横浜宝石物語(第4回) 二代目の父(青春編)
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横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。 二代目の父(青春編)今号から二代目の父のことをお話したいと思います。 エメラは今年、創業85周年を迎えますが、父が生まれた年に祖父が創業した為、父も今年85才になります。85才になっても背筋がピンとしていて、店頭に立って手伝ってくれる父に感謝しています。 父は昭和5年に祖父の三男として横浜で生まれました。兄姉が父が生まれる前に亡くなっていた為、実質的には長男としてとても大切に育てられたそうです。戦争中に住んでいた根岸の山の家は父の健康の為、畑をさせる目的で買ったものですし、馬も祖父に買ってもらったそうです。また、夏休みは親戚が持っていた海の近くの本牧の家を借り上げ、そこで夏を過ごしたようです。 祖父は父が幼い頃から熱海など近場の温泉地で行われる業者間の取引市という商品の交換会にも連れていったそうで、父は宝石やジュエリーを沢山見て育ちました。 祖父は戦後、伊勢佐木町にあった松屋デパートさんが営業を再開する時に問屋として出店しました。店を父に任せて、卸しの仕事で全国に行きたい祖父は、まだ16才だった父を旧制中学校の途中で辞めさせてしまいました。泣く泣く学校を辞めて、父はデパートの店頭に立つことになりました。祖父は父に何も教えずに全国を飛び回り始め、父は松屋デパートの営業課長さんから色々教えて頂いたそうです。 父は店もやりながら、アメリカのジュエリーカタログを取り寄せ、職人に外国人向けのジュエリーを作らせて、近隣の宝石店に卸す仕事もしていました。 |
(クリックで拡大画像) (写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
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