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書評 「歴史の遺訓に学ぶ(日本を拓いた偉人たち)」 致知出版社 堺屋太一・渡部昇一(著)

by staff on 2020/8/10, 月曜日
 
タイトル 歴史の遺訓に学ぶ(日本を拓いた偉人たち)
単行本 215ページ
出版社 致知出版社
ISBN-10 4800911052
ISBN-13 978-4800911056
発売日 2016/3/22
購入 歴史の遺訓に学ぶ (日本を拓いた偉人たち)

「歴史を振り返る。そこに日本の未来が見える」帯の文章が目に留まった。まえがきは次のように始まる。「日本は、国と地と民と文化が一致する。日本の国の歴史は、日本の国土での歴史であり、日本の言葉と風習と伝統文化の歴史である。私たち日本人はこのことを当たり前のように思っているが、世界的にみるときわめて珍しいことなのだ。」

日本の基礎を築いた偉人たちの所で「国づくりのビジョンを示した近世の偉人たち」で、織田信長・徳川家康・石田梅岩・松尾芭蕉を、「近代日本を開いた愛国心あふれる偉人たち」で、大久保利通・渋沢栄一・伊藤博文を上げている。

現代の行政機構が真似できない新しい組織を作りあげた織田信長を「銭の経済」というものを考えたのだと捉え、それによって「織田信長のところに限り、出所不明の大将軍ができる」。それが豊臣秀吉、明智光秀、滝川一益であり、みんな出所不明です、と言われる。「なぜ織田信長のところからそういう天才的軍人が出たかというと、土地に縛られず、銭で雇った兵隊を付けたからです。だから藤吉郎のように腕力もなければ家来もいないやつがどんどん出世出来たのです。」そしてその斬新性を現代に当てはめてのべられます。「省庁の違いにかかわらず、財政担当は集まれ、原子力技術担当は集まれ」といった形にすればいいのにそれができない。「だから省庁別の断ち割り行政が続くわけでしょう。」

家康という人はずいぶん自分を知った人だと渡部さんはとらえ「だから信長という人の天才を見抜いて、非常に義理堅く付き合っています。それから秀吉とは、小牧・長久手の戦いで、極地戦争ではありますが一応勝ったわけです。しかし、戦には勝ったけれど、この人にはかなわないと思うところがあった。すると実に律儀に、誠実に、謀反心を起こさず仕えるんですよ。」家康は己を知っていて「こいつは自分より上だ」と思うと、無理をせずに相手に従っているのだ。
家康は非常に勉強が好きで本もたくさん印刷しているようです。特に注目すべきことは。唐の太宗と家臣たちとの問答をまとめた「貞観政要」を勉強していたことだという。そして、家康のもう一つの大きな仕事は、長子相続制度の確立です。「関ヶ原が終わったとき、家康は戦国時代は終わったという認識に到達したと思うのです。そこで長子相続制度を決めるわけです。戦国時代には長男に家を継がせるという発想はありませんでした。」「家康は争いなく相続させる方法を考えていたのでしょう。」

滅私奉公的な日本人の労働観を支えてきた石田梅岩の石門心学の存在も江戸時代の大きな存在であったと言われます。梅岩の業績はなんといっても勤勉の哲学を日本中に広げたことです。「生産性や経済性を度外視しても勤勉に働くのは非常にいいことだ、と言う滅私奉公的な精神が日本の近代化を実現させたことは間違いありません。」日本の近代化が勤勉の哲学から興ったという意味では、この石田梅岩の影響というのは非常に大きいと語られます。宗教を完璧に相対化したことです。宗祖とか教祖の教えではなくて、まず心があるというところから発想しました。人間には心というものがある、しかもそれはコロコロしたものらしい、三種の神器の一つに勾玉がありますが、勾玉みたいなものだとイメージしたわけです。「そして人間にとって重要なのは、そういう心という玉を磨くことである、と。その心を磨くための磨き砂は、儒教の教えでもいいし、仏教の教えでもいいし、神道のおしえでもいい。あらゆる宗教が磨き砂になるといって宗教を相対化しているのです。」そして「仕事とは自分の心を磨く修行であると考えたわけです。」

いま日本では何十万人という人が俳句を作っています。「その俳句を確立したのが松尾芭蕉です。さらに “わび” “さび” といった芭蕉の感受性が江戸以来の日本人の感受性をつくったといってもいいと思います。」次のような岡本太郎の話を紹介しています。「岡本太郎が太陽の塔をつくったときに、スケッチブック四冊に次から次へと下絵を書いていった。そのときに最初は腕とか顔がたくさんついていたものをだんだん減らしていって、最後は両方に手があって、顔が前後に付いているだけの形にしました。岡本太郎は“これは造形の俳句だ”といったんですが、私、これは岡本太郎の名言だとおもいます。」堺屋さんはいいます。「俳句というのはすべてのムダを取り除いて十七文字に心を込める。芭蕉がいなければ、これが大文学になったとは考えられないです。」

明治維新への流れをつくり、新日本の基礎をつくった大久保利通の話に替わります。「薩摩の家老に小松帯刀という人がいましてね。この人が大久保や西郷を自由に泳がせて、最後に幕府を討伐するために武力を与えるわけです。そういうよき上司に恵まれて、大久保は自分の考えを貫き通して、山内容堂や松平春嶽の反対を押し切って幕府に戦争を仕掛けるんですね。」「それから、次に凄かったのは内務省をつくって中央集権を徹底させようと考えたこと。武力を持たなければいけないというので、長崎のオランダ人のところに鉄砲や機関銃を買いに行った。でも買うと高くつくというので、自国で産業を興して富国をめざさなければいけない、と。そこから富国強兵・殖産興業という方針になるわけですね。」「日本に産業を興すために大久保は大胆な策に出ます。とにかく大金を投じて逓信を興し、鉄道を敷き、鉱山を開発し・・・ということをやったんです。」

自らの利益より国富を第一に考えた渋沢栄一の愛国心を讃えたい、と渡部さんは言われます。あるとき、三菱の岩崎弥太郎が隅田川に船を浮かべて「渋沢さん、俺と手を組まんか。俺とあんた手を組めば日本の経済は自由になる」といったところ、「私はそんなことは考えていない。それよりもなるべくたくさんの人に会社をつくってもらいたい」と断っているそうです。合本制度を日本中に広めるのが自分の希望で、別に日本の経済界を支配しようという気はないといったわけです。「非常に重要なことは、彼は旧幕時代にヨーロッパを見ていますね。あの頃はフランスが非常に日本に友好的だったんです。それで徳川慶喜の代理としてパリ万博に出席する徳川昭武に随行してヨーロッパに出かけて各国の事情を見ています。その時に西洋には国債とか株があるということを知って、幕府から預かったお金でフランスの国債なんかを買って儲けている。西洋で儲けた日本人としては最初の人ですよ。そして幕府が潰れたときに、幕府から派遣されていた留学生たちが帰るに帰れずに困っていた時に、儲けたお金で船で帰している。」渡部さんは「渋沢さんは“論語と算盤“を唱えて道徳と経済を両立されましたね。”論語“の中で孔子は金持ちになることは悪いことだとはいっていないと指摘する一方、不義にして栄えるのはよくないといい、不義にして貧乏から抜け出すのも悪いといいました。これをいいかえれば、不義でなければどんな仕事も尊いものだといっているわけです。」

日韓併合に最後まで反対していた伊藤博文は先の見えた人だった、と渡部さんはいいます。「伊藤博文ほど将来がよく見えた人はいませでした。たとえば朝鮮の問題でも、併合に博文だけは最後まで反対するんですね。植民地政策の専門家の新渡戸稲造が朝鮮の植民地プランを持って韓国統監になっていた伊藤博文をソウルに訪れたときも“朝鮮を植民地にする必要はないから不要”と答えています。ただ放っておくと勝手に変なことをやって日本が戦争をしなければならないようなことになりかねないから、当分は朝鮮の外交権を預かって保護領としておこうと考えていたわけです。」日韓の合併に関しては、国際社会は賛成していた。イギリスやアメリカはむしろ合併をうながしていた。朝鮮半島に隣接していた清国もロシアも賛成しましたし、利権を持っていたドイツも賛成でした。「そういう流れができていたので博文もしぶしぶ合併に賛成するのですが、韓国統監になったときはまだ反対していたのです。ところが、そういう穏健な考え方を持った博文を1909年に安重根が暗殺してしまったから、日本人は怒ったんです。その結果、博文が反対していた併合が進んでしまうことになりました。」

戦後日本を発展させた政治・経済・文化のリーダーと続いていく。
戦後日本の高度成長を実現した政治のリーダーとして、「経済大国の理想を実現するエンジンとなった所得倍増計画の池田勇人、安保改定があったからこそ日本の高度成長は実現した岸信介、万国博覧会と沖縄返還、日本の青春時代のリーダー・佐藤栄作の七年、国家の将来を考えられての総理でした。」

経済大国・日本を牽引した経済のリーダーのなかで群を抜いて松下幸之助を堺屋さんは次のように記しています。「国民的な英雄になった、世界でも珍しい実業家・松下幸之助」と位置付けている。「松下さんの美点は、自分はそんなに贅沢しなかったこと。競馬馬を買ったり、相撲取りを後援したり、野球チームをつくったり、そういうことはしませんでした。実に真面目だった。典型的な家庭人でもあったと思いますね。そして松下さんは国民的英雄になりました。昭和三十年代に子どもたちの憧れは、まず松下幸之助でしたね。お金持ちになった人にはとかく批判が付き物ですが、松下さんはほとんど批判がない。こういう実業家は世界でもそう数はいないとおもいますよ。」

サービスという文化にいち早く着目した小林一三の先見性
トヨタのカイゼン・かんばん方式というのは凄く日本的
流通革命により日本人のライフスタイルを変えた中内功と鈴木敏文
イオンを成長させた岡田卓也の説得力と洞察力に感服する
プレハブ住宅の開発によって日本人に持ち家を提供した石橋信夫

これから求められる日本のリーダー像で堺屋さんは「自分で責任を持って決めるリーダーが求めれている」という。渡部さんは「これからのリーダーに絶対欠かせない条件は先見性である」と。そして堺屋さんは「リーダーにはカリスマ性を持ってほしい。第二番目には、抜けているように見えながら実は緻密であるということ。論理的な緻密さというものが、周りから緻密だとわかったらだめなんですね。」さらに渡部さんは「頭のいい人はいくらでもいる。本当に必要なのはガッツのある人だ。頭はそれほどよくなくても、頭のいい参謀ならいくらでも見つかるんですよ。あのボスはちょっと残酷だなといわれないように補佐してくれる人はいくらでもいます。しかし、ガッツだけは代わりがきかない。ガッツだけは補佐役にも知恵袋にも参謀にも補えません。だから本物のリーダーを生み出すためには、教育もガッツを育むような項目を入れるべきだと思うのです。」歴史の流れとして読ませてもらった。いま日本に求められているのは新しいリーダー像も持った指導者なのだと感じた。

(文:横須賀 健治)

 

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