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しあわせの「コツ」(第50回) いじめの「構造」

by staff on 2021/2/10, 水曜日

第50回 いじめの「構造」

「いじめを生む教室」荻上チキ著 PHP新書

荻上チキ氏著『いじめを生む教室』によれば、この40年間、いじめは多様化し、深刻化していますが、いじめ問題への取り組みはほとんど進化していないそうです。「いじめ」に関する本もたくさん出ていますが、ほとんどが「いじめられる側」からの視点ばかり。そこで、6人の子育てを通じ、色々ないじめを見、体験してきた立場として、個々のいじめの背後にある「いじめの構造」について、(賛否はあると思いますが)私見を述べてみたいと思います。

「いじめ」という現象は、ウイルスのようにフワフワと空中に浮いていて、何かの拍子に誰かに取り憑き、ある日突然発病するものではありません。「いじめ」は、必ず何らかの行為を起こす側が最初にいます。この加害者側の問題を不問に伏したまま「いじめ」を論じても、真の解決に至ることはありません。

例えば、こんな場面をイメージしてみてください。
蛇口から水が出しっぱなしになっており、床がびしょびしょに濡れています。何とか床に流れてくる水を拭こうと雑巾を持ってきても、この状態では何百枚の雑巾があっても床の水を拭ききることはできません。そのうち、床が水でふやけ、床板が腐ってしまうでしょう。

ではどうしたら、この状態を解決できるでしょうか?簡単ですね。蛇口を閉めればいいのです。そして、二度と同じトラブルが起きないように原因を調べ、対処すればよいのです。ただ蛇口を締め忘れただけなのか、それとも器具の不具合なのか。それによって処置が違ってくるでしょう。

同じことが「いじめ」にも言えるのです。上履きや文具を隠したりする程度から、陰湿なもの、犯罪に近いものまで、どれほど多種多様ないじめがあろうと、「いじめの構造」は変わりません。ある人物Aが他の人物Bに何らかの行動を起こすことで「いじめの構造」が生まれます。そしてAはいじめる側、Bはいじめられる側という構造的関係が二人の間に成立するのです。

蛇口のたとえで分かるように、床が水浸しになる原因は床ではなく、蛇口にあります。同じように、「いじめ」はいじめを起こす側に動機があります。ほとんどの場合、いじめる側に内面的なひずみ、強度のストレス、コンプレックスなどいわゆる「心の闇」が存在するのです。自分にない才能をうらやんだり、おとなしい子にマウンテイングしたりと、自己重要感の低さからくるゆがんだ感情を自分でコントロールできないまま、それが溢れ出し、「いじめ」という現象として現れるのです。

恐ろしいことに、ひとたび「いじめ」の構造に絡めとられると、なかなかそこから出ることができません。しかも、いじめる側といじめられる側は「構造的関係」にあるので、状況によっては加害者と被害者が入れ替わったり、いじめられる側が今度は自分がいじめる側となって新しい「いじめの構造」を増殖させていくのです。

先に紹介した『いじめを生む教室』の中でも、「いじめを受けた児童・生徒が9割」もある一方で、「いじめに加担したことのある児童・生徒も9割」いるという事実がデータをもとに指摘されていましたが、これはまさに「いじめ」は「いじめの構造」として存在することの証拠といえるでしょう。

本気で「いじめ」を解決するためには、「いじめの構造」のカウンターパート、すなわち「いじめる側」にアプローチしなくてはなりません。「いじめる側」が抱えているストレスに教師が寄り添ってあげるだけでも、事態は変わってきます。

高校の後輩Yさんもそういう人のひとりでした。ドラマのような話で、長くなりますがぜひ紹介したいと思います。

私の母校は中高一貫の女子校で、高校からの入学者もおりました。Yさんもその一人でしたが、実は中学時代から名うての「不良」で、暴力的ないじめ、陰湿ないじめ、教師への反抗と、手の付けられない生徒だったそうです。

高校に入ってからもYさんの「蛮行」は収まるどころか、ますますひどくなっていきました。担任のT先生(私の恩師でもあります)は、我慢の限界に達し、Yさんとの正面対決することにしたのです。学校では本音を聞けないと思い、彼女の家がある川崎まで行きましたが、2度とも約束をすっぽかされ、「これが最後」と、T先生は3度目の約束をしましたが、その日も2時間半待ってもYさんは現れませんでした。

T先生が失意のうちに帰ろうとしたとき、待ち合わせ場所の本屋の入り口にサッと動く人影が見えました。先生が急いで後を追うと、それはYさんだったのです。

「まだ、いたんだ!」とYさん。
「当たり前でしょ!いい加減にしなさい!」と、T先生はYさんの腕をつかんで近くの喫茶店に連れていき、話を聞くことにしました。最初は反抗的だったYさんは少しづつ先生に心を開いていき、ポツリポツリと自分の家庭のことを話し始めたそうです。

Yさんの家は表向きは土建屋でしたが、実はお父さんがやくざの組長でした。お母さんは水商売上りの人で、家事・育児は一切したことがなく、小さな雀荘を営んでいました。家事はばあやが一切を取り仕切っていました。弟が一人いましたが、あと一家の用心棒である政(まさ)という角刈りの組員が同居していました。両親はいつも出掛けていて、ほとんど家族一緒に食事することはなかったそうです。

生まれた時からとはいえ、こうした家庭環境はYさん自身にとって大変なストレスでした。会話もなく、家中にいつもピリピリした空気が流れ、母の手料理一つ食べたことのないYさんの心が、成長とともにささくれていったことは想像に難くありません。T先生の登場によって、Yさんは初めて「この人はちゃんとアタシの話を聞いてくれる!」と思ったそうです。

T先生に少しづつ心を開くにつれて、Yさんは徐々に落ち着きはじめ、いじめも少なくなっていきました。「このままいけばYさんもクラスも良くなる」と、先生が安堵し始めた頃、何とYさんのお父さんが新幹線の中で急死してしまったのです。

Yさんはその日から2週間ほど登校しませんでした。組長の突然の死で逃げ出す組員や、見たこともない借用書を出して、金品をはぎ取るようにYさん宅から奪っていく債権者が後を絶たなかったのです。辛うじて自宅とお母さんの雀荘だけが残りました。

そんな騒動が一段落したある放課後、Yさんが照れた様子でT先生のところに来ました。

「へへ。先生、笑わないで聞いて。
アタシ、4年制大学に行きたいんだ。志望は法学部。」

T先生は驚きのあまり、飲んでいたお茶がむせてしまったそうです。なぜならYさんの成績はクラスの下から2番目が「指定席」で、付属の短大への進学すら危ぶまれていたのです。

「一体どうしたの?」と、先生が訊くと、Yさんは急に真顔になってこう話しました。父親が亡くなったあと、見ず知らずの人が押しかけて、借用書などを持ち出したとき、法律に無知な母親はただおろおろするだけで、書類の真偽を確認することすらできず、金品を奪われるがままにさせてしまったというのです。自分たちが法律にもっと明るければ、こんな目に合わなくてすんだのに、と彼女は悔しくて何日も泣いていたそうです。それで、少しでも法律に明るくなって騙されない人間になりたい、というのです。

先生は、困ってしまいました。「あなたの成績では無理」と何度も言い聞かせたのですが、「やってみないと分からないじゃん」と言って聞きません。T先生はやむなく彼女に家庭教師をつけるよう母親に勧めました。そしてなんと私にこの難物の家庭教師を依頼してきたのです。彼女のこれまでの話を聞いた私は断りました。でも「人を助けると思って」と先生に言われ、最終的には引き受けることにしました。Yさんが高3の秋のことです。

今までまともに教科書も開いたことのないYさんに法学部向けの受験勉強など、どうやって教えたらよいのでしょう。とりあえず受験科目の英・国・世界史の一番薄い問題集を買ってきて、取り組んでもらうことにしました。実際に問題を解かせてみると、意外に理解が早いことが分かり、希望が見えてきました。歴史は好きらしく、問題にちなんだ歴史の話をすると、目をキラキラさせていたのが印象的でした。

試験日まで半年足らずの受験勉強でしたが、なんとYさんは日大法学部に見事合格したのです!母校では「あのYが、現役で日大法学部に!奇跡だ!」と先生方が大騒ぎだったそうです。

武道館で入学式の後、お祝いをしようと彼女と会いました。現れたYさんは、まだ幼さの残る顔に不釣り合いなほど真っ赤な口紅をし、精一杯大人へと背伸びをしていました。

外濠通りの桜を見ながら歩いているとき、
「先生」といきなりYさんが私に声をかけてきました。

「アタシ、今まで先生に勝てるものなんて何もなかったけど、
今は一つだけ勝ってるものがあるよ」

「え?何の話?」と私。

「先生の大学の名前は『東京』でしょ。
アタシの大学の名前は『日本』だからね。日本は東京より大きいよ。
アタシ、先生に勝ったね!」

すると、一緒に来ていた友人がこう言ました。
「Yさん、ごめん。私の大学は『東洋』なの」

彼女は東洋大学大学院の学生でした。Yさんは一瞬きょとんとし、
「あ、こりゃまた失礼!」と言いながら、寄り目をして舌をぺろりと出しながら、おでこをぴしゃりと叩きました。

その表情が余りにもおかしくて、私たちはお腹を抱えて笑いました。
笑いながら私は目が潤んできました。名うてのいじめっ子が一教師の熱意で更生し、一家の不幸を乗り越えて進んでいく姿に、感動しないではいられなかったのです。

Yさんとの体験は、「いじめ」の発端は強度のストレスを含め、人の心の闇にある、ということを私に教えてくれました。その闇を光に変えるのは本人の努力ですが、教師や周囲の人がそのきっかけを与えることはできます。外部の者が話を聞く受け皿になるだけで、その人の心は開いていくのです。そして心の闇が徐々に薄くなるにつれ、その人は「いじめの構造」から抜け出すことができるのです。

いじめの行為は「いじめる側」からの心の叫びにほかなりません。自分の中の危機的状況を、他人の存在をスクリーンにして映し出しているのです。スクリーンにされた方は「いじめられる側」ということになります。

もしあなたが誰かをいじめたくなったら、いじめる前に自分の心の中を覗いてみてください。誰にも知られたくない闇やコンプレックスやストレス、あるいはYさんのように家庭内の問題があるのかもしれません。でも、それを他人に投影しても何の解決にもなりません。それから目を背けずに、日記でもいいですから書き出して、いったん心の外に出してみましょう。そうして自分の中の問題を客観的に見つめる習慣をつけると、「いじめ」の構造を作らなくなります。

問題はいじめたい相手にあるのではなく、その人をいじめたいと思う自分の心にある、と気づくだけできっと事態は変わっていくことでしょう。

外堀通りの桜

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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