荻津郁夫建築設計事務所 代表 荻津郁夫さん
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なぜ建築家になろうと思ったのですか
小さい時からものを作る仕事をしたいと思っていました。模型飛行機を作るのが好きでしたね。竹ひごで形を作って紙を貼るものでしたが、夢中になって作っていました。小学校6年生の時に記録会に出場して、なんと全国一位になって文部大臣賞を受賞しました。
高校のときは理系クラスにいたのですが、理系の中で一番文系に近いと思った建築学科に入学しました。(秋田高校から京都大学工学部建築学科に入学されました)
京都での大学生活はのんびりとしてとても楽しいものでした。大学院に2年間行って、その後就職しました。
大手の設計会社に就職されたのですが、どのような経緯で独立されたのですか。
大学卒業後、山下設計に入社しました。それで東京に出てきました。そこには5年間いました。企画部門に配属されて、いろいろなコンペに関わりました。青山にある「こどもの城」も、我々のチームがコンペを勝ち抜いて設計したものです。
私は、自分で現場に行って苦労して作り上げていく仕事がしたかったのに、大手にいるとそれができなかったので、退社しました。
その後、大学の同級生の建築設計事務所に合流しました。仲間たちと一緒に仕事をして、いろいろな経験を積むことができました。箱根の「強羅花壇」や乃木坂のビルなどはその時代に手がけたものです。
40歳を迎えて、そろそろ一人でやってみたいなという気持ちになり、思い切って独立しました。それが1994年のことです。最初は北品川で女房と二人で事務所を始めました。有難いことに独立したとたんに「強羅花壇」の懐石料理店や秋田県の雄勝町の文化会館の設計を依頼されて忙しくなりました。それでスタッフを採用したのですね。
秋田は私の故郷ということもあり、様々なご縁でいろいろな仕事をさせてもらっています。例えば、「サテライト六郷」(競輪の場外券売場)や「勝月本店」(和菓子屋)、「あぐらフォースクエア」(地ビールのレストラン)などです。山口県のコンサートホールを設計した経験が評価された雄勝町の文化会館などの仕事もやりました。月に2回くらいは秋田に行っていましたね。
横浜に事務所を移されたのはなぜですか。
1992年にマイクル・グレイブス氏が設計した「アルテ横浜」に引っ越ししました。ここはポートサイド地区で最初に建てられた高層マンションでした。
それで職住接近にしようと1998年にポートサイド地区に事務所を移したのです。
ずっと横浜で仕事をしていたのに、なかなか地元での実績がなくて・・。2008年に手がけた山手の個人住宅が初めての横浜での仕事になりますね。
電気ヒートポンプによる低温水躯体蓄熱暖房のシステムを構築し、中央に3層の吹抜けを持つ住宅の全館暖房を低ランニングコストで実現しています。
私の代表作品の一つになっています。
この仕事を受注した経緯が、まさに今風なのです。
「横浜にエリア045」という建築家を集めたマッチングサイトがあって、そこから来た注文でした。
「ヨコハマNOW」で連載していただいてる「AAスタジオ」の活動はどのようなものですか。
住宅という器からではなく、「暮らしをデザインする」ことから始めようという意識を持ち、そのような意識を持ったクライアントと出会う機会を増やさなければという問題意識を持った建築家たちのグループが「AAスタジオ」です。元町の代官坂に建築設計事務所がある青木恵美子さんが中心となって結成されました。 毎週土日に交代で建築に関する相談会を開催しています。 今手がけている桜木町の物件も、インターネットで「AAスタジオ」を調べて訪ねてきた方からの注文です。3人の建築家と面談して、私のところに依頼されました。 桜木町駅すぐの築50年のアパートを三分の一残します。町の喧騒の中でプライベートな生活を守ることと、施主さんが生まれてからずっと住んでいる町との関わりを保ちたいという希望を実現するためです。残すアパートの部分は人が集まる場所にしたいそうです。年末には完成予定です。 |
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設計のお仕事で大変なことと楽しいことは何ですか
まず仕事にたどり着くまでが大変です。仕事が始まっても完成するまで、短くても一年間長いともっとかかります。その間に、様々なトラブルがあります。そのたびに新しいアイデアが湧いてきます。
楽しいことは、どの仕事でもそうでしょうが、クライアントから喜ばれることです。「こんなものができるとは想像していなかった」と驚かれるのが嬉しいですね。
今後されたいことはありますか。
ようやく横浜での仕事が増えてきました。現在、桜木町の個人住宅と新横浜の教会を手掛けています。これからは横浜の歴史建造物や街並みに関わる仕事もしていきたいですね。歴史的な町のなかで調和しながら新しいさのある建物を作っていきたいと考えています。町づくりに対しても提案していきたいですね。もっともっと横浜と関わっていきたいです。横浜らしい多様な建物を多様なデザインで作っていきたいです。
一から手間ひまかけて、お客様と話し合いながら新しいデザインを提案していきます。リフォームもやっていますから、何でもお気軽に相談ください。(笑) 荻津さんにとっての横浜は・・・便利な街です。コンパクトな中に何でもそろっている。それから海が見えるのが気に入っています。(高層階にある荻津さんの事務所からは海が見えます) 自分にとってベースになっているところです。結節点なので、どこに行くのも横浜が起点になります。 |
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荻津さんは私の高校(秋田高校)の2年先輩です。昨年、Facebbokを通じてお知り合いになり、それから交流を深めています。著名な建築家の方ですが、とても気さくで楽しくて素敵な先輩です。
(インタビュー・文・写真:ヨコハマNOW代表 渡邊桃伯子)
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