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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第3回 グループサウンズ(GS)その3 スパイダース

by staff on 2012/8/10, 金曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

第1章 横浜と海(3)

 今回は銭湯のお話を少し。

 実家だったヘルスセンター龍宮館の大浴場は夜になると銭湯になり近所の人たちの社交場になります、お湯の色は黒色でそれに何か効能があるとうたっていたようでした。最初は木の桶でしたがいつの頃からかケロリンと書いたプラスチックの桶に変わりました、最近近所の銭湯に行ったら今でもあってビックリ!、ケロリンという薬の広告が書かれていたようですがケロリンという薬はいまだに見たことがありません、皆さんご存知ですか?

 後、あの頃の銭湯にはお金を払うと背中を洗ってくれて軽いマッサージをしてくれる三助さんと呼ばれる男の人がいました、三助さんは特定の人の呼び名ではなくその職業の人はみんなそう呼ばれていたのです。三助さんは住み込みで風呂場のすぐ隣の部屋に住んでいて浴槽の掃除や、部屋の中にある大きな水槽から水を流して湯温を調節したり、煙突の下の釜で薪をくべたりしていたようです。三助さんは裸に白いさらしを巻いて膝まであるぴっちりとした白いパンツのような物をはいていました。うちの実家にも大好きだったシゲちゃんという三助さんがいて、ルックス、イメージは正に高倉健!いなせの極みのような人で女性からも人気があり、女風呂からしょっちゅうお呼びがかかっていました。三助さんだけは男女風呂間を自由に行き来でき、流しを頼まない女性も三助さんがいることを当たり前のように思っていたようです。大らかな時代だったんですね。女風呂に向かうシゲちゃんの後姿を男客は羨望の眼差しで見つめていました。

 子供の頃、銭湯で騒いでいると見知らぬオヤジに怒鳴られました。たぶん近所に住んでいるだろうオヤジですが親が一緒にいようがいまいがマナーの悪い子供はよく怒鳴られました。当時はこんなオヤジが沢山いました、今思えばああやって子供たちは社会のルールを学んだんだなあと思います、今はそんな裸の付き合いも薄くなりましたね、人前で裸になれない子供もいると聞きますし、今でもたまに銭湯が恋しくなります。

グループサウンズ(GS)その3 スパイダース

 田辺昭知率いるスパイダースが結成したのは1961年、最初は有名歌手などのバックバンドでしたがギターにかまやつひろしなどが加わる事により徐々に方向性を変えて行き、ビートルズに衝撃を受けたかまやつひろしは、彼らの様に自分たちで曲を書き自ら演奏して歌うグループ、更にファション、髪型までビートルズを意識したバンドにしようと音楽的にグループを引っ張っていきました。

 1965年5月スパイダースはかまやつひろし作曲の「フリフリ」でデビュー。「ノー・ノーボーイ」などオリジナルを次々発表。かまやつ作品はブリティシュビートに影響を受けたロックンロールで当時のロック市場では最先端を走ってました。しかしまだ時代は彼らにはついていけなかったのが実情で売り上げはいまひとつ。そこで ’66年9月スパイダースは路線を変更し、作曲家浜口庫之助に作曲を依頼、そして出されたシングル「夕陽がないている」が大ヒットしてブレイクしました。

 「夕陽が泣いている」はいい曲ですが青春歌謡路線の日本語歌詞にマイナーメロディを使ったいかにも歌謡曲!といった感じの曲。これにエレキギターをかぶせベースやドラムをロックなビートにアレンジすることでGSサウンドと言う新しい境地が生まれました。この曲以降、この路線が定着しザ・タイガーステンプターズ、などの新しいグループが次々と登場して ’67年から ’68にかけて起こるGSブームの全盛期を迎えることになります。

 スパイダースはこの後も堺正章が歌う「風が泣いている」など作曲家の作品のヒットとともに「いつまでもどこまでも」など井上順が歌ったかまやつ作品もヒットさせ、かまやつのブリティシュロック路線と売れ線歌謡ポップスの2面の音楽性を協調させ、井上、堺のアイドルを看板にして、沢山のヒット曲を生み出し、映画の主演、海外でのレコード発売など幅広く活躍しました。

 かまやつひろしがスパイダースに加入した時一緒に加入したのが後にワイルドワンズを率いることになる加瀬邦彦。彼は2ヶ月位でスパイダースではリードギターとして使ってもらえないと見切りをつけ、ある日ライブの最中にギターを抱え「やめさせてください」と出て行ってしまったそうです。その後寺内タケシとブルージーンズに参加して大活躍していましたが、ビートルズ来日が決定してブルージーンズの前座が決定した時、前座出演者はビートルズを客席で観る事は許されないと聞き、ビートルズをどうしても見たい加瀬はブルージーンズ脱退を決意したそうです。

 ビートルズ来日公演を直にみた加瀬邦彦はビートルズのように自分たちで曲と作り歌い演奏するグループを作りたいと思い、メンバーを募集してワイルドワンズを結成。スパイダース「夕陽が泣いている」がヒットした同じ ’66年、ワイルドワンズは加瀬邦彦作曲のオリジナル「想い出の渚」を大ヒットさせて、これまたGSの先駆者として ’67年のGS全盛期への橋渡しとなります。

 ’65年のエレキブームから加山雄三というスターが生まれ自作の「君といつまでも」を ’66年初頭にヒットさせます、加山のオリジナル「夜空の星」等はロックのビートにエレキサウンドを乗せた新しい波でした。ここからが日本のロックビートのスタート地点といえるでしょう。そして ’66年になるとビートルズに影響されグループとして個性を表現していくバンドが現れてきてここで初めてグループサウンズという呼び名が登場! これを最初に引っ張って言ったのがブルーコメッツ、スパイダース、ワイルドワンズでした。このほぼ同じ時期に現れた井上忠夫、かまやつひろし、加瀬邦彦の3つの才能に率いられたグループは最初は造られたバンドではなく明らかに自分たちで作り上げた個性だったと言えると思います。

 以下次号につづく

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

「フリフリ」 田辺昭知とザ・スパイダース
  夕陽が泣いている/ザ・スパイダース

 

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