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「ナチュラルに、のんびりと横浜で暮らす」幸せ創造プロデューサー神崎政昭さん

by staff on 2010/9/10, 金曜日

「ヨコハマこの人」第5回目は、有限会社神崎の代表取締役の神崎政昭さんにお話を伺いました。横浜市中区で親子三代続く神崎は、自然素材にこだわりぬいた住宅で、暮らす人の健康と幸せを創造しています。まさに横浜とともに生き、横浜を愛し愛されてきた、地域に根付く建設・建材会社です。

有限会社神崎の代表取締役の神崎政昭さん  
名前 神崎政昭(かんざきまさあき)さん
出身地 横浜市中区 今会社のショールームとして使っている建物の二階で産まれました
年齢 50歳
家族構成 妻1人、子ども3人
現在の住居 横浜市中区
職業 有限会社神崎 代表取締役社長
趣味 マラソン・スキー・キャンプ
自分の性格 前向き・明るい・いい加減
有限会社神崎ホームページ http://www.kanzaki-ltd.com
同社建材部ホームページ http://www.kanzaki-kenzai.com

 

「神崎」誕生エピソード

創業から現在に至るまでのお話をいただけますか

昭和28年に私の祖母が創業し、今年で57期目になります。横浜は歴史がないのでこれでも「老舗」と言われます。もともと祖父が鳶職人で戦争中に兵隊の宿舎建設のために海外に行ったのですが、病気になって帰国したのちに亡くなりまして…。祖母が子供6人を食べさせていくために、親戚や周囲の人に手伝ってもらいながら壁材料店を始めたのがきっかけです。かなり苦労をしたと聞いています。

その後は父が会社を継ぎ、父母二人で経営していました。建材屋として砂やセメント、ブロックなどを売っていました。

私は家業は全く継がないつもりでした。大学を出てサラリーマンになり、仕事がつまらなくて辞めてからは、スキーをするためにスキー場近くのペンションで2年間働いていました。
ところが25年前、私が25歳のときに父が突然亡くなりました。借金があったので会社を閉めるにも閉められず、継がざるをえない状況になったのです。そのときは建材を売るだけでは食べていけなかったので、下請けとして小さな工事を受注することも始めました。

当時の本牧エリアはアメリカから返還された直後で廃墟の状態でした。まさに横浜が変わろうとしていたときです。本牧や関内、みなとみらいの再開発が進み、それにより会社も発展させることができました。特にランドマークタワーの建設中は、24時間動く現場に2年間砂利を運び続けました。おかげで借金も返済できて、社員も10人に増えました。

好況期のときだったので、仕事があるけど人手が足りない会社があったり、一方で仕事のない会社があったりで、取引先同士を仲介することもしていました。しかし上手くいかないケースも出てきまして「神崎さんに直接発注するよ」と言われるようになり、自然発生的に社内に建設部門ができました。

 
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住宅建設に力を入れるようになったのはいつ頃からですか

11年前です。当時は大手ハウスメーカーや建売業者の下請けをやっていました。渡された図面の通りに住宅を建設していましたが、数年やって色々なことが分かってくるうちに、「こんな家でいいのか?」と思うようになったのです。使用する建材にしても、お客さまとの打ち合わせなどコミュニケーションのあり方にしても、そして金額の面でも・・・
建設業界のずさんさも目の当たりにしました。しかもバブル後でしたので、自分たちも下請けのままでは、どんどん単価を絞られて会社としても苦境に立たされるだろうことが予想されたのです。

かといって、私にはいいアイディアがない。そこで社員全員で一泊合宿をして、会社の方向性を徹底的に話し合いました。喧々諤々の議論の結果、「下請け会社をやめてお客さまと直接仕事ができる会社になろう」ということで一致しました。日にちを決めて、その後は一切、下請けの仕事はやらないと宣言したのです。

まさに転換期だったのですね

そうですね。思った以上に社員のみんなが前向きだったのでで、「これはやらなきゃ!」って力が出ました。神崎の新たなはじまりでした。第二創業と言えるでしょうね。

 

自然素材にこだわりぬく、健康住宅を目指して

神崎の「こだわり」を教えてください

「住んでいる人が健康に暮らせる住宅」です。石油化学物質を極力使わず、自然素材にこだわりました。1年かけて全国を回り、素材について徹底的に勉強しました。
シックハウスやアトピーという言葉すらなかった時代ですが、必ず需要があると思いました。大手メーカーにはない、良いものを作りたかったのです。

 
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健康住宅の販売は順調に進みましたか?

はじめは大変でした。お客さまがどこにいるのか分からないし、自分たちの名前で家を建てた実績のない会社に仕事を頼む人はまずいません。
そこで初めに建売住宅を建てました。実物が必要だったのです。うちは土木工事が得意なので、崖地を買って宅地に整地して、2軒の住宅を建てました。
1軒は基礎工事の段階で売れました。ご主人がひどいアレルギー体質の方で、かねてから自然素材で家を建てたいという思いをお持ちだったのです。
もう1軒の方は半年ほど販売しないで、お客さまに見ていただくためのオープンハウスにしました。自分たちでチラシを作り、子供たちまで巻き込んでのポスティングも行いました。しかし知名度はゼロでしたから、受注には苦しみました。

景気は悪くなってきましたが、土木工事も建築も両方できるということの強みを活かそうと思いました。このあたりは崖地も多いので、得意な土木工事で良い宅地を造成し、その土地が売れればお客さまもうちで家を建ててくれるのではないか、という作戦でした。不動産の販売のために、働きながら、飲みながら一夜漬けで猛勉強して6年前に宅建の資格も取りました。

おかげさまでここ3、4年は年間6~8軒で安定していましたが、今年は2月から既に20軒の実績になっています。土地の値段も金利も下がったので今がチャンスととらえる方も多いですし、お客さまの意識として「きちんと家が建てられる地元の工務店がいいのでは」ということに気がつかれた方が多い気がします。
リーマンショック以降、うちは景気と入れ替わるようにして業績が上がっているんですよ。

これまで続けてこられたお仕事の魅力とは何ですか

お客さまに「ありがとう」と言ってもらえること、これに尽きます。
いい家を建てるとお客さまが本当に喜んでくださって、そして1年後も3年後も5年後も、近所でばったり会ったりするたびに「ありがとう」と言ってくださるのです。住めば住むほど、自然素材の快適さがわかっていただけるのですね。

お客さまは幸せになるために家を建てます。だから我々は家を造っているのではなく、お客さまの幸せを造っているのだと思っています。ハードだけではないのです。

お客さまはどのような方たちですか

横浜出身の方は少ないです。転勤族でいろいろな地域を渡り歩いていたが、たまたま住んだこの街が気に入ったので永住したいという方が、なぜか多いですね。
お仕事で東京に通勤されている方がほとんどですが「横浜はのんびりしていていいよね」って口をそろえておっしゃいます。東京にはない、横浜特有の緩さやゆったり感を好まれている方たちです。

お仕事をされていて大変なことはありますか

お休みが数ヶ月に一回しかないのですが、逆にそれは嬉しい悲鳴です。
毎朝ワクワクして起きます。5時半に目覚ましをかけていますが、鳴らしたことがありません。いい年して自分でも幸せだな~って思いますね(笑)。

 
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今後の展開についてはどのようにお考えですか

これ以上広げようとは思っていません。私や施工管理の責任者が、全部の状況を把握できるくらいがちょうどいい。今はそれができているから、お客さまにも非常に喜んでいただける家が建てられているのだと思います。

お客さまの顔と顔と、心と心とのお付き合いができる範囲で、最大の満足と幸せとを引き出せるようなお仕事をしていきたいです。

 

緩く、のんびりと、横浜で生きる

神崎さんの横浜歴を教えてください

ペンションにいた2年間だけ離れていましたから、48年です。

「横浜」という土地に対する神崎さんの思いを教えてください

横浜の人は、横浜のことがすごく好きなんだと思います。だからこそ、家を建てるなら地元に根付いた会社に頼みたいと思って、うちを選んでくださる。
ある意味この地域でなければ、商売をやっていけなかったかもしれません。

 
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昔と今とを比べてみれば、みなとみらいができたり、超高層マンションが建ったり、新しい人が来たりして、横浜は表面的には変わっていないとは言えません。
でも自分も含めて、昔からあるのんびりとした緩い空気や匂いが好きだと言う人たちもいるのが横浜なのです。
そういう「横浜らしさ」のようなものを、理念などでなく空気で継承していけたらいいですね。

子供たちにも、外を見てほしいとは思いますが、できれば横浜で暮らしてもらいたいです。何かの事情でそれができなかったとしても、横浜を好きでいてほしいです。

東京との違いは何だと思いますか

東京は気合が入ってます。「東京でがんばろう!」という人たちの集まりだと思います。
でも横浜は気負いがないし、ハングリーじゃない。エライ政治家だって一人も出ていませんよね(笑)。

横浜の魅力はどんなところだと思いますか

「混ざり合っている」。
認め合うというほどスマートではないけど、国の違いや顔の色の違いなんて当たり前で、全く気にもしない。無意識なんですね。そんなわい雑さや混沌とした緩さが好きです。

特に中区野毛から本牧、伊勢佐木町あたりが気に入っています。
そして絶対に東京を目指さない「カッコイイ田舎」であるところかな。昔からの価値や自分なりのスタイルを貫いている。「グレイト田舎」と言う人もいるくらいです(笑)。

 
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