横浜スケッチ(第23回) ハワイ島から
ペンネーム 成見 淳
ハワイは1976年新婚旅行以来通算5回目となる。オアフ島以外にカウアイ島、マウイ島、ハワイ島(Big Island:ハワイ島と言うのは日本人だけらしい。)と訪れたが、今回はハワイ島だけ。2008年、次兄とキラウェア火山などのツアーに参加し、マウナケアの星空ツアーの事を知ってから、何とか行って見たいと思っていたがついに実現。しかも、あれほど「海外旅行は絶対に行かない。」とかたくなに嫌がっていた家内が「ハワイ島の星空を見に行かない?」という誘いにすんなり乗って来た。こちらとしても二人の方が何かと心強い。
前号で「終活の始まり」を書いてから、9年間の間にやりたいこと、やり残したことを出来るだけやり切ってしまいたいとの気持ちが一層強くなったように感じる。
迷ったら即実行。むしろ『次はどこへ行こうか?』『何を描こうか?』『誰と会っておこうか?』とあれこれ迷うような状態ですらある。こういう迷いは楽しい。
常々、自分には悩みはないと思っていた。「悩みを、問題ないし課題」と考えれば、解決方法を必死に考えて実行すれば良いだけの話だから。
「そんなこと言ったって、解決したくても出来ないから、だからその葛藤に悩むのに。」と思われるかもしれない。そんな時は「悩みには自分の力では解決出来る悩みと出来ない悩みの二種類あって、どんなに悩んでも解決できない悩みはいくら悩んだところで解決出来ないのさ。だから解決可能な方だけ方策を考えれば良いの。もし今解決出来なければ実行を先延ばしするのさ。」と思った方が良い。
1月18日23時55分発。昨年12月21日から就航したハワイアン航空羽田発コナ空港行きの直行便。帰りは22日22時5分羽田着だから、3泊5日と言っても実質3泊4日と5分の、短いが効率的な旅だった。ちなみに自宅から京急を利用し40分でチェックイン出来るので、風呂に入って夕食、さらに一寝入りしてから家を出た。
同日18日昼にコナ空港に着いて入国審査を終えると日本のツアー会社数社が待ち構えている。
そのうちの一人にバスに案内されて、軽くて小さなスーツケースを積み込み一番前の席に座った。
「あれ? あそこの旅行会社のデスクにいる同じアロハシャツを着ている人達! さっきの入国審査所で旅行者に機械の操作を教えてくれていた人達だよ! ほらあの背の高いおじさんとか。」
「あら本当! 入管の職員じゃなかったの?」
「入管の職員が旅行社のデスクにいるのも変だなあ? 入管業務を民営化したのかなあ?」
やがて同じアロハシャツを着た女性がバスに入って来たので早速質問をする。分からない事があると色々推測し、仮説を立てて、それが合っているか確かめたくなるのは習性に近い。
「あのう。先ほどあそこにいる方を入管審査の所で見かけたのですが職員の方ですか? それとも旅行社の方?」
「ああ、あの方はHISの人です。私は阪急。旅行社は違っても同じシャツを着ていますが。」
「ええ? じゃあ、先ほどはボランティアで機械の操作を旅行者に教えていたのですか?」
「そうです。皆さん慣れていらっしゃらないので出て来られるまでに時間がかかってしまうので。スピードアップのために機械を入れたのですけどねえ・・・。」
「なるほどねー。そういうことだったのですか。」
さてバスはゆっくりバックしてから空港を出発。おそろいのアロハシャツを着た日系の旅行社(複数)の方達が手を振ってお見送り。私たちは一番前の席に座っていたので、彼らと正面となる。こちらも手を振ろうと思ったが、何の気なしに右手の小指と親指だけを立てて振ったところ、見送りの方全員が同じように手を振っていた。とても嬉しそうに。
私たちが空港からホテルへ向かう途中で小動物が道路を横切ったので思わず「あっ! イタチ。」と叫んだところ、ドライバーが平然と「マングース。」と教えてくれた。その声のトーンで「珍しくも何ともないよ。」というニュアンスを感じ取った。
ホテル数か所を回って3時頃マウナラニ・ベイ・ホテルにチェックイン。特に指定はしなかったがオーシャンビューの部屋。荷物をほどいてから広いリゾート内を散策し、サンセットを眺めながら夕食。20時には二人とも熟睡。翌朝みたらマウナケアの頂上も見えた。
ホテルのビーチ 1/20/2017 撮影
19日、島を一周するサークル・アイランド・ツアーに参加。予定の時間を過ぎてもバスが来ない。最初のホテルでドタキャンがあり遅れたとのことで後の行程がせわしなかった。
ビッグ・アイランドと言うだけあってハワイ諸島では最も広く、最も若い島。一周するのに約4時間半かかる。同様のツアーは8年振りだったが、レインボウ・フォール、キラウェア火山、黒砂海岸以外は初めての所ばかり。かつ、ガイドさんの話がハワイの歴史、地学、気象、動物、植物、日系人移民の歴史などなど大変勉強になり、長時間にも拘わらず全く飽きなかった。
この方、青森出身。20歳の時に単身大阪からアメリカに渡り、ガイドの職を得て各地を回り、ラスベガスで全財産を失うなど波乱万丈の人生。国籍を取得しこの島に在住。60数歳。色々な人生がある。それにしても多岐にわたって良く知っており、当然ながら良く調べている。
このサークル・アイランド・ツアーは島を時計回りに回る。確かレインボウ・滝へ行く途中だったと思うが、ガイドさんがシャカ・サインの話をしてくれた。こちらで良く使われるサインで、親指と小指を立てて握ってシャカシャカ振る挨拶。意味合いは「アロハ」「気楽にね」「じゃあね」と言った所だそうで、何も知らない私は空港でこのシャカシャカをやっていたことになる。
どうりで皆ニコニコしてシャカ・サインをしていた訳だ。
さらにツアーの後半の頃、ガイドさんが公園の木陰を指差して「ほら左側のあそこの木の間に見える鳥!」と叫び、ハワイの州鳥「ネネ」の話をしてくれた。
話は飛ぶが、ヨコハマNOWの「和歌うた」でおなじみの早苗ネネさんから百首達成のCDと、直筆の大変丁寧なお手紙、そして大倉山記念館でのコンサートのご案内を頂いた。
コンサートは3月1日で、ヨコハマNOW3月号が発行される頃は終了しているが、大倉山記念館は昨年2月にスケッチし、私の所属する「水陽・季彩会展」にも出品したので、今月の「横浜スケッチ」にネネさんのことを書こうと思っていた。
大倉山記念館」水彩F4 2016年2月
でも、ネネさんがマウイ島にお住まいという以外には接点が見つからないでいた。
ガイドさんのお話を聞くまでは。
優雅に飛ぶ姿は見ることが出来たが、残念ながらこれも写真に収めることは出来なかった。カモのような姿であった。著作権の問題で記載することは出来ないが「ネネ ハワイ州」で検索すると出て来る。「ネ~、ネー。」と泣くのでネネと名付けたそうだ。
この鳥は人間よりも先にハワイ諸島に生息していたが、マングースなどによって絶滅寸前になった。マングースは畑を食い荒らすネズミを退治するためにと人間が持ち込んだものだが、ネズミは夜行性、一方マングースは昼行性で効果なし。
ネネは卵を地上で育てるためにマングースの餌食になりやすい。しかも長くは飛べない。そんな訳で絶滅、人間の手で保護されハワイ諸島で復活された。
マングースと言えば沖縄でのハブとの格闘が有名だったが、動物愛護の観点から大分前に全面禁止になっている。明治時代にハブ退治にと東大の先生の発案で導入されたが、ハブも夜行性。結果はハブには効果がなく、ヤンバルクイナを食い荒らすことになり、悲惨な結果になったという。
マングースはハワイではホテル内や黒砂海岸で、沖縄ではゴルフ場の中でオスプレイと共にたくさん見た。なお、マウイ島だけはマウイ諸島の中でマングースはいないと伺った。天敵のいないネネは安心して住めることだろう。
ハワイとネネさんを無理やり結びつけてしまいました。ごめんなさい。
黒砂海岸のウミガメ 1/19/2017 撮影
後日、折角ネネさんのことに触れるのだからと、野毛の横浜市中央図書館で「熟女少女」というネネさんの著書を借りて来て読んだところ、マウイ島で偶然この鳥を見つけたことが書かれていた。
「熟女少女」早苗NENE 第4章 旅立ち 離婚、新しき地を求めて 200&201頁からちょっとだけ引用させていただいた。
不思議な泣き声がしたので振り向くと、山側にある岩の上に一羽の鳥がいた。山鳩とかと思ったがもう少し大きかった。アヒルに似ていた。私達をじっと見つめている。私も見つめながら通り過ぎた。足元に気を取られてその鳥から目を離した。振り返って見たときにその鳥は消えていた。それはほんの一瞬の出来事だったので目の錯覚かもしれないとも思った。
中略
そして、その鳥の名前を見た途端、私の心臓は急に早く打ちはじめた。“Hawaiian state Bird Nene” と書かれていたのだ。ハワイ州の州鳥が「ネネ」という名前のガチョウで、絶滅寸前種に指定されていることを、私はそこで初めて知ったのだった。私の心のなかに、もう一度自分が「ネネ」という名前で歌を唄っているビジョンが浮かんだ。自分がなぜ、八丈島からこのマウイ島に来たのかが分かったような気がした。「八丈島からいただいた愛を姉妹島のマウイ島に届けに行きます。」と言って日本を出て来た私だったが、絶滅寸前の「ネネ」に出合ってその答えが見つけられた気がした。
引用終わり
生い立ちから、華やかな芸能界でのこと、「ジュンとネネ」の解散、八丈島での生活、留学先・新天地を求めてマウイ島へ、までの自伝。1月号の「横浜スケッチ」の鈴木真砂女を彷彿とさせる波乱万丈の人生。この本を読んでから聴く和歌うたはさらに深いものに感じられることだろう。
Neneは復活の鳥、逆境にも負けず大きく羽ばたく鳥。
さて、夕陽も落ちてババガンプというレストランで夕食。20時にピックアップの車が来るということだが、食べ終って1時間以上も時間があった。
とりあえず店を出て、ふと隣を見るとギャラリーがあった。何枚かの絵を何回も行ったり来たりして見ていると店のおばさんが寄って来た。
「気に入りましたか?」
「Amazing!!!」それはヤシの木、海岸、夕陽の小さな油絵、幅広い額。おばさんニコッと笑って、その絵を壁から外し、小さな部屋へ私達を招き入れドアを閉め、徐々に明かりを落として行った。すると、あたかも夜が迫ってくるように絵が変化した。
「Waoo!!」と声を上げると益々おばさん喜んで、今度は徐々に明るくして行くと。まるで日が昇るように変化。250ドル。ほんの一瞬買おうかなと心がざわめいたが『工夫していつか自分で描こう。』と自重。
いったん店を出て、『連絡先に名刺をもらっておこう。』と引き返した。今日は何てついている日だ。
1月20日。今日は14時過ぎピックアップで念願、そして今回の旅のメインテーマの「夕日と星空ツアー」。ほぼ海抜0mから4205mの山頂のわずか5m下まで車で登る。そのほとんどは舗装道路でほぼ直線。途中オニヅカ・ビジターセンターで早い夕食を兼ねて高山病防止の休憩。
アルコール、空腹、過度な運動。この三つが高山病の三大原因とのこと。スキューバダイビングなどはもっての他とのこと。山頂には夕陽を眺めるだけで長居はしないので、滅多に高山病になることはないそうだ。
2002年ペルー、ボリビアを旅行した時に高山病を経験した。何とも気持ち悪いものだった。しかも、よりによってペルー人の友人とクスコで分かれて一人になってから、プーノという街で。
(詳しくは私の ホームページ 「Peru、Bolivia遍」⇒「高山病」参照下さい。)
家内が高山病を気にしていたが、結果は私より元気で何ともなかった。私は山頂でちょっと。気のせいだったかな。
山頂からの夕焼けは見事。
少し降りて来た所からの星空は・・・。満点の星空にゆっくりと飛ぶ人工衛星(それでも1時間半で地球を一周)、ため息ものだった。また一つ胸のつかえが降りた。これも一つの終活。
後ろ右手はキラウェア火山の火口 1/20/2017 現地旅行社のガイドさんが好感度カメラで撮影
13個ある各国天文台の中で日本のスバル天文台が一番大きく、立派に見えた。1/20/2017撮影
「マウラナニ・ホテルのベランダから」水彩F4 2017年1月
参考資料:早苗ネネさんホームページ http://amanakuni.net/sanaenene/
原稿を書き終えて、あらためてこちらのホームページを拝見したところ、既に同様の事が描かれていて、不思議な既視感を覚えました。
お知らせ(詳細は私のホームページ http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/ )
- 個展の会場と日程が決まりました。
先月2月号の記事「ヨコハマストーリーを語る会(第1回)」をご覧になった公益財団法人横浜市緑の協会の方より、斉藤秋造様を通じてこの絵の 「山手通信」 への掲載依頼がありました。
山手通信及び個展の案内DMは各西洋館に置かれています。
本人は生前葬のつもりで、生きているうちにたくさんの方にお会いしたいと思っています。
会場で見かけたら気軽にお声を掛けて下さい。 - 今月、3月20日~26日まで、横浜市民ギャラリーあざみ野で「水陽・季彩会展」があり、私も3点出品します。24日、25日の14時~18時まで、26日15時から16時まで会場にいます。
- 5月3日~9日まで、JR鶴見駅東口のサルビアホール・ギャラリーで「鶴見高校OB美術展」に2点出品します。
筆者紹介
![]() |
|
ヨコハマNOW 動画
新横浜公園ランニングパークの紹介動画 | ||
![]() |
ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。 |
横浜中華街 市場通りの夕景 | ||
![]() |
横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。 |
Comments are closed.