横浜宝石物語(第10回) 三代目の私(子供時代と宝石との関わり)
|
横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。
三代目の私(子供時代と宝石との関わり)今号から宝石商として三代目となる私のことをお話しさせて頂きたいと思います。 私は現在「横濱宝石美術館エメラ」の店がある真上の馬車道商栄ビルの3階で、3才まで生まれ育ちました。 名前は宝石の翡翠(ひすい)からとって、「翠(みどり)」という名前になるはずでしたが、当時の人名漢字になかった為に貴金属の貴の字から「貴子(たかこ)」と命名されました。 私が生まれた時はまだ、父は伊勢佐木町の松屋デパートの中で店をやっていました。 馬車道は大桟橋や山下公園にも近くて、よく大桟橋に船が入ると父の車で船を見に行って、山下公園で遊びました。 私が1才の時に母が横浜駅ビルに初めて「エメラ」として宝石専門店を出店し、3才の時に父がダイヤモンド地下街に店をオープンしました。私の誕生と時を同じくてして、「エメラ」が誕生しました。 ダイヤモンド地下街の店をオープンした頃、母がもっと緑の多い場所で子供を育てたいと思い、馬車道から磯子の汐見台団地という、当時としてはモダンな団地に引っ越しました。 小学生の頃は絵の教室にも通って、油絵も習いました。色彩感覚は良いと先生に褒められましたが、手先が不器用で絵の具がはみ出したりすることも多かったのです。高校に入って美術を専攻した時に周りに絵が上手な人が沢山いて、そのレベルの差にすっかり自信を失ってしまいました。 |
(クリックで拡大画像) 【今月のエメラのジュエリー】 (写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
ヨコハマNOW 動画
新横浜公園ランニングパークの紹介動画 | ||
![]() |
ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。 |
横浜中華街 市場通りの夕景 | ||
![]() |
横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。 |
Comments are closed.