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風景で読み解く横濱 (第五話)学校の風景

by staff on 2022/9/10, 土曜日

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第五話 学校の風景

戦前の資料を読むときに苦労するのが明治初期の年号と学校名です。
年号は明治政府が旧暦明治5年12月3日を新暦明治6年1月1日とすると突然決定。
さらには旧暦ならある明治6年閏月が無くなることで計2か月分の給与予算をカットできるという究極の裏技を使いました。それほど財政が逼迫していたようです。
この時に即、<説明不足>の政府に対して改暦解説書『改暦弁(かいれきべん)』を出版しベストセラーを生み出したのが福沢諭吉です。
今回のテーマはもう一つの難題学校名をテーマにしました。
現在の日本の学校制度は「小学校→中学校(ここまで義務教育)→高等学校→<高専>→大学」を基本としています。ところが戦前は小学校(尋常小学校)のみ義務教育で、男女で分かれ、制度も目まぐるしく変わり日本中の学校は名前が何回も変わります。
戦前の文献や今回のような画像で学校が登場する際、正確に調べないと大変な目に会います。逆に時代を知る材料にもなります。
戦前の学校の系統は明治6年・明治14年・明治25年・明治33年・明治41年・大正8年・昭和19年と七回も変わりました。ここで詳しく説明しているとそれだけで字数オーバーになってしまいますので省略しますが、調べると面白いですよ。

戦前の学校が発行した絵葉書から学校の風景を読み解いてみましょう。

「横濱市立高等小学校開校式」
サブタイトル:明治三十九年四月十二日第二第三高等小学校運動場に於テ

広場に多くの人が集まっているのが判ります。
横浜市立第二高等小学校と横浜市立第三高等小学校について調べてみました。
二校とも明治三十八年に同時に開校しました。
ちょっと長くなりますが 改名を一覧にします。

●横浜市立第二高等小学校は男子校
1905(明治38)年 4月 開校(南吉田町四ツ目)
1908(明治41)年 横浜市立尋常高等南吉田小学校
1909(明治42)年 横浜市立尋常高等第一南吉田小学校
1911(明治44)年 横浜市立尋常第一南吉田小学校
1923(大正12)年 横浜市立南吉田第一尋常高等小学校
1925(昭和元)年 横浜市立南吉田尋常高等小学校
 ※南吉田第二尋常高等小学校と合併
1927(昭和2)年  横浜市立東尋常高等小学校
1941(昭和16)年 横浜市東国民学校
1947(昭和22)年 横浜市立東小学校

●横浜市立第三高等小学校は女子校
1905(明治38)年4月 開校(南吉田町四ツ目)
1907(明治41)年4月 横浜市立尋常高等南吉田小学校
1908(明治42)年3月 横浜市立尋常南吉田第二小学校
1923(大正12)年4月 横浜市南吉田第二尋常小学校
1926(大正15)年4月 横浜市南吉田尋常高等小学校(高根町)
1933(昭和8)年4月  横浜市南吉田尋常小学校
1941(昭和16)年4月 横浜市南吉田国民学校
1947(昭和22)年4月 横浜市立南吉田小学校

「横浜市学校沿革誌」では4月11日に<6校>の高等小学校が開校し、合同で開校式が行われたという記述がありますが、絵葉書の風景は二校です。
推測ですが翌日の12日に二校関係者が集合したと想像できます。

「開校十五年紀念」
人物左:創立当時知事故中野健明 人物右:創立当時校長小森慶助

「開港二〇年紀念」

●俗称神中(じんちゅう)現在の希望ヶ丘高等学校
1897(明治30)年 神奈川県尋常中学校(久良岐郡戸太町)
 ※神奈川県最初の県立中学校として設立
1899(明治32)年 神奈川県中学校
1900(明治33)年 神奈川県第一中学校
1901(明治34)年 神奈川県立第一中学校
1913(大正2)年  神奈川県立第一横浜中学校
1923(大正12)年 神奈川県立横浜第一中学校
1946(昭和21)年 ⇒横浜市磯子区六浦へ移転
1948(昭和23)年 《新制》神奈川県立横浜第一高等学校
1950(昭和25)年 《共学化》神奈川県立希望ケ丘高等学校
1951(昭和26)年 ⇒保土ヶ谷区二俣川町へ移転

神奈川県史を読むと、神奈川県は全国でも県立中学校の設立が遅れます。財政難だったことと、学校創設には県の感心が低かったようです。政府命が出てしぶしぶ作った様子が県史に書かれています。

あと二校紹介します。校名歴は省略し葉書だけです。

「神奈川県立横濱第二中学校開校記念」(大正5年5月11日)
1914(大正3)年5月1日 開校
現在の翠嵐高等学校です

「神奈川県立第一高等女学校 真澄会館」
現 平沼高等学校 同窓会「真澄会」の会館
1924(大正13)年に「真澄会」と改称
1929(昭和4)年 校庭西北側に11月竣工

※ここに紹介した絵葉書は個人蔵のものです。
 転用等はご遠慮ください。

 

(第五回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

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