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地球環境に優しく、健康に役立つ「魚食」を横浜から世界に広めていきたい。管理栄養士 青山寿江さん

by staff on 2022/12/10, 土曜日

 

青山寿江さん
 
青山寿江さん
 
お名前 青山 寿江(あおやま ひさえ)
お生まれ 50代
お住まい 横浜市神奈川区生まれ
横浜市中区在住
お仕事 管理栄養士
横浜市非公認魚食アンバサダー
中医薬膳指導員
趣味 バイクツーリング,SUP,トレッキング,サンバ

 

青山さんの元気の素は・・

私の元気は「母からのDNA」大切な財産ですね。
母はサービス精神の塊の人で、離婚後の40代で手料理とおもてなしが看板のスナックを大船に開業しました。娘たち(私と妹)と一緒にお店を切り盛りして、「大船の三姉妹」として繁盛していましたね。
母のバイタリティーに溢れてパワフルなところ、そして明るいところ、よく笑い人を楽しませるところなど、私はそっくりそのまま引き継いでいると思います。私はこれまで「笑顔で美味しく食べることが明日の活力と幸せにつながる」をモットーに生きてきました。

親子です

どんな少女時代でしたか・・・

神奈川区にある青木小学校に通っていました。活発で体を動かすことが大好きな子どもで、学校が終わってからも自転車を乗り回していましたね。通信簿には「落ち着きがありません」と書かれていました。
学芸会のお芝居にも積極的に参加して、人前でパフォーマンスするのが好きで歌って踊っていました。

神奈川区の松本中学校ではバスケットボール部に入りました。当時は県大会に出るくらいの強豪校で練習は厳しかったですね。私はベンチで応援する側として大きな声を出していましたが、そのお陰で体育祭での応援団の時には大きな声が役立ちました。男の子っぽい性格だったので男女関係なくボーダレスな付き合いをしていました。

神奈川県立霧が丘高等学校に進学してからもバスケットボールを続けました。県大会でベスト8になるくらいの学校でしたので練習がとても厳しく、毎回走り込みをしました。あの頃はきつかった練習でしたが、今思うとあの練習のお陰で今の基礎体力がついたと思います。部活以外では文化祭でガールズバンドを結成しヴォーカルとして大勢の前で歌ったたり、高3で始めた飲食店でのアルバイトでは先輩たちや大人の方々に可愛がっていただくなど充実していました。
私の自慢は3年間毎日、自分でお弁当を作っていたことです。クラスメートに自分で作ったお菓子やお弁当の差し入れをしていました。料理が得意なので食事会を主催しておもてなしすることも楽しかったですね。
高校時代から食に関わることに興味があったので将来は栄養士になりたいと思っていましたが・・。家庭の事情もあり、高校卒業後は金融機関に就職しました。

栄養士になるまでは紆余曲折があったとか・・

金融機関では真面目に働いていましたよ。ただ休日は思いっきり体を動かしていました。在職中に陸・海・空での遊びを制覇しようと資格を取りました。陸は中型バイク、海は小型船舶、空はパラグライダーという具合です。今では陸の中型バイクがハーレーに、海の小型船舶がSUPに、空では翼が生えてサンバという趣味に変わりました。

ハーレーと青山さん          海も大好き

ご縁があり22歳で結婚して、男の子もできましたが、数年後に離婚をしました。
離婚後は、生命会社の保険外交員として働きながら、シングルマザーとして息子を育てました。

ピンチはチャンスというもので、人間崖っぷちになると底力を発揮するものだと痛感したのが29歳の時です。
一念発起し、初志貫徹で栄養士になろうと思い独学で受験勉強し、めでたく合格。神奈川県立栄養短期大学に入学しました。30歳のシングルマザーが短大生になるのは短期大学でも初めてのケースで驚かれました。
働いて貯めたお金と学校以外の時間のアルバイトと奨学金でなんとか2年間を乗り切りました。睡眠時間を削って勉強していましたが、栄養士になるんだという気持ちが強かったです。大学ではゼミの先生との出会いがあり、もっと栄養学を勉強して管理栄養士になりたいと思い、東京農業大学にある管理栄養士専攻に編入学試験を受けると狭き門ではありましたが合格したので東京農業大学の世田谷キャンパスに2年通学しました。
当時住んでいた横浜市南区弘明寺から東京都世田谷区の経堂にある大学まで、バイクで片道90分を通っていましたがツーリングだと思っていたので雨の日も風の日も楽しいバイク通学したよ。
東京農業大学は実学主義で生きる力を育む校風なのでみんなノビノビとし、国籍年齢を問わずいろいろな方々と交流することができる素敵なところでした。
大学構内の学食はどこも美味しいメニューがたくさんあって、何を選ぶか毎回楽しかったですね。
生活を安定させて収入を確保するために、どうしても管理栄養士になりたかった。国家試験には一発で無事合格しました。34歳のときです。

管理栄養士としては・・・

大学卒業後は、高級有料老人ホームに就職しました。そこで約10年間働きました。
ここでは献立作り以外にもホスピタリティやおもてなしを積極的に勉強しましたね。富裕層のお客様を食環境でも喜んで頂きたいという気持ちで日本の和文化や室礼(しつらい)の勉強もしました。その時の学びや経験がその数年後に講師になった時、担当した食文化概論の授業で役に立ちました。薬膳を学んだり、予病未病を勉強して、食べることで人を健康に、元気づけたいという思いで様々な疾病の方向けの食事を作ったり、介護の度合いに応じた食事を提案したり、多くの方々の人生に向き合い、関わることができました。

そこを卒業してからの10年間は、横浜調理師専門学校の非常勤講師を務めたり、薬局の薬剤師さん方と連携して健康セミナーを開催し、健康支援や栄養指導を継続的に行ってきました。
歯科クリニックに就職した時には歯科医師や歯科衛生士と一緒に管理栄養士として訪問歯科の診療をサポートしたり、咀嚼や嚥下障害の方や低栄養の患者様のための食事指導をした経験もあります。
お一人お一人の体調や機能レベル、生活状況、生活習慣に応じての栄養相談や健康づくりに役立つレシピも数多く作ってきました。

健康支援動画の撮影風景

魚食に注目されているとか・・・

現在行っているWell-being事業で大切にしている5つのK「5K」があります。
健康(KENKOU)教育(KYOUIKU)環境(KANKYO)感動(KANDO)幸福(KOUFUKU)です。
「5K」に関することで地域社会のより良い循環を実現し、結果として関わる方々の経済(KEIZAI)が豊かになることを目指しています。

その中でも特に「魚食」に注目しています。
今「魚」離れが深刻になっています。「魚」はコンディションを整える働きがあり、機能改善に必要な栄養素が豊富で、子供からシニアの方まで健康に欠かせない貴重な食材です。
しかし、「魚」は調理するのが面倒、魚臭いのが嫌、値段が高いということで敬遠されています。20年の間に魚貝類の消費量は6割程度になっています。商店街からも魚屋さんがなくなっていますよね。
「魚食」を広める一環として、日本大通りにあるシェアキッチンで横浜中央卸売市場の仲卸であるムラマツさんのご協力を得て、平塚の追駈(おっかけ)サバを仕入れ、地産地消の健康ランチを提供してきました。
転機のきっかけは昨年、横浜中央卸売市場の水産卸の坪倉さんにお会いする機会があり、魚食の現実や切実な問題を知ったことで「魚」愛がますます強くなりました。県内や市内で獲れた「魚」を皆さんに食べていただきたい、と、調理方法や食べ方をわかりやすくビジュアルにして伝えていく活動をしています。

サバランチ

2022年11月からは、「横浜市非公認魚食推進アンバサダー」と自ら名乗って、「魚食」の普及を呼びかけています。「アンバサダー」として不老長寿を意味する人魚に変身しています。11月12.13日に行われた「運河チャレンジ」にもこの格好で登場して、「魚食」を積極的に訴えるとお陰様で大好評でした。
これからは横浜中央卸売市場でも「魚食」推進の活動を繰り広げていく予定です。「魚食」を入り口にして環境や食育を含めた教育分野にも広げていきたいです。受験生向けに、頭が良くなる(と簡単には言えませんが・・)簡単にできる魚料理を準備中です。「魚食」を入口にして環境と教育に取り組んでいきたい、そして「魚食」で感動と幸福をもたらし、横浜から世界に広めたいと考えています。

ユニフォーム

青山さんにとっての横浜とは・・・

私にとって「横浜」は生まれて育った街なので、まさに「故郷」ですが、魅力的な街だと思いますよ。
横浜のヤンチャな感じが好きですね。東京のように洗練されていないけれど、粋でお洒落なところがある。
「ダサ恰好いい」ところが大好きです。私自身も「ヤンチャでダサ格好いい」を貫いていきたいです。
外国との窓口になった街ですから、エキゾチックな異文化交流など初めてもたくさんありますよね。パン・ビール・アイスクリーム、牛鍋などハイカラであった食文化は今も私たちを楽しませている初めてが横浜にはたくさんあります。
元町・中華街と寿町が隣接しているという、ちょっと不思議でエキサイティングなところも気に入っています。
古き良き時代と新しい時代が混ざり合う「エキゾチック」で「エキサイティング」な街・・・それが私の「ヨコハマ」です。

私にとっての横浜は、
「エキゾチック de エキサイティング」です

 

<取材を終えて>

青山さんは「元気印」そのものです。若々しくていつでも笑顔でいらっしゃいます。その秘訣はお母さんにあったのですね。美味しいものを食べることが明日への活力につながるのよ。と青山さんは仰います。青山さんの手にかかると、あっという間に美味しいものができ上がります。今度はそのレシピも公開してほしいな。横浜から「魚食」を広めたいですね。青山さんの肩書から「非公認」がとれる日が来ることを望んでいます。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

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