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株式会社バイオシルバー代表取締役 原田敬三さん

by staff on 2021/12/10, 金曜日

 

 
原田敬三さん
 
原田敬三さん
 
お名前 原田 敬三
(はらだ けいぞう)
お住まい 藤沢市在住
お仕事 株式会社バイオシルバー 代表取締役
HP www.biosilver.co.jp

 

2021年11月10日から12日まで開催された「第48回国際福祉機器展」に(東京ビックサイト青海展示棟にて開催)創立10周年を迎えた「バイオシルバー」の大きなブースがありました。
「バイオシルバー」は、センサー技術を使った「見守り介護ロボット」で介護や保育の業界から注目されている企業です。
今回の「ヨコハマこの人」は、原田社長に創業からの奮闘記を伺いました。

見守り介護ロボットと原田社長

 

生粋の「ハマッ子」とのことですが・・・

生来の海好きで今は隣の藤沢市に住んでいますが、元々は横浜市西区、松原商店街で有名な地区の下町生まれの下町育ち。先祖代々横浜で商売を営んでおり、親戚・クラスメイトも商売人か職人の家ばかり。サラリーマンという言葉に馴染みがなく、その頃はスーパーマンかウルトラマンの類と思っていました。
当時の下町ではよくありましたが「勉強する暇があるなら店を手伝え、勉強なんか何の役にも立たねぇ」・・・我が家もそんな方針でした。おかげで九九より先にお金の勘定を覚えた位です。
小学校・中学校・高校とも横浜ですが、高校からは課外活動がもっぱらで、バンドとバイクとサーフィン、そう、昭和のハマッ子男子が夢中になる三種の神器です。
旧車に拘ったバイクチームを作って、多い時で20名位いたと思います。キャンプ道具を積んで、全国色々なところに走りに行きました。
週末はバーやイベントでバンド演奏、CDも出しました。今は無きヨコハマロックの登竜門、新山下の「シェルガーデン」に17歳の時にステージに立てたのは良い思い出です。あと、政党の忘年会に呼ばれて2ステージ演って高額なギャラをもらったこともありました、あれはいったい何だったんだろ。。。

JukeboxのCD

色々やりましたが、この歳まで続いているのはサーフィンだけです。今はすっかり仕事人間です。
あと嵌ったのが、土木建築現場の日雇い労働。当時はバブルのど真ん中で高額な日当、好景気というものを実感していました。スマホもインターネットもない時代に住所を渡され、それだけを頼りに現場に辿り着く。横浜市内はほとんどすべての地域を行ったと思います。おかげで横浜市内は相当詳しくなりました。ランドマークやパシフィコ、インターコンチの現場にも入ってます。
仕事が終わると、とっぱらい(当日払い)で日当をもらい、その日に全額遊んで使ってしまうという毎日。このライフスタイルが自分にはピッタリ合いました。「♪今日の仕事は辛かったぁ、あとは焼酎を煽るだけ・・・」という唄を体感していました。

寝るのが惜しかった、寝る間を惜しんで遊んで、働いて、勉強しました。

学校卒業後、現場労働の経験も功を奏し、建設会社に営業職で就職。飛び込み営業の毎日で、「数字が全て」「プロセスは問わない、結果のみ」「一切の言い訳は許されない」という社風の中、厳しい日々でしたが非常に鍛えていただきました。ここで教わった「営業」が、今も私のDNAとなっております。
ずっと会社勤めのつもりでしたが、転機となったのは友人からの久しぶりの連絡で「起業した会社の上場が決まった」とのこと。相当ヤンチャをしていた友人だけに衝撃でした。「会社経営」ということを身近に考えるきっかけとなりました。「もしかしたら、将来経営に参加することがあるのかなぁ」という思いから、お金のことはしっかり勉強しておこう、と、会計事務所に5年間ほど勤務、そこでのクライアントのビジネスホテル運営会社に誘われて、30代半ばで初めて会社経営に参加しました。

「バイオシルバー」設立の経緯は・・・

色々あってホテルの取締役を退任、さて、今度は何をしようか、という頃に、ご縁があって、センサー技術で特許を持っている(自称)「発明家」の技術者を紹介されました。
今の当社の主力商品「aams」のプロトタイプが既にあり、乳幼児の見守りというコンセプトでしたが、自身が実家で祖父の在宅介護をした経験から、「これは介護に役立つ」と直感しました。
開発者の長男と意気投合し、2010年に創業、2011年11月11日株式会社バイオシルバーを設立。

「aams」は、当社独自のセンサー技術で心拍、呼吸、体動、離着床、睡眠の状態などを離れた場所から見守ることができる、マット型の見守り支援介護ロボットです。
体に一切触れない「非接触」「非侵襲」「非拘束」でバイタルデータが取れる点が、高齢者の見守りに非常に適しております。
必ず介護業界に役立つとの確信があったのですが、全く違う業界から来た二人だったので、何のツテもコネもなく、参入の壁は想像以上に厚かったです。
介護現場はIT化が非常に遅れていた業界で、当時は未だ「機械で高齢者を見守る等論外」という風潮・先入観が強く、なかなか受け入れられませんでした。
創業後しばらくは徹底した経費節約のために、製品を背負って、夜行バスで日本全国を回りました。
横浜からは、バスとローカル電車を乗り継いで、九州と北海道以外は全て行けるということを、この時知りました。

転機となったのは2014年です。
国策として、高齢者施設への介護ロボット導入を推進していく、という方針が出され、経済産業省が予算を組み「平成25年度補正予算の産業技術実用化開発事業(ロボット介護機器導入実証事業)」が始まりました。介護ロボット市場の幕開けです。施設が導入を希望する場合、国から購入費が全額補助金で充当されるという手厚い施策でした。
aamsを申請したところ、介護ロボットとして認定され、いよいよ打って出るタイミングとなりました。
当時メンバーは6名しかいませんでしたが、またとないチャンスなので、とことんやろう!!と決め、他社メーカーは限定30台とかでしたが、当社は「来た問い合わせは全部受ける」と決め、シャカリキに奔走しました。補助事業の半年間ほとんど休みなく、昼か夜かも判らない状況でした。終わってみると、導入実績全国91施設 1,222台で、全メーカー中1位!!の実績を頂き、ようやく当社の名前が少しづつですが知られるようになりました。

創業以来一貫して展示会のブース設営は友人達と手作り

またこの頃、懇意にしていただいた先生と長崎県での日本遠隔医療学会に論文を発表。
発表が済んだので、稲佐山にロープウェイを乗りに行ってしまったところ、何と優秀論文賞を受賞!!しており、授賞式に不在という失態をやらかしました。後日律義に賞状が贈られてきましたが、授賞取り消しにならずに良かったです。

優秀論文賞

国策の効果もあり、介護ロボット市場は、黎明期から成長期に一気に突入、当社もせっかく社名・製品名が認知され始めたので、一気に事業拡大しようと、手っ取り早く老舗の見守り機器のメーカーをM&A、全国北海道から九州までの営業所を展開しました。

この展示会の期間中に設立10周年を迎え、「働き方改革・見守り方改革」をキーワードに、これからもう一層見守りの一役を担えるよう、製品開発・普及に邁進して参ります。
10年間ずっと綱渡りでしたが、何とかやってこれたのは、やはりご縁と運によるものが多かったと思います。まさしく「おかげ様」ですね。

第48回国際福祉機器展

本社がある新横浜のビルのオーナーとのご縁も大きな一つです。池袋で創業して間もない頃、ビルの法人に営業にいったところ、その場に居合わせたビルオーナーが、製品の将来性を感じ、興味を持っていただき、初見でしたがそのまま食事に誘われ、真昼間にボトルを何本も空けました。「遠慮のない面白いやつだな、よかったら出世払いでいいから、うちのビルに入りなよ」とのありがたい言葉をいただき、そのまま指導・支援をいただくことになり、今に至っています。
どれかひとつのご縁・タイミングが欠けても、全く違う展開になっていたと思います。

原田さんにとって横浜とは・・・

きらびやかな観光地とちょっとヤバイ路地裏が隣接する緊張感、
古きヨコハマと日々進化する観光地ヨコハマが醸し出すバランスが魅力です。
遊び場は主に実家のある西区から1国超えて、RED HOTな京急線・大岡川を挟んだ東海道線と根岸線が囲むDEEP横浜地区。関内、伊勢崎、大通公園、元町、中華街、山下公園、麦田のタイムトンネル抜けて本牧、根岸。。。
それと何と言っても、横浜は年配の大人達が実にかっこいい。遊び方・テキーラの飲み方、色々なことを教わりました。先輩達に教わった「男の40歳は若造、50歳で半人前、60歳からが青春」という言葉は、今も私の座右の銘です。横浜には歳をとることに抵抗がなくなる不思議な力があります。それと、江戸っ子は「3代続いて初めて江戸っ子」とよく言われますが、ハマッ子は「3日住んだらハマッ子」。そんなWelcomeなところも横浜の良さだと思います。

私にとって横浜とは・・・

<編集後記>

私が訪問したとき、「バイオシルバー」のブースは、見学者であふれていました。その中で原田さんはスタッフと同じユニフォームを着て率先して商品説明をされていました。
海が大好きと仰る原田さんはチャキチャキのハマッ子です。エネルギッシュで、人を惹きつけるエネルギーがある方でした。介護現場には自社製品が必ず必要とされるときが来ると確信して10年間頑張ってこられた原田さんの経営手腕には感服です。これからの10年は、もっと介護ロボットの需要が高まるでしょう。今後の発展が楽しみです。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

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