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横浜スケッチ(第10回) ロス在住47年のNさんの思い出から

by staff on 2016/2/10, 水曜日

ペンネーム 成見 淳

先月は高校生の時にアメリカに留学され、帰国して日米友好・国際親善に活躍されているYさんにお話を伺いました。今月号は大学卒業式を待たずアメリカに渡り、かれこれ47年間を彼の地に根を生やしている鶴見高校の同期生のNさんに登場いただきました。

Nさんに私が初めて会ったのは今から4年前の2012年4月に彼が一時帰国した時でした。クラスも違うし、それまでは顔も名前も全く知りませんでした。多分お互いに目立つ存在ではなかったからでしょう。その翌年にお花見会に来てくれて、私の思い付きで、「せっかくロサンゼルスから鶴見のお花見会に来てくれたのだから、来年はロスに行って花見をしよう。」と提案し、賛同してくれた女性3人と私でNさんを訪ね、5人でグランドキャニオン、アンテロープ・キャニオン、ロサンゼルスなどを車で回りました。その時の様子を「ヒロ君との旅」と題して私のホームページに載せています。
さて、どうして単身アメリカに渡ったのか、どうやって50年近くを過ごしたのか、常々Nさんに伺ってみたかったのですが、それは別の機会(多分次回の旅になりそうです。)に伺うとして、今回は横浜の思い出の地を教えて欲しい旨依頼したところ、早速年明け早々に届きました。1969年に単身渡米する前の横浜の思い出がぎっしり詰まった5400字もの長文です。
「山下公園」「野毛山公園と動物園」「横浜開港100年」「姉妹都市サンディゴの友好の鐘」「伊勢佐木町」「浅野総一郎」「浅野ドックと南極観測船宗谷」「大桟橋」「氷川丸」「三ッ池公園」「英会話学校で知り合ったYさん」「沖中士」「鶴見川で発見した広重の碑」「もう一つの外人墓地」「横浜散歩:横浜正金銀行、英国領事館(彼はヨコハマNOWの愛読者で、新年号の横浜スケッチに出て来た開港資料館中庭の「たますくの木」にも触れていました。当時はこの木の事は全く知らなかったそうです。)、Hotel New Grand、」、と項目別にそれぞれの思い出が詰まっていて、当然ながら私の記憶ともかなりの部分で重なりますし、共通のクラスメートでNさんと私を結びつけたO君の話も出てきて一緒にタイムスリップしたような感慨を覚えました。

ちょっと寄り道をして続けると、O君は私が小学校の時からずっと一緒で、良く野球をして遊びました。高校を卒業して進学せずに、タクシーの運転手などをしてお金を貯め、単身シベリア鉄道経由でヨーロッパへ渡り、アメリカでN君と一緒にアルバイトをしながら暮らしていたこともありました。そして日本に戻り大学に入りなおしたという、当時としては型破りの男で、ナイスガイです。
O君のことが出てきましたので、併せて私のペンネーム「成見」について説明します。嬉しいことに最近その由来を聞かれることが増えましたので。
私は2歳になる少し前に成見家から養子縁組により横浜に住むことになり、それをペンネームとしました。旧姓でもあります。
高校生3年頃から実の息子でないことはうすうす気づいてはいましたが、養母から正式に聞いたのは私が大学4年の、就職が決まった夏休みでした。それなのに旧友のO君は小学校の時から知っていて、親に固く口止めされていたということをつい数年前に伺いました。それまで良く黙っていてくれたと感謝しています。

本題からずいぶん外れましたので、Nさんの横浜の思い出に戻します。
原文が長文かつテーマごとに分かれているので、かなり大胆に省略・選別したり、少し補足したりしました。

「1969年に渡米し今年で47年になります。僅かに記憶に残っている私個人の取り留めもない思い出話ししかありませんのでご容赦下さい。

  • 山下公園:
    中学か高校に入る頃ですか氷川丸が山下公園に係留され何度か見学に行きました。あれから半世紀以上、長年の維持努力に敬意。氷川丸は1930年に就航、戦争を生き延びて1960年に現役引退したそうで戦争中をはさんで戦前戦後外国航路で活躍した話を聞いて自分も何時か海外に行ってみたい思いがさらに高まってきました。
    2年ほど前に訪日したおり山下公園沿いを通過する時に母がこの辺りには若いころ(戦前の話)よくデートで来たなどと申していました。その時私の中で眠っていた記憶が蘇ったのでしょう、山下公園が金網の塀に囲まれていて中には進駐軍の家族の住宅があり外国人の姿がありました。どうやら私が小学校に上る前の実際の光景であったそうです。日本が占領されていた時代のかすかな記憶です。
  • 大桟橋:
    今の近代的な大桟橋は遠目にしか見た事が無いのですが、美しい近代的なビルに建て替わっていますね。1969年以前の学生時代に外国航路の大型船を眺めに行きました。いつか自分も船に乗って海外に行ってみたい思いを秘めながら大きな船を眺めていました。
    ある時、進学や進路の事で悩んで気持ちが落ち込んで眠れない深夜に鶴見の自宅から歩き始めいつの間にか大桟橋にたどり着き桟橋のベンチで夜を明かしたことがありました。
    大学3年の頃でしたが高校同学年のO君が横浜港から海外に発ちました。あの大桟橋からO君を見送ったのですが、彼はシベリア鉄道を乗り継いでヨーロッパに向かい、その後アメリカへと渡り、一年数カ月後に私と彼はロサンゼルスで再会するなんて、その時は夢にも思いませんでした。自分には持ち合わせてない彼の勇ましい行動力は実に羨ましくありました。
  • 英会話学校:
    そんな頃、以前O君が通っていた関内駅前の小さな英会話学校に通うようになりました。もちろん英会話を学ぶのが第一の目的でした。第二の目的はO君から聞いていた特別講師がいることでした。アメリカやカナダからいらした可愛いミニスカートの講師が10人も入ればぎゅうぎゅうパンパンの小さな教室でFとか、RとLの違いとか、THの発音を顔や口を30センチ、い? や15センチまで惜しげも無く近づけてきて熱心に教えて下さるのでした。コレでは昼間の大学のクラスはスキップする事はあっても夜の英会話クラスは欠かさず出席する事となりその実力は短期間で驚くべき進歩を遂げました。この時の経験はその後渡米した時に直ぐに役に立つこととなるのでした。
  • 英会話学校で知り合ったYさん:
    この英会話学校でYさんという大型トラックの運ちゃんと知り合いました。彼はアメリカに行くための費用を昼間トラックの運転で稼ぎ夜は熱心に英会話の勉強をしていました。先生の一人、アメリカ人で校長先生的な役割をしていた先生がいたのですが、Yさんと私はその先生の家に日曜日などに度々遊びに行くようになり、学校では教われない生の会話を学ぶことができました。間もなくしてYさんはアメリカに行ってしまいました。私が大学4年の就職活動の頃に米国のYさんからお誘いがありましたが、私は就職して自分で資金を貯めてから行くと返事していたのですがYさんから分厚い封筒が届きました。航空運賃はもちろんその他の支度金を含めても有り余るほどの大金でした。迷うことなく就職予定先に辞退の連絡をして渡航手続きを始めました。
  • 横浜散歩:
    馬車道、日本大通り、海岸通り、大桟橋、山下公園、中華街、元町、山手に上がって港の見える丘公園、外人墓地等をぶらぶら歩き、気に入った景色や建物を写真に収め感傷にひたる歴史的建造物がここかしこにあったのですが今では思い出せませんね。
    以下覚えている所だと・・・。
  • 横浜正金銀行:
    立派な建物だったと思います。
  • 英国領事館:
    1969年以前はまだ
    営業していたはずだと思います。当時、横浜NOW新年号に掲載されたタマクスの木の存在なんて知る由もありませんでした。
  • New Grand Hotel:
    古くなると維持するだけでも大変な経費が必要でしょうがダグラス マッカーサーが宿泊した部屋にも泊まれるそうですね。」

さて、数々あるNさんの思い出の場所の中から次の絵をピックアップしました。当然ながら、その頃私はスケッチを始めていなかったので、当時の姿ではなく現在のものとなります。

大桟橋から見た、みなとみらい Hotel New Grand

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 - 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に60年以上在住。いわゆる浜ッ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い) 。忘れやすい。(最近特に)
趣味 絵画(スケッチ、油彩、水彩)ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
フォルクローレ(アンデス音楽、ケーナ、サンポーニャ演奏・・・だったが、今はたまに聴くだけ。
年1回(と決めているわけではないが)の海外放浪の旅。
(心の洗濯:すぐ心が汚れやすいので。)
ゴルフ(1979年にホールインワンをしたことも。神奈川県津久井湖ゴルフコース、最近は月2~3回、ハンディキャップは全盛期13だったが、この頃は何とか10代後半。)
退職後は散歩や庭を眺めたり芝生の雑草を取ったり。
2015年作曲を始める。

 

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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