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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第12回 第3章 ビジュアルによる影響と成長 1

by staff on 2013/5/10, 金曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第3章 ビジュアルによる影響と成長 1

 ここらで少し視点を変えてみましょう。

 まだビデオやパソコンがない時代、海の向こうのミュージシャンがどんな顔をしているのかどんな服を着てるのか? レコードか音楽雑誌の写真からしか情報が得られませんでした。まして動くライブ映像などめったに見られません。数少ない画像映像は今からは想像も出来ないほど貴重で少ない資料がいかに影響を与えたことか、今回はそんなお話を。

映画時代

 50年代、まだテレビがあまり普及していない頃は、映画が主流でフランク・シナトラやエルビス・プレスリーなどのスター歌手は、映画に俳優として出演してそのビジュアルや歌う姿をファンに焼き付けました。1963年の映画「ビートルズがやって来るヤァヤァヤァ!」が公開された時は、あまりの人気で映像に向かって叫びスクリーンに突進するファンまでいたそうです。その後も数作を経てリハーサル風景や屋上ライブを記録した「レットイットビー」は、解散間際の暗い内容にもかまわず大ヒット。人前で演奏するのをやめたビートルズの演奏シーンは貴重だったのです。(なぜか映画「レットイットビー」だけはいまだに正式に再製品化されていません。) 70年頃にはプレスリーもハワイやラスベガスの公演を映画化し大ヒット。ストーンズも興奮した観客同士で死人が出たコンサート(オルタモントの悲劇)を映し出した映画「ギミーシェルター」が話題になるなど、ビデオが普及していない当時、彼らの動く姿は中々目にする機会がなく、まして海を隔てた日本ではロックファンには更に貴重な映像だったのです。

ウッドストックとモンタレーポップフェス

 更に、その後の音楽に多大な影響を与えたのが、60年代後半に野外で行われたビッグイベントが映画になったことです。中でも67年のモンタレー・ポップフェスティバルと69年ウッドストックフェスティバルの映像が与えた衝撃は計り知れません。モンタレーでは、バーズやママス&パパス、ジェファーソンエアプレーンなどヒッピーカルチャーを代表する人気バンドが出演、それに混じってまだ無名のジミヘン、ジャニス、オーティスレディングがここから世に知られることとなります。ジミヘンドリックスの超絶テクニックと演奏が頂点に達した時、オイルライターで自分のギターを燃やし最後にはアンプに叩きつけて壊すショッキングな映像。全身から搾り出すように歌うシーンが評判を呼んだのはやはり無名だったジャニスジョプリン。また、ソウルミュージックからはオーティスレディングの歌がみんなの度肝を抜きました。ウッドストックフェスティバルは ’69年8月にニューヨーク郊外の農場で40万人の若者が集まった史上最高のロックイベントで、ジミヘン、クロスビースティル、スナッシュ&ヤング、ジャニスなどそうそうたる出演者で、ここでジミヘンはアメリカ国家の「星条旗よ永遠なれ」を演奏。エレキギター1本で真っ最中だったベトナム戦争の戦場の音を表現し反戦を訴えていました。サンタナやジョーコッカーはここでの演奏が伝説となり今に至っています。ホテルカリフォルニアの歌詞で、ホテルのバーテンにスピリット(酒)を注文すると(アメリカの)スピリッツ(魂)は ’69年以降なくなってしまいましたと表現されたように、この69年を境にロックは商業主義に走っていったと言われます。日本の若者にも影響をあたえ前述した全日本フォークジャンボリーや郡山ワンステップフェスティバルに繋がっていきました。

 この後、もジョージハリスンが声をかけたバングラデッシュの飢餓救済コンサートやザ・バンドの解散コンサートの映画の衝撃もロックファンには忘れられない伝説です。

横浜、街と風(青い日記) 8

ボクシング

 子供時代からボクシングが大好きだったので、高校に入ったらボクシングをやりたいと思っていました。武相ボクシング部は県下では横浜高校と並ぶ全国レベルの実力で全国大会で何度も優勝して多数のチャンピオンを輩出していた有名校。殆どの人が高校から始めるのでスタートは一緒です。早速入部してみると入部希望者が約50人位いて全員新調した赤いジャージに着替え横一列に整列すると実に壮観。いかにも一癖もふた癖もありそうなヤツばっかりで、一様になめられてたまるか的なオーラを放っていました。先輩達の準備が終わり全員揃うと校外へロードワーク。最初はゆっくり走っていますが一定の距離になるとダッシュ、また一定の距離になるとゆっくりを繰り返し、かなりの距離を走った後に心臓破りの急坂をダッシュで駆け抜け学校にゴールします。この時点で全員死にそうになっていて、さっきまでえらそうにしてたリーゼントにタバコくさそうなのは数分経ってから到着していました。自分は足はあまり速くありませんが、水泳部でマラソンは慣れていたしスタミナには自信がありましたが、平気な顔をしてる2年を見てさすがに高校生はすごいと思いました。その後腕立てや腹筋、縄跳びなどこなし1年はひたすらシャドウボクシング。終わる頃には立っているのもやっとの状態でした。

 練習が終わると1年生は部室の前で気をつけの姿勢で腕を後ろに回し整列。まず3年生が着替えるのを待ちます。泥の様に疲れた体で待つ間私語は禁止、水も飲めません。3年生が着替え終わり帰るのを見送ると2年生の着替えが始まります。この間に1年生は外で着替えて2年が着替え終わるのを待ちます。あたりはすっかり薄暗くなっていました。

伝統

 2年生が着替え終わると1年が20人位ずつ外から部室の中に呼ばれます。薄暗い部室で1列に並んだ1年生を前に2年生の1番鼻息の荒らそうなのが、「お前らの中でマラソンで遅れた奴は一歩前に出ろ。気合を入れてやるから手を後ろに回して歯を食いしばれ!」というやボディーにパンチが入ります。

 後ろのロッカーまで飛ばされガッシャーンと音がします。不服そうな顔をしようものなら「なんだその顔は!一発もらったらありがとうございますと言え」といって今度はビンタが飛んできます。これを ”ヤキ” を入れるという伝統だと聞かせれました。やがて他の2年生達も加わって5人位ずつ一度に ”ヤキ” が始まります。終わると又次のグループが呼ばれ全部終わる頃には殆ど全員が殴られて表はすでに真っ暗になっていました。3年生は神様、2年が人間、1年はゴミだなどとよく2年生が言っていましたが、言葉遣いは敬語、使いっ走りやカバン持ちは当たり前。殆ど軍隊に近いものがありました。腫れた顔と切れた口でこんなんやってらんねえよと愚痴る1年生達。1人やめ2人やめ2ヵ月後位には50人近くいた1年部員が15人くらいになっていました。理不尽な伝統で最初は驚きましたが運動部はこんなものだろうと思っていましたし、この時はボクシングでチャンピオンになってみたいと思っていたのでこの程度でへこたれる様じゃ駄目だと思ってました。学んだ事もあります。殴られる前は凄い恐怖心で恐ろしいのですが殴られるのに慣れると痛みもこんなもんかと思うようになり、殴られる事に恐怖心がなくなりました。痛いときは痛いですけどね。しかしこの ”ヤキ” で、やがて大変な事になるのですが。。。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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