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中学生の時にカメラマンになることを決意した。 シネマトグラファー・フォトグラファー服部徹夫さん

by staff on 2014/6/10, 火曜日

 昭和の高度成長期、道路が整備され、商店街や町のスーパーマーケットが繁盛して、町に活気があった。人々にほんの少し余裕が生まれ、趣味を楽しむようになった。映画、歌謡曲、新聞、雑誌、そしてテレビが流行を発信していた。カメラブームの到来。テレビの一眼レフカメラのCMがカッコよかった。自分のカメラが欲しいと思った。。。

シネマトグラファー・フォトグラファー 服部徹夫さん
シネマトグラファー・フォトグラファー
服部徹夫さん
 
お名前 服部 徹夫(はっとり てつお)さん
ご出身 横浜市磯子区
ご年齢 1960年代生まれ
お仕事 シネマトグラファー・フォトグラファー
CMの撮影を主に、映画、PV、講師など
事務所:(有)服部徹夫事務所
Webサイト hattomoviephoto.jimdo.com/
Facebook www.facebook.com/tetsuo.hattori.927

磯子区岡村生まれ 中学生の時にカメラマンになることを決意した。

 私は、図工や音楽が好きでピアノを習っていました。時代はちょうど高度成長期に入ったころで、TVからは一眼レフのCMが流れ、そのカッコよさが手伝ってか、カメラが大ブームになりました。 カメラが趣味の伯父が、白黒の(8x10)写真を見せてくれたのが写真の道へ進むきっかけになりました。 自分のカメラが欲しくて、小遣いを貯めて、中学の時に野毛の「大貫カメラ」で「ミノルタXE」を買いました。

 当時は、フィルム代も現像代も高かったので、写真を撮るというよりも、カメラを持っていることが楽しかったです。

 映画が好きで、自転車で30分程の所にあった名画座(黄金町日劇)に、3本立ての映画をよく観に行きました。

 映像と写真の世界に飛び込みたくて、写真技術を学べる学校に進学したいと思いました。 当時から評判が良く、多くの有名な写真家がここの卒業生だと知り、私は東京綜合写真専門学校(横浜日吉)を選びました。

東京綜合写真専門学校: http://www.tcp.ac.jp/

修行時代から独立へ

 東京綜合写真専門学校では、技術的なことと表現の仕方を学びました。 「ユニークな表現力を育てるのには、一般的な常識から自己を開放しなければならない」ということで、被写体に極端に接近して標準レンズで写真を撮ったり、いろいろと戸惑うことが多かったけれど、それはまた楽しい経験になりました。

 美術の学校のようにデッサンを習ったり、民俗芸能や古典芸能を学んだり・・・自分の感性を磨く勉強が続きました。本科は3年間で終了なのですが、私は研究科に進みました。講師の中にフリーランスで仕事をしている方がいて、カッコいいと思いました。いずれ自分もフリーランスカメラマンになりたいと思いました。また、写真から動画へと興味が広がっていきました

 助手時代は35ミリ映画用カメラは30kg以上もあり、それを担いで現場で働いていました。助手時代から今もそうですが、何でも吸収しようと一生懸命でした。 仕事は、丁寧にすることを心掛けています。

バブル・リーマンショックそしてデジタル化、脱TV・・・

 私がアシスタントをしていた頃はちょうどバブル期だったので、上場企業のCMが世界を引っ張って行っている感がありました。季節を先取りし、購買意欲を高めるために、南半球にまでロケに行き、希望する季節の映像を手に入れようとしました。時間とお金を費やすので、CMには季節感があり、映像は美しく、いつまでも人の記憶に残る作品が生まれました。そして、CMから歌や流行語が生まれました。

 私が独立した頃は、バブルの崩壊、リーマンショック、株安・・・企業は、コマーシャルにお金と時間をかけなくなりました。若者の脱TV現象、趣味の多様化もあり、ITのサイトでワンポイントに個人向け販促をするのが主流になりつつあります。

 社会全体が安い・早い・ 映像の良し悪しよりも、コストパフォーマンス、数字の良さが求められる時代へと変化しました。それによりお金や時間をかけたロケは好まれなくなります。デジタル技術により画像を修正することも可能になり、曇りの日に撮ったものが、まるで晴れた日の出来事のように加工できるようになりました。話題性のあるCMが少なくなりました。

 カメラの性能は、新機種が発表されるごとに良くなり、1億総カメラマンの時代になりました。 デジタルカメラの機能も最初は複数の操作が必要でしたが、それが2~3の操作で良くなり、やがてはONとOFFの2つのボタンさえあれば電子頭脳がコントロールし、それなりなものが写せるように成りつつあります。

写真への想い

 シャッターチャンスの一瞬はまるで奇跡のようです。被写体の動き、光と影、使ったレンズやフィルム、自分の呼吸、全てのチャンスが1つになった時に満足するものが生まれます。丁寧に仕事をするには時間も必要です。仕上げの際に最新の技術で多少手を加えたりもしますが、その技術が全てではないのです。技術に頼りすぎるとうすっぺらなものに仕上がってしまう気がします。


写真集「Landscape」

CM撮影の話

 劇映画「ワンダフルライフ」(是枝裕和監督)の撮影助手を最後にフリーランスカメラマン(撮影監督/DP)として独立するのですが、最初の仕事がミノルタカメラのCMだったことが嬉しかったです。

 CMの仕事は、広告代理店とCM制作会社がプランニングをクライアントに出し、商品のイメージに合ったキャスティングが行われます。 スタッフが決まると、撮影は、海外ロケ、国内ロケ、スタジオ撮影等、1日~長い時は1カ月位の期間で行われます。数多く撮影したCMの中でも「ローソンの高島店長シリーズ」と「プレステーション」の仕事は、現場優先で、自分の個性を活かすことができ、好きなCMになりました。

 映画では、タイトルバックに監督はもちろんのこと助監督やアシスタント等の名前が出ます。CMは誰が撮影したのか分かりません。しかし、業界紙には名前が出るので、CMを見て気に入ってくれた所から、私に仕事の依頼が来るようになりました。

 ムービーカメラマンになるのにも、3rdアシスタントカメラマン、2ndアシスタントカメラマン、1stアシスタントカメラマンと10年近く掛かります。

 アメリカでは、助手(アシスタント)が職種になるほど、賃金も待遇も保障されています。ですから、50代の人が「助手」として仕事に誇りを持って働いています。

 日本では助手の仕事は多くあります。助手が人手不足なのです。逆ピラミッド現象なのです。独立したカメラマンは多くて、働く場所が限られますから、10年もかけてカメラマンになったとたん仕事が入らないこともある厳しい世界です。

 私は鋤田正義氏に師事できたことが実に幸運でした。鋤田正義氏はデビィッド・ボウイや数々のミュージシャンの写真で有名です。

鋤田正義氏のHP: http://www.sukita.jp/

それでも創造することは楽しい

 私は、映像カメラマンとして、仕事優先の人生から、少し周りを見る時間が生まれて、その時間を大切にしたいと思うようになりました。若い頃、仕事や遊びで世界中の色々な人にお世話になり、自分がそうだったように、いずれバックパッカーが泊まるようなシェアハウスをやって、恩返しをしたいと考えています。

 また、映像や写真を勉強したいと思っている若者に、自分の持っているものを伝えたいと思い、「動画表現」を東京綜合写真専門学校で講師として教えることになりました。プロを目指すことは容易な道ではないと思いますが、それでも創造することは実に楽しいことでもありますから・・・・。

 これからも「クオリティ重視」「予算なし」でも頑張ります(笑)。


チベット、青海省にて

あなたにとっての横浜とは?

 下町のにおい、昭和のにおいがする「野毛」が好きで、いつもカメラを持って徘徊しています(笑)。 野毛の小さな居酒屋や食堂など店の写真、おやじさんやおかみさんの写真を撮ったりもします。 「野毛」の写真集、写真展覧会のようなことが実現できたら面白いと思いますね。

 また、岡村出身者や在住の、それぞれの業界で活躍している人達を写真や映像で繋げたいですね。

 私にとっての横浜はレンズ越しに見て面白い街です。

 

服部徹夫氏の作品

TV/CM


(三菱冷蔵庫)

(日清食品(どん兵衛))

(ECC外語学院)
サントリー(ペプシコーラ) キリン(ラガービール) 明星食品(チャルメラ)
マクドナルド ハウス食品 大塚製薬(ソイジョイ)
ローソン ライオン 資生堂
ミノルタ オリンパス パイオニア
新日本石油 トヨタ自動車 ダイハツ
ホンダ 三菱自動車 NTT東日本
NTTドコモ 朝日新聞 読売新聞
東京電力 JR東日本 アフラック
VISAカード ソニープレイステーション オリエンタルランド、等

劇映画

蒼い夏(2003年) 監督:松浦徹   主演:大沢あかね
青空のゆくえ(2004年) 監督:長澤雅彦   出演:多部未華子 他

TVドラマ

NTVドラマオープニング 「ボーダー」   中森明菜 他
TBSドラマオープニング 「to Heart 恋して死にたい」   堂本剛、深田恭子
「チープラブ」   反町隆史、鶴田真由

PVの仕事

クレイジーケンバンド(Barrio chino 他)等
坂本真綾(マメシバ)等

クレイジーケンバンド(レコード)のロケ地(三殿台遺跡)

作品集

ポラロイドギャラリー写真展(1998年)ランドスケープ
太陽と月のはざま写真集 (2001年)
オリンパスギャラリー写真展(2005年)ランドスケープ

(文:高野慈子 カメラ:服部徹夫)

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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