残した数からすれば、ほんの一部だが、実にバラエティー豊かで、様々な内容のメッセージを感じ取ることができる。

1分でわかる! ざっくりと「禅宗」

 私のように、仏教について全く知識がない人のために、「禅宗」について少々調べてみた。

 「禅宗」とは坐禅をする宗派ということになるが、現在では主に、臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)があるのだそうだ。違いを超ザックリ言うと(ザックリ過ぎて叱られるかもしれないが)、次のようになる。

 「臨済宗」は与えられた課題(公案という)を考えながら坐禅して修行し悟りを目指すというもの。坐禅の向きは通路側を向いて座る。

 「曹洞宗」は修行と悟りは一体と考え、坐禅そのものが悟りの姿とし、心を無にして坐禅するというもの。坐禅の向きは壁側を向く。

 「黄檗宗」は自己の中に浄土を見出し、念仏を唱え坐禅するというもの。リズムを刻む木魚も黄檗宗とともに広まったとされる。

 ちなみに鶴見区にある總持寺は、永平寺と並ぶ2つの曹洞宗大本山の一つ。一般の人も、坐禅に参加できるコースがある。

HP http://sojiji.jp/zenen/sanpai/sanzenkai.html

一人一人に処方を変えるカリスマ医師のような白隠

 今ではこの3つの宗派がある禅宗だが、白隠の時代は、現在のような明確な別れ方はしていなかったようだ。白隠は自由な発想で、修行のための課題「公案」も、自らつくり加え、禅宗を構築していった。

 白隠が活躍した江戸中期とは、戦乱の世は去り、安定したとみられる時代。寺子屋などにより、民衆の識字率が急速に高まり、大衆の文化が花開く。しかし一方で、一揆もしばしば起こっている。民衆の貧富の格差が一段と広がり、富む者と貧しい者が混在する時代だったわけだ(現代と似ているのかもしれない)。

 そんな時代背景の中で、白隠が伝えたメッセージは、型にはまらない白隠流。時には難解で、時には分かりやすく、また時には包み込むように暖かく、時にばかばかしく笑えるなど、実に様々だ。修行中の僧侶やおごった者には、自らの未熟さを痛感させる問答を、弱って疲れた貧しい者には、癒しや内なる浄土を、その人のその時々の状態にあわせて、最適なメッセージを説いてまわったのだろう。まさに、患者の状態にあわせて処方する、カリスマ名医のような存在ではなかったか。

 白隠は、独自の漫画のような画風で、神様や地獄の閻魔様までをキャラクター化して、ユニークに面白おかしく書き上げている。こんな教材を使われては、興味を引かないわけがない。当時は、大ウケだったに違いない。

 事実、晩年の白隠のもとには、一般民衆、修行僧、身分の高い者、低い者、様々な人々が、ひっきりなしに訪れたとされている。また、自らも生涯にわたり民衆の元へ出向き、教化する現場主義を貫いた。

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(1) 半身達磨
(1) 半身達磨
  (2) 布袋吹於福
(2) 布袋吹於福
  (3) すたすた坊主
(3) すたすた坊主

(1)半身達磨(はんしんだるま)
 美術館を入ってはじめに目にする2mもある大作。賛(絵に書かれたメッセージ)は「直指人心、見性成仏」。「仏は自分の心にあり、それを自覚することで仏になる」という意味。

(2)布袋吹於福(ほていすいおふく)
 右は煙草を吸う白隠布袋。左はその煙が幸運を呼ぶお福になっている。白隠はよく自らを布袋さんとして描いている。また、お福も、人々に幸運をもたらす象徴としてよく描いている。この絵は、白隠が皆にお福を連れてくるぞ、皆の幸せを願っているぞと示している。

(3)すたすた坊主
 当時、金持ちの変わりに代参した坊主が実際にいたらしいが、この坊主は白隠とされる。白隠が皆の代わりに代参し、皆の幸せをいつも願っているから大丈夫、安心しろよ、ということなのだろう。

白隠は兼好が嫌いらしい

 展示作品の中に吉田兼好(後に出家して兼好法師)を猿になぞり吉田猿猴と呼んで、馬鹿にしている作品がある。

 吉田兼好と言えば、「徒然草」の作者。「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」ではじまる冒頭の意味は、「暇でやることもないので、思いつくままかいてみよっかな」というもの。そして内容は、自分の関心事や、何かの評価や批判がメインの当時のコラムだ。

 白隠としては、「暇をもてあましたあげく、自分の事ばかり考えおって、人の幸せのために何かやろうとは思わんのか!」とツッコミたくなるような人物に映ったのかもしれない。

 一方、白隠が師と仰ぎ、好んで書いたとされる禅宗の祖師の中に、大燈国師という人物がいる。この人は京五条の橋の下で、20年にわたり乞食に交じって暮らしたという人。現場をまわり、他人の幸せのために、全身全霊を捧げて奮闘する人だったようだ。まさに、白隠の現場主義のお手本となった人なのだろう。

 机の前で、自らの美学を追求する兼好とは対照的だ。
 この大燈国師の絵も、展覧会ではお目にかかれる。

時には教科書も下ネタ パロディーに!

 当時寺子屋で使われていた教材「実語教」をパロッた絵もある。

 「智有るを以て貴しとす」 という冒頭の文章を、「痔有るを以てたった下火」として、お尻を出して痔の治療をしている滑稽な絵を描いているのだ。とても和尚の書くものとは思えない下ネタだが、当時、これは間違いなく大爆笑だったはずだ。

 寺子屋に行きたくない子供達、あるいは寺子屋に行けなかった読み書きのできない民衆を集めて、そのへんの石にこしかけながら、「いいか、見とれよ」とでも言いながら、書いてやったのかもしれない。白隠とは、そんな「お笑い」大好きのサービス誠心旺盛な、吉本系坊主でもあったようだ。

カリスマを受け入れ 演じたかのような白隠

 白隠の膨大な書画の多くは、晩年の約20年間で書かれているそうだ。白隠の民衆教化活動が、晩年になるにつれ、益々盛んになっていったという事なのだろう。

 おそらく、年齢とともに、人間的魅力は益々増し、誰からもしたわれ、その存在がカリスマ化していたのではないか。そしてそのカリスマ性を白隠自身も十分承知し、上手に使ったに違いない。私はそう考える。

 そう思うきっかけとなった絵が、この「百寿福禄寿(ひゃくじゅふくろくじゅ)」。百種類の字体で「寿」が100個書かれている。一般には中央に大きな「寿」の文字がはいる形式のようだが、白隠は中央に寿老人を書いた。注目すべきは、寿老人の左の文章。「明和第四年の端午の日に、福禄寿道人が沙羅樹下老漢の命令に依って書いた」とある。沙羅樹下老漢とは白隠のことだそうだ。つまり、白隠の命令で寿老人がこれを書いた、白隠が書かせたんだよ、と言っているわけだ。

 もしかしたら、貧しい民衆にとっては、会ったこともない異国の有難い人より、目の前の身近なカリスマ白隠の方がよっぽど信頼がおけ、神のような人物だったのではないだろうか。

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百寿福禄寿
百寿福禄寿

 「白隠様がおっしゃるなら間違いない」、「白隠様が命令して書かせたんだから、皆が長生きする寿の効果はあるに決まってる」「だから、心安らかに信じよう」。そんな民の声と、カリスマを受け入れた白隠の覚悟のようなものを、この絵から感じた。白隠83歳、最晩年の作である。

参考:白隠展パンフレット、白隠禅師の不思議な世界/芳澤勝弘著

プロフィール

ペンネーム: 津木 雫(つぎ しずく)
オヤジ・オバチャン・オトメのO3マインドを持つ、なんちゃってコラムニスト。
約20年間メーカー勤務。広報・マーケティングを経て、現在フリーランス。
典型的な仕事人間という生活を過ごし、はたと気がつけば人生の折り返し地点。「さぁどうする!」と我が道を振り返っている真最中。
学生時代に、約15カ国を貧乏旅行。
その経験から、今の若者が育つ環境には、問題を自らの力で乗り越える体験が不足していると、感じている。若者教育関連のNPOを立ち上げ、神奈川を中心に現在活動展開中。

 

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