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しあわせの「コツ」(第18回) マナー、サービス、おもてなし

by staff on 2018/6/10, 日曜日

第18回 マナー、サービス、おもてなし

東京オリンピック招致スピーチをする滝川クリステルさん

東京オリンピック招致スピーチで、滝川クリステルさんが「おもてなし」という言葉を使って以来、サービス業だけでなく、様々なビジネスシーンでも「おもてなし」という言葉が聞かれるようになりました。でも、改めて「おもてなしって何?」と聞かれると、言葉に窮する場合が多いようです。

よく使われる、マナーやサービス、あるいはホスピタリティという横文字の言葉と「おもてなし」とは、それぞれどのような違いがあるのでしょうか?

「マナー」は英語mannersですが、元は「手」を表すラテン語マヌスmanusからきています。マニュアル、マニュファクチャと親せきの言葉ですね。

それに対して、「サービス」は英語ではserviceで「奉仕する・仕える」という意味です。語源はラテン語のセルヴィタスservitus、意味は「奴隷」という意味です。そこから派生した英語にスレイヴslave、サーバントservantがあります。

「奴隷」という語源が表すように、サービスにおいてはサービスを受ける側とサービスを提供する側が明確に分かれ、サービスを受ける側すなわちお客様が主であり、提供する側は従となっています。また、サービスには「対価」が発生します。

典型的な「サービス」。ホテルの接客

サービスから一歩進んだ「ホスピタリティ」hospitalityは、ラテン語のホスピクスhospics(客の保護)から出てきた言葉で、「この時、この場で、この人だけに」と個別にもてなすことを指します。英語の病院hospital、ホテルhotel、ホスピスhospiceという言葉はここから来ています。

患者に寄り添うホスピス業務

ホスピタリティは、お客、患者に対して思いやりの心をもって個別のサービスを提供するものですが、サービスと違い、基本的には対価を求めない自発的行為と言われています。

これに対し、日本の「おもてなし」とはどういうものを指すのでしょうか?
まず、その語源を見てみましょう。

「もてなす」とは、「持って」「成す」こと。意味には諸説あり、「物をもって成し遂げる」という説と、「もてはやす」「もてあます」のように、「成す」という動詞を強調する接頭語「もて」がついて「もてなす」になったとする説があります。私は後者の方がしっくりきます。「もてなす」が、何か「物」を駆使するというより、相手が感動するほどの思いやりと気配りをすることで接客を成し遂げる、というニュアンスがあるように思うからです。

よく和風旅館などで、「ここまでするのか」と感心するほどこまやかな心遣いを感ずることがあります。しかもそれがこれ見よがしではなく、その努力や気配りを微塵も感じさせず、主張せず、何気なくなされているように見えるのです。相手に余計な気遣いをさせないように、という配慮が行き届いているのです。

さりげなく細部まで神経の行き届いた京都の老舗旅館の客室

今あげた接客の心遣いの違いを図で表すとこのようになります。

おもてなし道@大学様のサイトより拝借しました。
http://www.omotenashi-japan.com

なぜこのような違いが出るのでしょうか?
どうも「おもてなし」には、他の接客にはない「何か」があるようなのです。

その大きな違いは、客ともてなす側との関係にあります。
先にも述べたように、サービスは明らかに主従関係です。ホスピタリティでは相手への敬意が生まれていますが、「おもてなし」に見られるようなもてなす側ともてなされる側との間に生まれる「場の共有意識」は感じられません。

なぜでしょう?
それは、「おもてなし」には茶道に通じる「主客一体」(「主従一体」ではありません)とでもいうような、磨き抜かれた「共感関係」があるからです。むしろ主人と客の間にそのような関係がなければ、それは単なる「接客」であって「おもてなし」とはいえません。

織田有楽斎の茶室・如庵。国宝です

主人側が「お忙しいのにわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます」と言う気持ちで精一杯準備をし、客を迎えます。
客の方も「私のためにこんなにも色々とお気づかいいただき、大変ありがとうございます。」と礼を尽くします。

主人の心配りと表現力(演出力)、その主人の機微を感得する力量のある客、この両者が一体となってえも言われぬ場が生まれます。茶道ではそれを「一座建立(いちざこんりゅう)」と言います。鋭い感性と深い教養に支えられた審美眼や物腰の持ち主同士が場を同じくし、ともにお茶を飲み、文物について語りあう―そこではお互いの心が通い合い、一服のお茶さえもしみじみと心に染み入る、まさに「主客一体」の場が立ち現れるのです。

簡素な茶室。
だが細部にまで主人の神経が張り巡らされている。

茶室では、もてなす主人の心配りを客は受け止め、それを評価できなければなりません。茶器はもちろん、茶菓子や料理の風情、床の間の軸や花活け、さりげなく置かれている小物にも、主人のこまやかな神経と美意識を読み取り、それを味わい、堪能し、そのような時空を演出した主人への感謝と惜しみない称賛を表す器量が客に備わっていなければいけないのです。

主人も、季節やお招きする客に合わせ、器や部屋のしつらえを考え抜き、真剣に用意します。ここでの主客の関係は、ともに風雅な茶空間を創ろうという者同士の、いわばコラボ関係にあるといえるでしょう。

もてなす、もてなされるという関係を超えて、一生にたった一度のこの出会いの時空を最高なものにしよう、という心で結ばれあった同士の出会い。そう、「おもてなし」はこのような出会いの時空の表れのことを言うのです。一朝一夕でできるものではありません。

今日来てくださったお客様との出会いはまさに「一期一会」。たとえ次に来てくださるかもしれなくても、今この時の接客は二度とありません。「この」お客様が最高にくつろぎ、喜んでくださるにはどうしたらよいか ―そんな意識のもとで「おもてなし」はなされていきます。

また、客の方も「ここまで神経が行き届いているとは!」「なんて細やかな気配りなんだ!」と、もてなしを感じ取り、評価できないといけないのです。
この、主客の目に見えないコミュニケーションが生まれる時、私たちは「上質のもてなし」を感じるのです。

「サービス」では、もてなす側ともてなされる側が「主従」という分離関係でしたが、「おもてなし」では「主客」という対等で一体の関係になっています。さらに言えば、「おもてなし」では客に「おもてなし」の内容を理解し、評価できる「素養」が求められているのです。そこには「お金を払っているのだから」「俺は客だ!」と言う横柄な態度とは正反対の態度が求められています。

「葉蘭にはじまり葉蘭に終わる」と言われるほど、
活けるのが難しい葉蘭。

「おもてなし」では、客はただ接客を受ける受け身存在でいることはできません。なぜなら、もてなす側ともてなされる側のコラボで成り立つ時空を作り上げることが、真の「おもてなし」なのですから。

東京オリンピックや最近のインバウンド効果で、海外からの旅行者が増えている昨今、「おもてなし」への意識も高まっています。でも、本当の「おもてなし」が成立するためには、接客側の努力だけではなく、お客側の意識の向上、マナーの改善も必要なのです。

それを「面倒」とか、「気取っている」と言う人もいることでしょう。でも、私は妥協する気はありません。なぜなら「主客一体」の時空を創り上げると言う営みこそ、和歌や俳句を引き合いに出すまでもなく、まぎれもなく日本的感性のなせる業だからです。

本阿弥光悦 赤楽茶碗 重要文化財

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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