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竹琴に魅せられたかぐや姫。トルン奏者 小栗久美子さん

by staff on 2011/1/10, 月曜日

ベトナム民族楽器トルン(竹琴)をご存じの方はまだ少ないと思います。竹を棒で叩いて音を出すという素朴な楽器から小栗久美子さんは、風のささやき、水の流れる音、木の葉のそよぐ音、恋人たちの吐息、母の祈りまでも音で表現されます。「ヨコハマこの人」第9回目は、トルン(竹琴)奏者&マリンバ奏者の小栗久美子さんのご自宅でお話をうかがいました。

ベトナムの民族楽器トルン奏者 小栗久美子さん  
名前 小栗久美子(おぐりくみこ)さん
出身地 横浜市
家族構成 父、兄、愛犬
(三人兄弟の末っ娘)
現在の住居 横浜市港北区
趣味/
好きなこと
絵を描いたりモノを作ったりして遊ぶこと、絵画鑑賞、お散歩しながら植物鑑賞すること、空や雲を眺めること
自分の性格 好奇心が強い、マイペース、
優柔不断
HP http://www.ogmusic.info

 

マイ・ルーツ

 私の母は国立音楽大学声楽科出身で音楽の先生をしていました。私が生まれたときには自宅で歌やピアノを教えていましたので、小さい頃から母の歌声や色々な音楽を聴きながら育ちました。兄二人も母にピアノを習っていましたし、母に音楽を習うのはごく自然な流れで3歳頃からピアノを習い始めました。習い事といっても自宅内でのことでしたので、兄たちが外へ習い事しに出て行くのが羨ましくて、お友達のお母さんがやっている絵画教室にも通わせてもらいました。

 小さいときから絵を描いたり、工作したりするのは好きでした。水泳教室にも通っていました。毎年スキーにも連れて行ってもらい、運動するのは好きなほうでした。兄2人の末っ子で、兄と遊んでいましたから男の子のように行動的になりました。好奇心が強くて、何にでも興味をもつけれど、”広く浅く”という感じで、わりと飽きっぽい性格だったようにも思います。

 

マリンバとの出会い

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 マリンバとの出会いは小学5年生の頃です。友達が習っていて、よく発表会を見に行っていました。ある時その友達にピアノの伴奏を頼まれて一緒に演奏したところ、マリンバ北星会の北原千鳥先生にお声をかけて頂き、習ってみることにしました。後から聞いた話では、母も習わせてみたいと思っていたようで、北原先生と結託していたようです。(笑)

 北原先生が毎年中国で交流コンサートを開催されていて、私も参加させて頂くことになりました。中学生になる前の春休みのことです。まだ習い始めて3ヶ月ほどでしたが、ソロでの初舞台となりました。
 その訪中コンサートで、たくさんのカルチャーショックをうけた記憶は今でも鮮明に残っています。自分の生活環境がいかに恵まれているのかということを、はじめて客観的に知ることができた瞬間でした。その頃の中国はまだマリンバも満足な楽器がなく、与えられた環境でみんな一生懸命練習している様子に心をうたれました。

 まだ英語も中国語も分からずに参加した私は、中国の人たちとのアンサンブルを通じて、音楽は言葉の壁を越えたコミュニケーションを可能にするのだということを肌で感じることができました。リハーサルに与えられる短い時間と言葉に頼れない環境の中で、お互いの呼吸を必死に読みとって音を合わせることは初めての経験でした。その演奏がうまく行ったときの喜び・・全てを超えて「感動」を共有できた瞬間でした。

 毎年その訪中コンサートに参加させて頂き、中国人の友達もできました。もっとコミュニケーションを取りたいという思いが、中学校での英語の授業にやる気を与えてくれました。英語で文通もできるようになり、語学への興味が日増しに強くなりました。英語教育に力をいれていた県立高校への進学を決めたことも、これらの出来事が大きく影響しています。

 マリンバをずっと続けてこられたのは、国内外のマリンバ仲間の存在があったからだと思います。高価な楽器だからと両親におねだりできずにいたマリンバを、ある日突然、サプライズでプレゼントしてくれた祖父との思い出も大きな支えとなりました。

 その頃まだ中学生だった私は「自分はお金も無いし、どうお返しをしたらいいかしら」と祖父に尋ねました。祖父は「マリンバをずっと大切に弾いてくれたらそれでいいよ」と言ってくれました。私が「そんなの簡単過ぎるよ、もっとほかにない?」と問うと、「それなら毎月おじいちゃんにお手紙を書いてちょうだい」と言われ、約束をしました。
 始めのうちは絵や文章など色々なことを書いて送っていました。しかし、数年の間に徐々に回数が減り、気付かぬうちにその約束を守らなくなってしまっていました。

 祖父が亡くなったとき、その約束を思い出し、罪悪感と大きな後悔の念に苛まれました。涙が止まりませんでした。心の中で何度も謝りました。そこで祖父とあらためて約束をしました。「おじいちゃんがプレゼントしてくれたマリンバ、一生大切に弾いていくからね」と・・・
 祖父の墓地は私の家のすぐそばにあります。私の演奏が大好きだった祖母も3年前に他界し、同じお墓に眠っています。孫の中で唯一の女の子だった私、祖父母にはとても可愛がってもらいました。お参りして演奏活動の報告をするたびに、鼓舞激励してもらっています。

 

東京外国語大学でベトナム語を専攻~トルンとの出会い

 マリンバの訪中コンサートへの参加がきっかけで語学や外国の文化などに関心を持つようになり、高校入学後は東京外国語大学への進学が目標になりました。色々勉強していくうちに東南アジアの文化に興味を持つようになり、ベトナムに精通する知人のお話をきいてベトナム語の専攻を決めました。 当時、ベトナムの音楽や楽器などに関する情報が少なかったことも決め手となりました。まだ知られていないことを開拓してみたいという思いがありました。

 入学後、偶然ベトナム語科の先生の研究室でお土産用のミニチュアトルンの置物を見つけました。並んだ竹と二本の撥(ばち)、マリンバと兄弟のような楽器だったため、強く惹かれ「本物はどんな音がするのだろう?」 これが私とトルンの運命的な出会いになりました。

 
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曲名: 泉のトルン(ベトナム音楽)
作曲: ニャット・ライ
説明: 動物から農作物を守るため、竹筒を打ち鳴らしていたことがトルンの始まりだといわれている。竹が鳴る水車のような装置が置かれた時代もあり、流れる水音と竹の音色を表現した作品。まるで水の精がトルンを奏でているかのように聴こえる。
〔演奏:小栗久美子〕

 大学一年生の夏休み、同期の友達9人と初めてベトナム縦断旅行をしました。そのときにホーチミン市の街角で大きなサイズのトルンをみつけ、試奏してみると、なんともいえない澄んだ音色が店内に響きわたりました。その音色に心を奪われた私は、ベトナムに習いに来ようと決めました。(そのときにみたトルンは、それでも小さなほうだったと後から分かりました。)

 二年生を終えた春休み、トルンを学ぶためにハノイヘ渡り3週間の短期留学をしました。ハノイ国立音楽院(現、ベトナム国家音楽学院)のトゥイ先生を紹介して頂き、そこで初めて今演奏しているサイズのトルンを目にしました。演奏する撥(ばち)が特殊なこともそこで初めて知りました。
 先生は私が日本人だということで「荒城の月」を弾いて下さいました。見た目からは想像もつかない豊かなハーモニーと、軽やかで心地よいトレモロ(音を持続させる奏法。震音)に鳥肌が立ち、なんて魅力的な楽器なのだろうと強く心惹かれました。

 楽器も日本へ持ち帰り、ベトナムの曲に加え日本の曲やその他、色々と自分なりに弾くようになりました。珍しい楽器ということもあり、人前で演奏させて頂く機会が少しずつ増えたため、もっときちんと勉強して、現地のトルン奏者に引けをとらないプレイヤーになりたいと思うようになりました。同時にこの楽器の理解を更に深めたいと思い、トルンに関する研究をするために大学院への進学を決めました。

 

トルンに魅せられて

 トルンはベトナム中部高原タイグエンで生まれた竹の打楽器です。元は数本の竹筒が縄梯子状に吊るされた小さな楽器で、タイグエンに住む少数民族の間でのみ演奏されていたものでしたが、1970年代に都市部の先生らの手によって改良研究がなされ大型化したことで、奏法や表現がより豊かになりました。

 もともと一部の地域でしか知られていなかった少数民族の楽器が、どのようにして全国に知れ渡るようになったのか、その歴史を知りたくて「トルン改良研究史」を修士論文のテーマにしました。

 
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 現地では、トルンという楽器は知っていても、実際に演奏を聴いたことのある人は意外に少なく、どうしてもマイナーなイメージが強い印象がありました。それでも、「日本からトルンを学びに来ている」と言うと、誰しもが喜んでくれて「ベトナムの文化に関心を持ってくれて嬉しい」と大変親切にしてくれました。”トルンに魅せられた日本人学生”、そんなタイトルで新聞や雑誌の記事にもいくつかとりあげて頂きました。

 トルンは2本の撥(ばち)で演奏します。両端に頭を持ち、上下両方使って演奏するため、一度に4つの音を鳴らすことができます。 その頭には、丸みのある音色を出すために輪ゴムがたくさん巻き付けてあります。そしてトルンの竹筒一本一本を括りつけているのも輪ゴムが一般的です。竹筒は縄梯子状に吊るされたものが三列組み合わさっており、中央の列が元々のトルンの音階(ベトナムの伝統音階)、そして左右に足された列によって、西洋音階も奏でられるようになりました。

 自然の素材なので、温度や湿度、演奏会場の環境によって音色や響きがかなり左右されます。屋外で演奏したこともありますが、帆のような形状をしているため風の強い時の演奏は厳しいです。これまでも色々な環境で演奏してきましたが、やはりふるさとの気候と同じ、高温多湿の環境だと良い音色がするようです。日本では四季折々の気候の変化で竹が割れることもあります。壊れてしまったときはベトナムまで直しに行かなければならないのが少し大変です。

 最近ではピアノの伴奏でトルンを弾く機会も増えたのですが、微妙な音のずれは自然素材の「味」だと思えば、さほど気になりません(笑)。環境によって左右される音色は、本当に一期一会です。良いとき、悪いとき、ありますが、その時その場でしか聴けない音色を一期一会の音色として聴いて頂いています。

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曲名: The landscape of my dreams
作曲: 小栗久美子
編曲/ピアノ: 森川拓哉
説明: 夢で見た風景、そんな他愛もないお話を笑って聞いてくれる人がそばにいる。そんな平凡なひとときに平和や幸せを感じて書いた作品。世界中すべての人が、そういう温かい日常を送れたらいいのになという願いをこめて。(オリジナル曲)

※ 2010年11月、テレビ朝日「世界の街道をゆく」のベトナム編で、番組BGMに採用されました。

 

母と娘

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 2003年3月、ベトナム留学を決め、次年度を休学した矢先に母が倒れました。多発性骨髄腫という骨髄の癌でした。余命半年の宣告を受けベトナム留学を断念、一年間母の闘病生活に寄り添いました。母は奇跡的な回復をみせ退院、一年遅れで2004年の春から留学に行かせてくれました。

 通院しながらもまた様々な活動に精を出していた母でしたが、2006年2月頃に再発で入院、状況は思わしくなく、半身不随になりました。

それでも弱音を吐かず、やれる限りの活動をし続ける母をそばで支えていこうと決めました。
 担当医からは何度も余命の宣告を受けました。母に悟られまいとしながらも、色々な思いがよぎり不安な日々でした。そんな中、何か残したい、そういう思いが強く生まれました。花嫁衣裳もみせてあげられそうにない、自分の力で出来ること、そうして思い立ったことが母の夢のひとつであった私のリサイタルを開くことでした。

 こうして2007年10月、トルンとマリンバの初リサイタルが横浜みなとみらいホールで開催しました。一年かけて準備し、練習中も母からたくさんのアドバイスを受けました。選曲も母の意見を多く取り入れました。母は沢山の人と親交があり、色々な人に頼られる存在でした。リサイタルにたくさんのお客さんを呼んでくれたのも母です。本当に多くの方々に応援して頂きました。

 しかし母自身は、本番まであと一ヶ月というところで息をひきとりました。周囲の方々は心配してくれました。コンサートの開催についても気遣っていただきました。
 父が「お母さんは久美子に一ヶ月という時間をプレゼントしてくれたんだよ。もうお母さんのことで時間をとらないでいい、自分のためだけに一ヶ月を使いなさい。あと残り一ヶ月、精一杯練習しなさいって」と声を掛けてくれました。その言葉をきいて気持ちを入れ替えることができ、笑顔で舞台に立つことができました。

 
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写真:重本昌信

 当日は、ベトナムで作ったアオザイのほか、母が結婚式のお色直しで着たドレスを着て演奏しました。当時、娘のためにと作った祖母の手作りです。私よりもっと若い頃の母が着たドレス、勇気をたくさん分けてもらいました。

 440席、溢れるほどの満席でした。母の友人をはじめ、本当に多くの方々が駈けつけて下さいました。客席からは皆様が応援して下さっているのが強く伝わってきました。母の声がきこえるようでした。「私がいなくても、こんなに多くの人たちが久美ちゃんのことを応援してくれているからね、大丈夫よ」胸がいっぱいになりました。涙が出そうでしたが、常日頃、母から「演奏者はステージ上で泣いてはいけない」と言われていたので堪えることができました。

 この時です、これからの音楽活動をさらに真剣にやっていこうって思ったのは。遊びでやっていこうとするならば、こうして駆けつけて下さった皆様に嘘をつくことになると、そう思いました。

 そうして今があります。今でも母のお友達に応援して頂き、色々と助けて頂いています。母親として、先生として、音楽家として、ひとりの女性として、最も尊敬している母の存在はとても大きいです。決して追い越すことのできない母の背中を今でも追い続けています。

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曲名:
作曲: 小栗久美子
編曲/ピアノ: 森川拓哉
説明: どこからともなくやってきて、色々な物や人々に触れながら、心地よさを残して吹き抜けていく。何の縛りも境もないそんな自由な風に、国と国、人と人との交流に寄せる思いを重ねたオリジナル曲。

※ ベトナムへのチャリティーコンサートで初演。日越の文化交流に対する思いを寄せた。

 

今後の活動

 今年の6月14日(火)にトルンのソロアルバムを発売する予定です。うまれて始めてのCDです。同日、その発売記念コンサートを自分の出発点でもある横浜みなとみらいホールで企画しています。アレンジや楽曲提供をして頂いている森川拓哉さんに全面的にご協力頂きながら進めています。

 トルンは出会うべくして出会った楽器のように思っています。演奏していても、しっくりする感じがあって、自然体で表現できます。後はどう広げていくかが課題です。多くの皆さまにトルンという楽器を知ってもらいたいと思っています。

 活動の一環として、トルンの演奏を通じて交流活動を広げていくため、株式会社ブリッジアカデミー代表取締役の鈴木修一氏にご協力を賜り「日本トルン協会」を作りました。

 
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 今後の夢としては、トルンのアンサンブルを実現させたいと思っています。音楽が得意な人もそうでない人も、色々な人がこの音色を楽しめる様にしたいと思っています。

 オリジナル曲の制作も試みているように、民族音楽という枠にはまらずにいろいろなジャンルの音楽にも挑戦していきたいと思っています。2008年に結成し、その後色々と一緒に活動しているトリオも、ウッドベースとパーカッションとトルンという異色な組み合わせで関心を集めました。昨年はベトナムの弦楽四重奏との演奏や、お琴との共演、朗読とのコラボなども経験させて頂きました。今後も、様々な取り組みをしてみたいと思っています。

 トルンは解体するとゴルフバックくらいのケースに入り、担いで持ち運ぶことができるため、移動がしやすい楽器です。新幹線や飛行機での移動も可能なので、北は北海道、南は九州、沖縄まで、色々な地域で演奏してきました。コンサート会場だけでなく、ライブハウスやレストラン、結婚式などでもお声がけ頂いて演奏しています。

 これまでたくさんの出会いがあり、今の私があります。トルンの音色が一期一会なように、私自身も一期一会を大切にしていきたいと思っています。この音色を、自分の表現を、ひとりでも多くのかたに聴いて頂きたいと思っています。是非一度、トルンの音色に触れてみてください。

 
曲名: Tico Tico
作曲: ゼギーニャ・ジ・アブレウ
編曲/ピアノ: 森川拓哉
説明: ショーロと呼ばれる軽快なブラジル音楽です。

(取材:高野慈子/高野慈子さんご紹介

 

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