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横浜野毛で37年間続いているバー「美幸」の馬場敏江ママ

by staff on 2013/3/10, 日曜日

 横浜の桜木町駅のそばにある野毛(のげ)地区は、横浜開港とともに交通の要所となりそれから繁華街として栄えてきた。特に戦後は闇市が開かれ、人で溢れていたという。美空ひばりがデビューした横浜国際劇場も野毛の一角にあった。

 現在の野毛(のげ)には、居酒屋から本格料理店、バー、ライブハウスまで多種多様の飲食店が軒を並べている。その中に住宅、医院、美容室などがあり、ソープランドや、フラブホテルなどの風俗店も同居しているという、まさに「ごちゃごちゃ」した感じが “野毛らしさ” だと言われている。

横浜の下町「野毛」公式ホームページ(150程度のお店が紹介されている)
http://www.noge-net.com/index.htm

バー「美幸」のママ 馬場敏江さん

 

 

 その野毛で37年間、続いているバー「美幸」がある。カウンター席が10席しかないが、いつ行ってもお客さんで一杯。筆者も「美幸」に行き始めて20年になるが、何度断られたことか・・

 今月号の「ヨコハマこの人」は「美幸」の人気の秘密に迫ってみる。

 

お名前 馬場 敏江(ばば としえ)さん
出身 横浜市中区吉野町(吉野町は中区だった)
生年月日 昭和11年(1936年)2月25日
2.26事件の前の日に生まれた77歳です
ご性格 負けず嫌い 自分に挑戦する

ママ(馬場さんのことを筆者はそう呼んでいる)は、長年美容師をやっていたと聞きましたが・・・。

 姉さんが美容師だったこともあり、私も若いころから美容師を目指していたの。鎌倉美容学校を卒業して美容師の国家試験を受けたのが昭和27年(1952年)でした。

 その後、「写真のモデルになってほしい」と電車の中で声をかけられた男性に見染められて結婚しました。19歳で長女(美幸さん)を出産して、夫の援助で20歳で美容室を始めました。美容室を持たせてもらうというのが「結婚の条件」だったから・・。 でも事情があって、娘を残して32歳のときに婚家を出ることになったのです。

 神奈川区の美容室で主任として一所懸命働きました。私は働くことが趣味で、寝る暇があったら働いているほうがいいというタイプなのね。それと婚家に残してきた娘にお金を残したい一心で、お酒が飲めないのに夜もアルバイトを始めました。とても評判が良くて、今思うと、接客業が向いていたのかもしれない。

 

バー「美幸」のママ 馬場敏江さんの長女の美幸さん
写真
ママの長女の美幸さん

 昭和47年(1972年)に、上大岡駅前に「とし美容室」を開きました。この美容室は上大岡駅の再開発で閉鎖する平成4年(1992年)まで経営していました。美容室は繁盛して、美容師協会の役員をやったり美容師研修の講師も務めていました。

美幸さんにとってママはどんな存在でしたか?

どきどき会うお母さんは、いつもきれいであこがれの人でした。
美容学校に行ったのもお母さんに近づきたいと言う気持ちだったからかも・・。
18歳になってようやくお母さんと一緒に暮らすことができました。

ママが「美幸」を始めたのはどういう「きっかけ」からですか。

 美幸を美容師にして行く行くは支店を持たせようと考えていました。ところがその当時は「男性美容師」全盛時代で、女性美容師はなかなか就職先がなかったのです。美幸さんは美容学校時代に野毛のお店(ゲイ・バー)でアルバイトしていて、彼女は接客業のほうが向いているのではと考えていました。

 だったら二人でお店をやれたらと思い、カウンター席だけの小さなお店を探しました。そして見つかったのが、ここなのね。お店の名前は「美幸」にして、素人の母娘二人でバーを始めることになりました。

野毛の風名
写真:野毛の風景
 

 当時の野毛は賑やかで、お客様はネクタイ族の男性ばかりだったそうです。「美幸」の前のお店は繁盛していて、船員さんや役人が常連さんでした。その方達がそのまま常連になってくれたそうです。二人は37年前の開店日の最初のお客様を今でもはっきりと覚えていました。

 「美幸」は美人母娘がやっているお店だと評判になって友達が友達を連れてくる「憩いの場」になっていきました。女性同士が野毛に飲みに来ても安心なお店だと言われ、大勢の女性達が訪ねてきました。開店当時、FUKUZOのシャツにGパンが二人の仕事着だったそうです。

 それから37年・・・。美幸さんが子育て中の6年間は、女子大生に手伝ってもらって、母娘二人のお店は続いてきました。

 常連さん達が「山登りの会」を結成して、ママも一緒にハイキングに行ったり旅行に行ったり、家族ぐるみの付き合いをするようになりました。

 私の紹介で生まれた夫婦が八組あるの。人生相談をしにくるお客様も多いのよ、私は世話焼きババアね・・とママは話してくれました。

 

横浜野毛にあるバー「美幸」
横浜野毛にあるバー「美幸」
(クリックで拡大写真)

ママは、「美幸」の人気の理由はどこにあると思いますか。

 家のダイニングで飲んでいるような雰囲気がいいのかしら・・・。私は、バー・クラブ・キャバレーの雰囲気で、小料理屋の食事ができて、立ち飲み屋のようにおしゃべりを楽しめるお店を目指してきました。それがお客様に受け入れられているのかもしれませね。

 仕事を退職しても、毎日のように通ってきて「ここは第二の我が家だ」と言って下さるお客様たちがうちの財産です。

何でそんなに人気があるのか・・・<筆者の見解>

 まず、誰に対しても優しく接してくれる、お二人の人間性です。ママは、人の気持ちに寄り添うことができる方で、男気があって頼りになる感じがします。美幸さんは、とても綺麗で華のある方だが、優しい感じが素敵で女性に人気があると思います。

 そして、バーなのに(?)とても美味しい家庭料理が出てくること。席につくと、今は家庭でなかなか食べられない「きゃらぶき」、「おから」などの手作りのお料理が次から次へとが出てきます。寒かった今年の冬は、一人分の土鍋に「湯豆腐」が出てきました。

 来やすいお値段だということもあるわよ・・とはママの意見。

 経営センスにも優れていて、野毛でもかなり早い時期に「カラオケ」を導入しました。最新の「カラオケ」では、点数がつくだけでなく、全国ランキングが表示されます。

 常連さん達が、「カラオケ」で歌いながら、家庭料理に舌鼓を打っている、まさに我が家のように振る舞えるお店が「美幸」なのです。

ママはシニア世代なのになんでそんなに元気なのですか。

 お客様にお会いするのが嬉しいのね。体調が悪くてもお店の時間になると不思議なことに体が動くの。まだまだ現役で頑張りますよ。私の人生は失敗の繰り返しだったから、それを伝えてお客様には失敗してほしくないという気持ちも強いわね。

美幸さんにママの元気の素を伺うと

 働くこと、お客様と話すことが好きなんですね。家庭的な人ではないのに、お客様のためには、時間をいとわず煮ものを作っているのを見ると、本当にこの仕事が好きなんだなと思います。「子供のために 孫のために」と言って頑張る母には頭が下がります。

ママにとって「横浜」は、「野毛」は どんなところですか。

ママにとって横浜は「私の土俵」
ママにとって横浜は「私の土俵」
(クリックで拡大写真)

 

 これまでずっと勝負してきたから・・・。「私の土俵」です。ここでたくさんの人達との素敵な出会いがありました。

これからもお客様を大切にして、家のダイニングで飲んでいる雰囲気を残して、娘と二人でお店を守っていきたいですね。

高度成長時代は、「帰りに一杯」が当たり前だった。仕事帰りに一杯飲んで、疲れをとりストレスを発散していた。そんな良き時代の雰囲気が「美幸」にはまだ残っている。

この癒しの空間がいつまでも続くことを願ってやまない。

バー「美幸」 地図

インタビュー・文・写真:渡邊 桃伯子

 

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