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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第27回 第5章 80年代 3

by staff on 2014/9/10, 水曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

1984年~1985年

70年代とは明らかにレコード購買層は変化し、それに伴いメッセージや個々の世界の表現などは形を変えていきました。

かつてロックやフォークで社会的メッセージを発し安保や学生運動で活動していた世代の子供たちが主な購買層になって行き、この時代の社会を反映した家庭内暴力や教育問題、が新しい世代のアーティストのメッセージに取り入れられ、それを又新しい世代が指示するという形になっていったように思われます。

逆に昭和30年代生まれの世代はレコード離れが進んでいき、心の拠り所となる音楽を探すのに若干苦労するようになります。

海外ではいよいよMTVが主流になりヒット曲の殆どがビデオとリンクする形で作られていきました。日本でもそれらは至るところで目にするようになりその曲を聞くと映像が浮かんで来るようになりました。発端になったのはマイケルのスリラーで、この現象にハリウッドも注目しMTVとのコラボレーションを利用するようになりゴーストバスターやフットルースなど相互効果でヒットにつなげていくのがこの頃から始まりました。

1984年

歌謡曲とニューミュージックの垣根が低くなりこの年活躍したチェッカーズ、アルフィーなどは楽曲もサウンドも歌謡曲に近くなり、逆にこの年、大ヒットを飛ばしている中森明菜、松田聖子の楽曲はニューミュージックの人たちが手がける様になり、挙句レコーディングを担当するミュージシャンを見ると同じような人たちが演奏しているので、ますます個性がなくなり垣根がなくなって行ったと言えるでしょう。この年は70年代から下積みで苦労してきた安全地帯、アルフィーがブレイクした年でした。陽水のバックバンドをやっていた安全地帯、私もたまたまエアチェックした陽水のライブ音源でバックに素晴らしさ、コーラス、特に玉置浩二の声の見事さに注目していて、売れた時やっぱり来たかという感じでした。後特筆すべきは8月に日比谷の野音で行われたアトミックカフェ・フェスティバルで、真っ向から反核をテーマに浜田省吾などが出演しましたが、ここで尾崎豊はステージ上やぐらの上から落ち足を骨折したまま最後まで歌いきった事は当時話題になりました。

1985年

84年同様大きな動きは感じさせませんでしたが、女子の台頭が少しありました。前年度あたりからCMなどでも話題をさらった戸川純は音楽でも個性を発揮、レベッカ、中村あゆみなど個性派が登場しています。グループでは爆風スランプなど、ブルーハーツの登場は新しい世代のバンドが出たなと感じさせました。

前年度の終わりにイギリスのアーティストたちによって行われたアフリカ飢餓救済のイベント、ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマスを受けてこの年はアメリカのアーティストたちによるエイドイベント、USA・フォー・アフリカ(ウィアーザワールド)が行われています。

1984年のヒット作

マッカートニー&マイケル「セイセイセイ」、ケニーロギンス「フットルース」、Bスプリングスティーン「ボーンインザUSA」、チェッカーズ「涙のリクエスト」
映画「愛と追憶の日々」「お葬式」
その他「どんとぽちぃ」「エリマキトカゲ」

1985年のヒット作

USAフォーアフリカ「ウィアーザワールド」、レイパーカーJr「ゴーストバスターズ」、ワム「ケアレスウィスパー」、マドンナ「ライカバージン」、小林明子「恋に落ちて」、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」
映画「ビバリーフルズコップ」「パープルレイン」「グーニーズ」
その他「金妻」「夕やけニャンニャン」「阪神優勝」

 

横浜、街と風(社会人編) 13(28)

ある日突然

深夜いつものように上大岡の店を終え、ギターを抱えてABABに向かうとお店のシャッターが閉まったままウエートレスの女の子が店の前をウロウロしています。どうしたの? と聞くと店が開いていないし社長も連絡が取れないという「しかも今日はお給料日ですよ!」それを聞いて悪い予感が全身を走りました。それ以降その店が開くことはありませんでした、私のお給料もそのまま支払われることもなく社長Sは見事に夜逃げ、二度と会うことはありませんでした。その時保証のないこの世界で生きていくことの厳しさを知りました。

バンドに加入

上大岡プロビデンスの仕事もこの頃には定着していて少しはお給料も上がりお店からも大事にされていました。ある時知り合いの紹介であるバンドでボーカルを探しているという情報、弾き語りにマンネリしていたこともありましたがバンドサウンドはやはり魅力的でそこに入りたいと思うようになり、プロビデンスをやめる決意をしました。

バンドは5人編成。元フォーナインエースというGSにいたギターのカーボーちゃんと呼ばれる人がバンマスでした。(フォーナインエースはジョー山中さんがデビューしたバンドです)久しぶりのバンドサウンドで弾き語りでは歌えないディスコナンバーやロックっぽい曲ができるのが嬉しかったのですが仕事はなかなかハードで、月極契約でディスコやダンスクラブのような店から店の過酷な演奏、しかも店が休みの日にはよその店に出張で出演。休みは1日かあって2日。一応ディスコバンドということでしたが店によっては歌謡曲をやらされる時もありました。

オーディション

この当時は100人から200人くらい入る大きいキャパシティのキャバレー、ディスコ、ダンスホール、ナイトクラブ、といったお店が沢山あって(今では信じられない話ですが)そういうところではお客さんはよく踊りました。まだあまり進歩していない音響ではその広さに対応できずがバンドが必要とされたのです、景気のいいところでは2バンド入れているところもありました。大体1ヶ月か2ヶ月の契約ですが気にいられると半年、1年と延長されます。そしてそこに入るのにはオーディションがあるのです。夜営業しているので昼の1時とか2時に集合をかけられ現地に行くと3つぐらいのバンドが待機していて、経営者や店長クラスの何人かが集まると順番に3曲くらいずつ演奏させられます。

当時のバンドは大体揃いの衣装を持っていてちゃんとそれに着替えます、髪は殆ど長髪、ラッパズボンの下は10センチから15センチのヒール。編成はドラム、ベース、ギターにキーボードそれにボーカルの5人編成が一番多かったように思います、

一番多い時は東京のディスコで約8バンド位来てた時もあって、ソウルバンドやらロック系なかにはコミックバンドも!店も沢山ありましたがやりたい方も沢山いたのでしょう、オーディションは戦争でした。順番待つ間ほかのバンドを聞いているのですが闘志がふつふつと湧いてきます、うちのバンドは何回か落ちましたが3回に1回くらいは通りました、ある日あるバンドのボーカルがめちゃくちゃ黒っぽくてカッコイイ、こりゃかなわんと思っていたら後にキン肉マンやアニメソングの世界で活躍する串田アキラさんでした(ほんとにライオンだ~の人です)

ホストクラブ

ある時福富町のホストクラブに受かり入りました。今ではボーイズバーが殆どですが、あの頃のホストクラブはハコもでかくてバンドは2バンドが交代でひっきりなしに演奏し片方が歌謡コーラス、片方がディスコ系、あるお店では営業は7時位から朝6時までで12時くらいまで営業していました。大体正面にステージ、その前は板張りのダンスフロア側面は鏡でダンスがチェックできる様になっていて、その周りを囲むように豪華な客席が広がり誕生には華奢なシャンデリアや照明がきらびやかに輝いていました。早い時間は殆ど客がいないのでホストが踊りの練習をしています。なにしろBGMがないので1時間交代でバンドがひっきりなし演奏、我々はディスコバンドでしたがホストに付き合って、やれワルツだタンゴだジルバだとやらされました、当時のホストはダンズが踊れることが必須条件だったのです、そして12時を過ぎるとお店は混雑してきて有閑マダム(今で言うセレブ)やら仕事帰りのホステスなどで朝まで一杯になります。さすがに仕事がキツくホストクラブはどこも長くは続きませんでしたね。

(*注 30年以上も前の話なので薄れている記憶を頼りに書いています。筆者の思い違い等ご容赦ください。)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL DATAMAP

HEART&SOUL
〒231-0014 横浜市中区真砂町3-33 CERTE11階
営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
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地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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