横浜宝石物語(第11回) 三代目の私(学生時代の宝石と海外との関わり)
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横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。
三代目の私(学生時代の宝石と海外との関わり)私が小学校に上がってしばらくして、70年代に入った頃から父が海外の宝石鉱山に視察や仕事で行くことが多くなりました。 当時は団地に住んでいたのに父がブラジルで庭石のような大きな原石を買ってきて、団地の入口に置いていたら、いつのまにか少しずつ削ってもっていってしまう人がいたようで気付いた時には石がなくなっていたそうです。 そんな中で父が買ってきてくれたもので思い出深く、今でも愛用しているのがブラジル土産の写真のウォータートルマリンの蝶のペンダントです。 高校生の時、家族でスリランカに旅行に行って、父に付いて、取引先の方に会って、石を見せて頂いたのが、初めての買い付け経験でした。 以後、スリランカ、タイ、香港には父と一緒に何度も行くことになり、取引先の方たちとは30年以上の家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。 大学生になった時に父がスペイン語を第二外国語でとったら南米に連れていってくれるという約束をしました。ところが、その直後に南米でマラリアにかかった父はそれから一度も南米に行くことがなく、そのうちブラジル、コロンビア、メキシコなどの取引先の方が日本に来て下さるようになり、未だに私は一度も南米に行ったことがありません。 次回は「女は宝石商になれない」と祖父や父に言われた私がなぜ宝石商になったのかをお話したいと思います。 |
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(写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
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